創造と発表の新しい学力
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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話 闇の女帝
話上手な人を饒舌とは言わない。なぜなら、話上手な人は意識して、あるいは無意識に間を取り入れているからだ。風も通さない饒舌は聞いている方も苦しくなり、一体何を聞いていたのかも分からなくなってしまう。余韻、余情、ふくみ、これらは全て間の生かし方にかかわっている。私たちは、相手を思いやるあまり、つい話し込んだりしてしまう。しかし息つくまもなく話していると、聞かされている方はたまったものではない。次から次へと話題は変わり、一つの話題についてもっと話し込んだり考えたりすることもできずに、話している方はサービス精神であっても聞かされている方は大変な苦痛なのだ。そこで適度な沈黙を取り入れることによって、会話の花をより豊かに鮮やかに咲かせることができるのだ。だから私も間を生かして、より人との交流を深めたいと思っている。
なぜ話に間は不可欠なのであろうか。話というのは話す人と聞く人がいて、初めて成り立つ。話す人が一方的に喋っていても聞く人は、たとえ途中で分からないところがあっても質問することができない。しかし、ゆとりと間をもって話すと、表情もその話の内容が表れ、聞く人は自分に対して話してくれていると安心感をもつことができる。これは別に話だけの問題ではない。去年、私たちは学芸会で木星を演奏した。そこで先生が「フォルテとピアノはどちらが大事でしょう。それはピアノです。小さい音をだすことでお客さんにもっと注意を払ってもらえるのです。またコーダに飛ぶときにためを作ることで、お客さんは次に何がおこるか興味をもってくれます」とおっしゃった。この文を書いているときにふとこの言葉を思い出しだしたのだ。余裕と間をもつことで聞く人の注意をひきつける。正にこのことだと思った。
更に、話す人は喋ってもそんなに疲れないのに対し、聞く人はどんどん疲れていく。そんな時は、話を一時中断して周りに風景に目をやったり、共通の話題を探してあげたりする気配りをしないと、話している雰囲気がだんだん暗くなると思う。
間をおかないで話すときは、急用の時のみに留めておいた方がいいと思う。だから、私は話すときは間をおいた方がいいと思う。
講評 inoko
闇の女帝さん、こんにちは。
間の重要性。これは、人と話すとき、気を配らなければならないことの一つだ。女帝さんが書いているように、話というのは話す人と聞く人がいて成り立つ。校長先生の話がつまらない退屈だという話をよく耳にする。校長先生のお話=退屈 そのような先入観を持っている人が多いようだが、すべての校長先生がつまらない話をするというわけではない。声の強弱、絶妙の間の取り方によって、聴衆は話し手の世界に引き込まれていく。このような話術を身につけている校長先生も、たくさんいらっしゃるのだ。すばらしい話術の持ち主の話を聞く機会があったら、是非、その技を盗むべきだろう。何がどう違うのか。じっくり観察しておこう。だが、話に引き込まれて、技を盗むことができないかもしれないけれど。
☆ 感想文としてはとてもおもしろいのですが、理由の書き方がややはっきりしないのが残念。一つ目の理由は○○、二つ目の理由は○○。このパターンを忘れずに。そして、反対意見も忘れずに。「確かに…。」にあてはめて、間を取りすぎると良くない点などを述べてみましょう。
5月22日もほかの先生からのお電話です。代講が続いて申し訳ありません。よろしくお願いいたします。
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しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。
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