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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   物事はお金に換えるものではない   さおりん

 私は物をお金に換算してその価値を考えることには賛成ではない。
 その理由は、お金に換えてしまうと素の状態だった時、新たな発見ができたことも見失ってしまうからだ。たとえばリンゴが一個自分の目の前にあるとする。そしたらこれをお金に換えるといくらになるだろう。また、その採点基準は何だろう。人は(私も)リンゴの色合い、つや、におい、そして味、というようにまだまだあるかもしれないが様々なことを元に価値をつける。その例はセリだ。セリをする人々は今挙げたようなことを情報として仕入れ「はい、これ○○円ね。」という風にやっていくかもしれない。しかしそのたった一つの今、値段をつけられたリンゴを百円としてみよう。では本当にこのリンゴには百円分の価値しかないのだろうか。そうではない、と私は言い切れる。本で読んだが農家は自分の育てた作物にわが子に対するような思いがある。今、宮崎県で起こっている口蹄疫という病気。これは作物ではなく家畜だが、テレビで自分の育てた動物が法律により処分されることに涙を流していた。それは家畜に対する言葉では言い切れないような思いがあるからこそ流せた涙だ。もし何の思い入れもなかったらそんな感情になるはずがない。だからこの一個百円という価値をつけられたリンゴは実際農家の人からとても大切に扱われてたに違いない。また農家の人たちの苦労。そんなこともリンゴには込められている。こう思えば本当は百円以上の価値のリンゴを百円で食べているのだ。このことをたくさんの人が知ればこのリンゴを百円だからいいやと言いながら粗末にする人はいなくなるだろう。
 第二の理由はお金に変えてしまうとそのものの真のよさが分からなくなってしまうからだ。私の住んでいる神戸の街の夜景。正確には忘れたが確か百万ドルの夜景と呼ばれていたと思う。実際に私も見たことがあるが実にきれいだった。なぜ百万ドルと呼ばれているのかというと、景色を見たとき、そこにある光の量などを計算してこう呼ばれるようになったのだ。私はこの夜景をいろんな人に教えたいし見せたいと思う。しかしこんな反応だけはやめてほしい。それは百万ドルの夜景と言ったら「へぇ〜すごいね」というのに神戸の夜景は奇麗だよと言ったら「ふ〜ん」という明らかに対照的な反応をする人だ。他しかし百万ドルといったほうが情景もイメージしやすいし、余計にきれいなのだろうなという想像も膨らますことができるしかし私にとってこれらは、ただ百万ドルという言葉にだけ反応しているように思えてしまう。神戸は昔阪神淡路大震災という大きな地震があった。だからこの時はもちろん今のような夜景なんて見えなかった。しかしこんな素敵な夜景が今、見られるということは、震災から人々が協力し合ってここまで立ち直って来たという証拠なのだ。だからいつでも明るい暮らしができ、百万ドルという夜景が人々の手で出来上がった。それを百万ドルという値段にたとえられた価値ですごいと思ってほしくない。このきれいな夜景の裏には真の価値が隠れているということも知っておいてほしい。
 確かに物事を「○○円」という風にするとわかりやすくていいかもしれない。しかしそれはあくまでも一時的なことでしかないと思う。「自分の心のうちにないものは何一つ自分の財産ではない」という言葉のように、お金という事柄で価値を表わせないことがたくさんある。その例が思い出だ。思い出なんかに「○○円」という価値なんて誰にもつけられはしない。いわば、物に価値なんて付けようがないのだ。私は自分なりに物事の判断をしていくつもりで価値なんて付けるつもりは一切ない。

   講評   sumomo

 自分の考えをわかりやすく伝えるという視点から、しっかりお清書ができました。


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