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作文検定の見本作文

1.下線が項目のできたところです。
2.項目は、できるだけ入れるようにしようというもので、入っていなくても減点にはなりません。
3.子供の手書きの作文を、保護者がテキスト化するときは、もとの作文がひらがなであっても、普通の漢字に直してテキスト化しておいてください。

 

●12級の項目(小1相当)
 項目は、作文を書きやすくするためのものです。
 字数以外の項目は、作文に入っていなくても減点になりません。
 子供の手書きの作文を、保護者がテキスト化するときは、もとの作文がひらがなであっても、普通の漢字に直してテキスト化しておいてください。
字数200字以上
(1)名前数字
(2)たとえ
(3)どうしてかというと
(4)会話
(5)□○□○
(6)思ったこと

■12級の見本作文
 先週、城山公園(1)で、僕とお母さんが、てんとう虫の蛹と幼虫を採ってきました。蛹が四匹(1)、幼虫が一匹(1)です。
 おととい、虫かごの中で、蛹が一匹成虫になりました。まるでペットを飼ってるみたい(2)です。
 どうしてかというと(3)、いつも見ていられるからです。
「てんとう虫ってえさは何かな。」(4)
と、お母さんが言いました。
「りんごがいいみたい。」(4)
と、お姉ちゃんが言いました。
 りんごを入れたらどんどん(5)食べてくれました。りんごはおいしいのかなあと思いました(6)
(原作を一部改変)
 

●11級の項目(小2相当)
 項目は、作文を書きやすくするためのものです。
 字数以外の項目は、作文に入っていなくても減点になりません。
 子供の手書きの作文を、保護者がテキスト化するときは、もとの作文がひらがなであっても、普通の漢字に直してテキスト化しておいてください。
字数400字以上
(1)たとえ
(2)長い会話
(3)途中で思ったこと
(4)声・顔・動作

■11級の見本作文
 5月3日土曜日に、自転車でイタチ川に行って、えびとりをしました。
 まず、ビニールふくろを川のはじっこに入れて、バサッとすくったら、1ぴきつかまえられました。
 川べりには、コケや水草が生えてました。
 ママが
「えびがとれたよー」
と言って見せてくれたので、
「わあ、本とうだあ。すごーいすごすぎる。まま天さい!」(2)
と大よろこびしました。
 その後、川べりをまた何回かすくったら、、合計で3匹とれました。
 大体30分から40分くらいかかりました。
 そのえびは、家でかうことにしました。
 えびのえさをロイヤルに買いにいきました。店員さんに聞いたら
「水草で大丈夫」
と、笑いながら言ってくれました。(4)なぜなら、水草にコケが生えて、それがえさになるからです。
 ぼくは、それなら簡単だと思いました。(3)
 えびは、色が茶色と黒と透明で、模様はしましまでした。しっぽのかたちは、小さなしまにヤシの木が一本生えているようなかたちで、(1)しっぽを上下に動かしておよいでいて、とってもキュートでした。
 えびを見ていると楽しいと思うから、後2匹くらいふやしたいです。また川に行ってつかまえたいし、ほかの生き物もつかまえたいです。
(原作を一部改変)
 

●10級の項目(小3相当)
 項目は、作文を書きやすくするためのものです。
 字数以外の項目は、作文に入っていなくても減点になりません。
 子供の手書きの作文を、保護者がテキスト化するときは、もとの作文がひらがなであっても、普通の漢字に直してテキスト化しておいてください。
字数600字以上
(1)たとえ
(2)聞いた話
(3)いろいろな言った
(4)自分だけがしたこと
(5)自分だけが思ったこと

■10級の見本作文
   あたかいお風呂
「あったかーい。疲れと汗がとれてきもちいいなぁ。」
私はそうつぶやきました。(3)
 今、体を洗ってお風呂につかり始めたばかりです。学童でたくさん遊んでとても汗をかいていました。
 もし、家のお風呂が温泉だったら、いつも温泉につかれて幸せだと思います。どうして幸せかというと、普通のお風呂は一個だけど、温泉のお風呂は一個だけじゃないからです。でも、お客さんが来ると、自由につかることはできないし、他の温泉に行けないので少し残念です。
 私は、温泉と入浴剤が入ったお風呂が好きです。どうしてかというと、家のお風呂は普通で色がないので、温泉や入浴剤が入ったお風呂は特別な感じがするからです。私は、お風呂上りに冷たい飲み物を飲むのが好きです。たくさんつかってあつくなったのが冷たさですぅーと涼しくなるからです。入浴剤を入れて入った時、ひげそりがお風呂に落ちて、大変なことになった時があります。(4)でも、全部拾いあげたのか、だれもケガしませんでした。本当にほっとしました。
 おじいちゃんとおばあちゃんの家でお風呂に入ってご飯を食べて泊まったら、まるで旅館みたいだな(1)と思いました。どうしてかというと、お風呂は入浴剤を入れて入ることができて、特別な感じだし、ご飯が焼肉やお寿司、お好み焼きなどのいつもよりおいしいごはんだからです。
 おばあちゃんが子供の頃、牛乳風呂に入ったことがあるそうです。(2)その時、上がってから流さないと聞いてびっくりしました。どうしてかというと、体がベトベトしそうだからです。お母さんは、私にとってのおばあちゃんと入るときがとても少なくて、私にとってのひいおばあちゃんと毎日入っていたから、私にとってのおばあちゃんと入れた時は嬉しかったそうです。
 家にも入浴剤があったらいいのになと思いました。私は牛乳風呂より、「東海道中膝栗毛」という本で知った、「五右衛門風呂」に入ってみたいと思いました。(5)
 今日も、
「ああ、あったかかったなあ。」
と思って上がりました。
(原作を一部改変)
 

●9級の項目(小4相当)
 項目は、作文を書きやすくするためのものです。
 字数以外の項目は、作文に入っていなくても減点になりません。
 子供の手書きの作文を、保護者がテキスト化するときは、もとの作文がひらがなであっても、普通の漢字に直してテキスト化しておいてください。
字数800字以上
(1)たとえ
(2)聞いた話
(3)ですます
(4)心の中で思ったこと
(5)動作情景の結び

■9級の見本作文
   個性的な子供のころのお母さん
「この服とこの服、どっちがいいと思う?」
 太陽が眩しい朝。お母さんは、私にそう聞いてきました。
「うーん、どっちも似合うと思うけど?こっちの方が動きやすくていいんじゃない?」
 私は、重いまぶたをこすりながらそう答えます。(3)
「そう、ありがとう!」
 ありがとうと言いながら、その服をもう一度体に合わせるお母さんを横目に、私はそんなお母さんの子供のころが気になっていました。
 今はファッションに気をつけているお母さんは、子供のころもおしゃれだったのでしょうか。それとも、特に気にしていなかったのでしょうか。そんなことを、お母さんに聞いてみることにしました。(2)

「私、ずっと黄色の服を着てたの!」
「えっ!?」
 今はふんわりとした印象の水色や桃色が好きなお母さんも、小さいころは太陽のように(1)元気な黄色が好きだったのでしょうか。
「なんでわざわざ?」
 すると、お母さんは、困ったように微笑みました。
「私、弟がいるでしょ? だから、弟にあげられるように、男の子も着やすい黄色の服をずっと着せられていたの!」
「えぇっ?」
 予想外の答えに、私は顔をしかめました。私だったら、自分の好きなタイプの洋服を着たいです。そのことについて、お母さんはどう思っていたのでしょうか。
「別に、ふーん、いいアイデアだなー。ぐらいしか思ってなかったよ!」
 おしゃれな今のお母さんと大違いです。大人になると、みんなファッションに気をつけるようになるのでしょうか。
 私は、弟がいる女の子の友達の服を観察してみることにしました。その子の服は、ピンク色のフリルつきワンピースなど女の子っぽい服で、電車好きのその子の弟とは大違いでした。今のお母さんとは違う子供のころのお母さんのファッションに、少し驚きました。

 お母さんは、私とは違ってけっこう、個性的な子供だったんだなぁと思います。(4)今のしっかり者のお母さんとは大違いです。そんなお母さんの個性をたくさん見つけていきたいなと心の中で思いました。
 今日も、お母さんは、自分の好きな水色の服を着て、楽しそうに家の仕事をしています。(5)
(原作を一部改変)
 

●8級の項目(小5相当)
 項目は、作文を書きやすくするためのものです。
 字数以外の項目は、作文に入っていなくても減点になりません。
 子供の手書きの作文を、保護者がテキスト化するときは、もとの作文がひらがなであっても、普通の漢字に直してテキスト化しておいてください。
字数1000字以上
(1)たとえ
(2)聞いた話
(3)ことわざ
(4)わかったこと

■8級の見本作文
   あいまいな言葉
 『そこをなんとか』という言い方は極めてあいまいである。『そこ』とは何をさし、『なんとか』はどういうことなのか。しかし、外国人が理由を挙げて頼みを断る場合は、『だから、私はあなたの願いをお引き受けするわけにはいかない』と言うため、それ以上頼んでも応じてくれる余地はない。一方で、日本人のノーは決して絶対的な否定ではなく、その一部にイエスを含み、イエスはその中にノーの要素をあわせ持っている。(要約)

 私は、あまり友達や家族とショッピングへ行くことは少ない。友達といっても、特別に親しい人しか一緒に行くことはない。そのせいでお買い物に慣れていないためか、私はおすすめに弱い。友達と前一緒にダイソーへ行ったときのことだ。その子はダイソーの商品についてとってもアツく、炎が出そうなほど力を込めて力説をしてくれた。(1)私はその商品があまり良いものだとは思えず、なんといえばいいのか分からない。私はその友達がだいぶ好きで、仲良しだったので、わざわざ関係を壊すようなことは言いたくない。そんなことを考えているうちに、いつの間にか私は、
「たしかに……! 結構役に立ちそう。」
と答えてしまっていた。すると友達の熱はさらにヒートアップしてきた。後悔したが、それも後の祭り。(3)話を合わせているといつの間にかその商品を買うことになってしまった。

 とはいえ、私たちの暮らしが成り立っているのはほかの人のおかげだということは、忘れてはならない。失敗してしまったときには友達に『そこをなんとか』と頼み込み、助けてもらうのも毎度のことだ。人はだれでも、人を喜ばせようとするらしい。人が困っているのを無視すると、心の中の良心がちくりと痛むのかもしれない。その結果イエスは言いやすいのに、ノーがなかなか言えなくなる。

 英語と日本語で表現がだいぶ違うように、文化にも違う点があるかもしれないと思い、イスラムについて調べてみた。その時に気になったのがモスクだ。モスクは日本で言う寺のようなものだが、日本と比べ圧倒的に派手だ。内部には白い場所はあるが、そこには模様が必ずあり、『空白』とはいいがたい。天井にはタイルでできたような飾りがある。青や緑、赤や黄色等の派手な色で作られており、日本人の私から見るとあまり神聖さを感じられなかった。でも、空白を作らないということにはっきりとしたノーという意志を感じた。
 母に『そこをなんとか』という言葉をいつ使うか聞いてみた。(2)すると、仕事が遅れたときや、私が病気の時だそうだ。病院がもう閉まっていてもその言葉を使い、お医者さんに診てもらっていたらしい。まるで、『そこをなんとか』は、魔法の言葉のようだと思った。けれど、お母さんがいうには違うそうで、そのせいで、相手を残業させたり、必要以上の労力を使わせてしまったりするそうだ。

 日本人の言葉はあまり直接的ではなく、オブラートに包んである。しかし、相手を傷つけてしまわないために使った物言いが、逆に自分の危険になったり、他の人を大変にさせてしまうかもしれないということが分かった。(4)でも、私はいやなことにはノーというけれど、なるべく人にやさしくしていたいから、その場に応じて判断していこうと思った。
(原作を一部改変)
 

●7級の項目(小6相当)
 項目は、作文を書きやすくするためのものです。
 字数以外の項目は、作文に入っていなくても減点になりません。
 子供の手書きの作文を、保護者がテキスト化するときは、もとの作文がひらがなであっても、普通の漢字に直してテキスト化しておいてください。
字数1200字以上
(1)たとえ
(2)聞いた話調べた話
(3)ことわざ
(4)一般化の主題

■7級の見本作文
   あいまいな言葉
 欧米で大ヒットしたホットケーキミックスは、電気釜で作れるように改良し日本市場に進出したが完全な失敗に終わった。理由はライス・カルチャー(お米の文化)といわれる日本文化の中で、ごはんをたくのと同じ器でケーキを作ると、バニラやチョコレートに汚染されてしまうのではないか―という懸念とわかり、問題がそこまで民族的な伝統に根ざしている以上、手の打ちようがないと日本市場から引き上げる結果となった。(要約)

 僕は米が好きだ。たぶん、日本人の多くがそうだろう。だが、米が単に「おいしい」だけでなく、先人たちの知恵や工夫、歴史によって支えられていることを、もっと意識する必要があると思う。
 そもそも、今の市販で売られているものは大体白米だが、昔は精米しないといけない白米は、まるでお祝いのときに食べるもののような(1)かなりの高級品で、江戸時代になってからようやく町民たちが食べれるようになってきた。そこからどんどん食べ方は増えていく。
 なぜ、おにぎりの具は梅干しが代表的か知っているだろうか? コンビニ等で豊富に売られているおにぎりの具材、例えば、タラコは江戸時代には手に入りにくかった。昆布は高級品で庶民は買えなかった。ツナマヨはマヨネーズがもちろん無い。そんな具材の中から、手に入りやすく、安価で、ご飯と合う物。それが梅干しだったのだ。また、梅干しに含まれるクエン酸が、まわりのご飯の腐敗防止に役立つことを、経験上知っていたのかもしれない。そして、昔から「日の丸弁当」というのは世に出され続けており、やはり梅干しは日本を表すのにぴったりだったのではないかと思う。お米は、日本文化にとって、いわば縁の下の力持ちだ。(3)

 日本での米の歴史は縄文時代の終わりに始まり、弥生時代に水稲栽培が定着した。(2)やがて米は年貢や通貨として使われ、江戸時代には「石高」で領地の価値が計られるようになった。武士も大名も、米を中心に社会を動かしていたのだ。食としての米も変化してきた。今は当たり前のように白米を食べているが、かつては玄米が主流だった。白米は精米に手間がかかり、高級品だった。都市の町民が白米を口にできるようになったのは江戸中期以降だ。
 祖母の実家の前には田んぼがあった。春に田植えをし、夏に青々と育ち、秋には黄金に色づき、収穫後の田んぼで泥まみれになって遊んだ。祖母はその一年の流れをずっと見てきた。一株の稲からとれる米の量は意外なほど少なく、だからこそ、一粒の米の重みがよくわかったのだろう。

 おにぎりをにぎるときに手に塩をつけるのもまた、味つけと防腐のための知恵だ。少ない塩でしっかり味を感じさせることができる。こうした工夫の一つ一つが、米を守り、味わいを深めてきた。
 僕たちが日々口にしている米は、単なる主食ではない。祖母の田んぼで見た稲の成長、そして母の話にあった文化に根ざした拒否感に触れるたびに、米は日本人にとって特別な存在なのだと感じる。
 米とは、人間にとって「食」であると同時に、「歴史」であり、「文化」であり、「生き方」そのものなのだ。(4)
(原作を一部改変)