言葉の森の読解記録
読解検定
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題名:○今、地球上には
10月 1週
0点
問題1:
問1
読解マラソン
集1番「今、
地球上には」を読んで
次の
問題に答えましょう。
○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。
A
約三十
億年前の
地球には、一
億五千万
種類ものたくさんの
生物がいっしょにくらしていた
B ラマルクは、よく
使うところは
発達すると
述べた
1 A○ B○ 2 A○ B× 3 A× B○ 4 A× B×
あなたの選択:2 正解:3 結果:×
あなたの解説:わからない。
問題2:
問2
読解マラソン
集1番「今、
地球上には」を読んで
次の
問題に答えましょう。
○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。
A お父さんとお母さんが
子供のころ
勉強して頭がよくなったとしても、それがそのまま
子供に
受け継がれるわけではない
B 何
代にもわたってしっぽを
短く切り
続けても、生まれる子ネズミのしっぽは長いままだった
1 A○ B○ 2 A○ B× 3 A× B○ 4 A× B×
あなたの選択:3 正解:1 結果:×
あなたの解説:わからない。
講評:
問題1へのコメント
正解は3番です。
Aは、約三十億年前に一億五千万種類の生物がいた、という意味ではありません。
一億五千万種類は、絶滅した生物もふくめ、長い進化の歴史の中にいた種類の数です。
Bは、よく使う首が発達するというラマルクの考えなので○です。
問題2へのコメント
正解は1番です。
Aは、親が勉強して身につけた力が、そのまま子どもに受け継がれるわけではない、という文章と同じ内容です。
Bも、何代もしっぽを切っても、生まれた子ネズミのしっぽは長いままだったので○です。
したがって、AもBも○になります。
元の文章
今、地球上には、百五十万種類を超える生物がいます。そのうちの八十万種類が昆虫で、四十万種類が動物で、残りの三十万種類が植物です。もし、世界が十種類の生物の村だったら、五種類が昆虫で、三種類が動物で、残りの二種類が植物ということになります。昆虫の種類がずいぶん多いということがわかります。もしかすると、昆虫がこの地球でいちばん元気よく暮らしていると言えるのかもしれません。そう言えば、ゴキブリなどは、元気のかたまりのようです。
生物は、約三十億年前に原始的な生物から進化してきました。進化の過程で絶滅した生物も含めると、今の生物の種類の百倍、一億五千万種類もの生物がいたと推定されています。
どの生物も自分が生きるのに都合のよい形をしています。例えば、キリンは首が長いので、遠くにいる敵を見つけたり、高い木の枝の葉を食べたりすることができます。ゾウは鼻が長いので、自分の鼻をホースがわりにしたり、鼻を手のように使ったりすることができます。三グラムしかないジネズミは、自分の小ささをうまく生かして生きています。逆に百三十トンもあるクジラも、自分の大きさをうまく生かしていきています。このジネズミとクジラがシーソーをしたとすると、つりあいを取るためには、一頭のクジラの反対側に、四千万匹以上ものジネズミがぶらさがらなければなりません。これぐらい違いのある生物がそれぞれ、自分の長所を上手に生かして生きているのです。
このように多くの種類の生物がいる理由を、昔は、神様が作ったからだと考えていました。しかし、いくら神様でも、百五十万種類もの生物を作るのは大変です。それでも、昔の人は、神様ならそういう神業ができると考えていたのです。
十八世紀に、ゾウの化石を研究した学者が、生物の中には既に絶滅したものがあるということを発見しました。ラマルクは、この考えを発展させて、生物の種が変化するという説を述べました。例えば、キリンは、高いところに生えている葉を食べるために、首を長く伸ばしているうちに、今のようなキリンになったと言うのです。
しかし、この説には重大な弱点がありました。確かに一頭のキリンの一生に関して言えば、高いところの葉を食べようとしているうちに、だんだんと首が長くなるということは言えるかもしれません。しかし、その首の長さがそのまま子供に受け継がれるかどうかということはわかりません。
みなさんのお父さんやお母さんが子供のときにしっかり勉強してくれたおかげで、あなたは生まれつき何でも知っていたということになれば、これほどいいことはありません。しかし、実際には、あなたはあなたでまた最初からお父さんやお母さんがしたのと同じ勉強をしなければなりません。こういうことを見ると、親の獲得した能力がそのまま子供に受け継がれるということはないようです。
ラマルクの説を批判する学者は、次のような実験をしました。まず、ネズミのしっぽを短く切ってしまいます。ネズミにはかわいそうですが、しっぽだけなので命には別状がなかったというところが少しほっとするところです。このしっぽを切ったネズミから生まれたネズミのしっぽも、また短く切ってしまいます。このようにして、何代もしっぽを短く切ったにもかかわらず、生まれる子供はいつもしっぽの長いネズミでした。
しかし、この実験は、ラマルクの説を批判するにはあまり確かなものとは言えませんでした。なぜなら、ネズミは自分から進んでしっぽを短くしようとしたのではなく、無理矢理しっぽを短くさせられたからです。この実験のために何匹ものネズミのしっぽを切った学者は今ごろ、「しっぽの実験はしっぽい(失敗)だったなあ」と思っているかもしれません。
言葉の森長文作成委員会(Σ)
題名:★人間は嗅覚に関しては
10月 2週
100点
問題1:
問3 読解マラソン集2番「人間は
嗅覚に関しては」を読んで次の問題に答えましょう。
○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。
A 食肉類は、肉の味覚に関しては
敏感である
B
霊長類は、敵から身を守るために色覚が発達した
1 A○ B○ 2 A○ B× 3 A× B○ 4 A× B×
あなたの選択:4 正解:4 結果:○
あなたの解説:Aは、1行目に「人間は味覚に関しては、はるかに発達している」とあり、「食肉類」ではなく、「霊長類」のことなので、×。
Bは、22行目に「霊長対の色覚は熟した果実をみつけやすいように」とあり、「敵から身を守るために」ではなく、「熟した未をみつけやすいように」なので、×。
問題2:
問4 読解マラソン集2番「人間は
嗅覚に関しては」を読んで次の問題に答えましょう。
○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。
A 実のなる植物は、サルや鳥に食べられることによって種を遠くへ運ぶ
B おかしのパッケージで、最近流行しているのは、青や緑色である。
1 A○ B○ 2 A○ B× 3 A× B○ 4 A× B×
あなたの選択:2 正解:2 結果:○
あなたの解説:Aは、28~29行目に「実のなる植物は、霊長類や鳥には種まきをさせているわけである」とあるので、○。
Bは、42行目に「お菓子のパッケージの色は、圧倒的に赤や黄系統が多い」とあり、「青や緑色」ではなく、「赤や黄系統」なので、×。
講評:
### 問題1へのコメント
正しく4番を選べています。
Aは、味覚が「食肉類」ではなく「霊長類」で発達したと書かれているため×です。
Bも、色覚は敵から身を守るためではなく、熟した果実を見つけやすくするために進化したので×です。
### 問題2へのコメント
正しく2番を選べています。
Aは、サルや鳥が果実を食べ、種子が糞とともに排出されて、行く先々にまかれるという内容に合うので○です。
Bは、青や緑ではなく、赤や黄色のパッケージが多いと書かれているため×です。
元の文章
人間は嗅覚に関しては食肉類にかなわないけれど、味覚に関しては、はるかに発達している。味を楽しむということは、高等な霊長類にすでに見られる性質である。宮崎県の幸島のサルがイモ洗いをする話は、あまりにも有名だが、彼らはイモを洗ってよごれを落としているだけではない。今から三十年余り前に、ある天才的なメスの子ザルが最初に考案したのは、川でイモを洗うという方法だった。おかげで彼女は、研究者に「イモ」という名をもらうはめになったが、それはさらに、海で洗うという方法に発展していった。よごれを落とすだけなら一度洗えばいいはずなのに、食べてはまた海水をつけるということを繰り返す。塩味を楽しみながら食べているのだ。(中略)
霊長類の進化の過程で、一方では嗅覚の退化が起こり、他方では味覚の進化が起こった。そして、味覚と相まって進化したのが色覚である。食肉類はほとんど色覚をもたないから、色とりどりの花が咲き乱れ、チョウが舞う草原にすんでいても、その美しさとは無縁だろう。そういう意味では、たとえ花も木もない殺風景な場所であっても、さっき通ったイタチの臭跡やノウサギの糞の匂い、あるいは傷ついて仲間からはぐれた草食獣の血の匂いといった、彼らを緊張させ、心をときめかせるものに満ちあふれていれば、それこそがわれわれの感じる美しい風景に相当するものなのだろう。
では、そもそも、霊長類において味覚と色覚が進化したのはなぜなのだろうか。霊長類は果実を好んで食べる。その果実というのは、熟していないときには葉と同じ緑色をしていて、いわば葉の中に身を隠している。しかし熟すにつれ、私を食べて下さいと言わんばかりに、赤、黄、紫など葉に対してめだつ色になってくる。その上当然のことながら、甘味も増す。つまり、霊長類の色覚は熟した果実を見つけやすいように、味覚は味を楽しむことができるように進化したのだ。
さて、固いセルロースの層におおわれた、果実の種子は、そのままのみこまれると消化されずに糞とともに排出される。人間は決まったトイレをもつけれども、遊動生活をしている多くの霊長類は、行く先々で糞をしている。その結果、種子はあちらこちらに種まきされているのと同じことになる。しかも糞という肥料つきで。実のなる植物は、ミツバチなどに受粉の大役を任せる一方で、霊長類や鳥には種まきをさせているわけである。
それに対し食肉類は、一定の巣をもっているし、たいていは糞をする場所を決めている。うまくしたもので、果実は彼らに食われることがない。
さて、果実を食べながらも糞をまき散らしてくれない霊長類である人間は、一定の住居を持ち、狩りをし、肉食をする。しかし同時に、味覚と色覚が発達していて、果実を好むという霊長類らしさはもち続けている。われわれが食肉類をまねた霊長類だということは、肉や魚に味付けをして食べたり、料理の配色に気を使ったりすることによく反映されている。
異常に甘い物好きなホモ・サピエンスであるところの私は、デパートやスーパーのお菓子売り場に行くと、まるでお花畑にでもいるような気分になれる。それに、おめあてのお菓子を買うと、もうそれだけで幸福感でいっぱいになってしまう。こういう感情は、いったいどういうところから生まれてくるものなのか常々不思議に思っていたのだが、あるとき次のようなことに気がついた。お菓子のパッケージの色は、圧倒的に赤や黄系統が多い。青や緑のパッケージなんて、ほとんどと言っていいほどない。この赤や黄色というのは、熟した果実の色と一致するではないか! 果実の皮をむく代わりに包装紙をめくると、中から出てくるのは、にせの果実というわけだ。
(竹内久美子「ワニはいかにして愛を語り合うか」)