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いつから世の中が矛盾を(感) 清書 (987字)  あかるら akarura 2024/04/22 17:51:23 32430   4     

いつから世の中が矛盾を(感) 清書

私は矛盾は良いと思う。その理由は二つある。
 第一に、矛盾は心の余裕に繋がるからだ。論理的な一貫性を追い求めすぎてしまうと、視野の狭い人間になってしまう。これは、日本の歴史からも読み取ることができる。今でも続いている日本文化の多くは、平安時代頃から始まり、そして栄えていった。かな文字を用いた和歌、蹴鞠、正月や七夕のような年中行事は今でも学校や家などで学び、触れる機会が多い。そんな平安時代は貴族の「遊び」が中心、つまり一貫性や規則正しさのような「論理」はあまり重要視されていない時代である。確かに遊びにもルールはあるが、ほんの少しの間違いやズレが起こったとしてもすぐに否定せず、皆おおらかな気持ちで事態を受け止めることができただろう。このような行き過ぎた論理を求めることの少ない環境が心の余裕に繋がった。こういった心の有り様が、愛され、親しまれる日本の文化となり、今日でも引き継がれているのだと思う。いつの時代も論理性が社会の規則であり基盤となっていたことに変わりはない。しかし、良い矛盾という論理とは反対の物事によって今までの歴史や文明の開化だけでなく、私達の生活も支えられているのだと考える。
第二に、良い矛盾は「自分ならでは」に通じるからだ。私は以前、押し花ではかきを装飾するというイベントに参加したことがある。しかし、その作成中に花の一つが葉書に張り付き、破れてしまったため、デザインの一部を変更しなければならなくなった。自分の思い通りには進まなかったが、何より出来上がった作品に対してより「自分だけの葉書」という特別感がわいた。自分だけの小さなズレは誰にも真似することができない。良い矛盾は自分のオリジナリティーである。「多少のズレや失敗も許さない」と行き過ぎた論理を追求すればするほど、最終的には皆が同じ考えや感じ方になってしまうだろう。「自分」を大切にするには論理と良い矛盾とのバランスを保つことが大切である。
確かに論理という規則のある考え方は相手に誤解を与えない。しかし「できあがった規則をなんとか守ろうとするよりも、実態に合わせて規則を変えていくことが、真に規則を生かす道である」という言葉がある。このように、論理性を持ちながらも、時と場合に応じて良い矛盾を意識することが大切だと思う。このことから、私は矛盾は良いと考える。



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