元の記事:7/11 俊廷メモ【訂正】 7/11 俊廷メモ (1196字)
jt aetasi 2025/07/11 19:00:28 50856
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第1段落
「そこをなんとか」という表現の中には、日本人のすべては完全ではないという考え方があらわれている。
日本人にとって、一切のことがらは、それ自体完結しているのではなく、時と場合に応じて伸縮自在の形をとっている。
日本の芸術にも「余白」の美があり、「余白」とは画家と鑑賞者の共有の空間である。日本の芸術は、その価値もこの「余白」にかかっているといえる。
ぼくがこの話を読んで一番おどろいたことは、
外国人は自分の意見や立場をはっきり表現するのに対し、日本人は明確に言わないということです。
第2段落
ぼくのクラスでは、月に一回、自主学習ノートを一番よく書けている人を投票で決める活動がある。
みんなは自慢げに自分のノートを机に広げて、お互いのノートを見せ合った。
自主学習ノートは、それぞれ好きな科目について調べて書いたものだ。
例えば、算数の計算の復習をしたり、インコについて調べて書いてある人がいた。
初めは、ぼくは一番よく書けているななこさんに投票しようと思った。
なぜなら、ななこさんは昨日の算数をきちんと復習していた。しかも、数字もきれいに書かれていて、まるで教科書のお手本のように、だれが見ても見やすいノートだった。
次に京太郎君のノートを見てみた。京太郎くんの自主学習ノートは、製鉄所について具体的に調べてまとめていて、ぼくは面白いと思った。しかし、京太郎くんの字はとてもきたなくて、ぼくしか読めなかった。
他のクラスのみんなは「何この字、だれか読んでくれない」と、京太郎君のノートの悪口を言い始めた。
確かに京太郎くんの字は汚いし読みづらかったけれど、ぼくと京太郎君はお楽しみ会の同じ班で、輪投げを協力して準備している仲間だ。
ぼくは京太郎君がかわいそうだと思ったので、京太郎君に一票いれることにした。
第3段落 余白の文化の例
ぼくは「マンガには日本の余白の美がある」と読んだことがある。
日本文化の「余白」の美意識が、マンガの表現手法にも反映されていて、日本の伝統的な絵画、書道、建築などに見られる「間」や「静けさの美」といった価値観とも深く関係しているのだ。つまり、日本のマンガでは、「読者が余白を読む」という文化が強い。
ぼくは時々英語のコミックを読むこともある。英語のコミックでは、ナレーターが状況や主人公の気持ちをすべてセリフで説明してしまう。コミックの絵は小学生が描いたようながすごく単純なものだけれど、ナレーターの説明のおかげでストーリーが分かりやすくなっている。
ぼくは日本の漫画も英語のコミックも好きだけれど、英語のコミックは「余白」がない分、ストーリーが単純で、複雑な状況や心情が描くのが難しいので、子ども向けだと感じた。
第4段落 日本文化の「余白」とは
ぼくは日本人にとっての「余白」とは、外国人には理解しにくい不思議な力で、日本人の考えや芸術の中に強く影響をあたえているものだと分かった。