元の記事:痛かった思い出 (1105字)
utauta utauta 2025/08/03 08:20:19 51780
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「いっっっっっっった~」
痛い思い出は二つある。一つ目は私が二年生ぐらいの時に滑り台を顔から滑り落ちて、なぜか置いてあった石の角に鼻の下をぶつけた。血が出てしまった。その時はコロナが終わっていたのか分からないあいまいなときだった。だから父が在宅ワークを週に二、三回してくれていた。その時に、友達と遊んでいた。次の日病院に行ったけれど大丈夫だったから縫わずにすんだ。私はその時の痛みより、友達が「ごめん。私血が見れないから、、、本当にごめん。」と私は何も言っていないのに、私のことを考えて、あやまってばんそうこを普通に「あげる」と言ってくれたことだ。その時痛みが吹っ飛んでいった。家の隣の神社についている公園でのことだったから走れば三十秒で父に見てもらえたのに、ティッシュもばんそうこもくれた。友達の優しさはものすごく覚えている。そのけがのことを思い出すと、今でもその瞬間にいるかのようにしっかり思い出すことができる。その次の日の給食が私の好きな卵スープがでた。いつもは三回ぐらいお代わりするのに、その日はひと口目を食べようとしたら口が空けにくかった。理由は一つ。鼻の下にばんそうこを貼っていたからだ。私は鼻の下が伸びることの大切さについて衝撃を受けた。あれは私のこの衝撃だけで、まだロケットでもいけない宇宙の外の、端っこまで飛んでいけそうな威力だった。その日は卵スープを時間がオーバーしても残さないようにしっかり食べた。大変だった。
私の痛い思いで二つ目は、友達のホッチキスを直そうとした。そしたら間違えて自分の親指にホッチキスをしてしまったことだ。痛かったが友達のホッチキスが直せて、すごく満足していた。先生に友達が言ってくれて、保健室に連れてかれた。消毒をしてもらいばんそうこを貼ってもらった。いつ治ったのか何年生の時にやったのかもどっちの手にやったのかすべて覚えていない。実はあまり痛さも覚えていない。ただ友達の焦った顔と、私のなぞな達成感が覚えている。私は誰かが私のお陰で喜んでくれることが好きだ。ピクニックをしに行った時に「ウエットティッシュを忘れた!」となったときに私が持っていて、渡したときのありがとうという感じが好きだ。多分私が一番笑顔だと思う。その不思議な感覚は、雲の上にいてトランポリンをしているみたいにウキウキ、るんるんしている。
人間にとって痛みを感じることは必要だと思う。私は痛かったことをもう一度も繰り返していない。子供はダメなことを教えてもらう。こんなことをするとけがをするからしてはいけないと自分で学習することができたんだと思う。大切な経験だ。
「痛かった思い出。 ありがとう。」