元の記事:子供の世界は (1225字)
こうき aoseo 2025/10/20 09:31:00 54666
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10月2週
子供の世界は(感)
岡田航輝
子供は「ふしぎ」と思うことに対して、大人から教えてもらうことによって知識を吸収していくが、時に、自分なりに「ふしぎ」なことに対して自分なりの説明を考えつくときもある。例えば、せみの鳴くのを「お母さんと呼んでいる。」として、しばらく納得できるにしても、次第にそれでは都合の悪いことがでてくる。そこで、現象を説明するための話は、なるべく人間の内的世界にかかわらせない方が、正確になることに人間がだんだん気がつきはじめた。そして、その傾向の最たるものとして、自然科学が生まれてくる。自然科学の方法は、「ふしぎ」の説明として普遍的な話を生み出してくる。これがどれほど強力であるかは、現代のテクノロジーの発展がそれを示している。これがあまりに素晴らしいので、近代人は神話を嫌い、自然科学によって世界を見ることに心をつくしすぎた。しかし、神話を放棄すると、自分の心の中のことや、自分と世界とのかかわりが無視されることになる。せみの鳴き声を母を呼んでいるのだと言った坊やは、科学的説明としては間違っていたかも知れないが、そのときのその坊やの「世界」とのかかわりを示すものとして、最も適当な物語を見出したと言うことができる。
僕は、何かを不思議に感じることは大切なことだと思う。なぜそう思っているのかというと、不思議に思うと、新しい発想が生まれてきたりするからだ。
例えば、ニュートンは、万有引力の法則を見つけた。その時も、「なぜ」リンゴが上や横に落ちて行かないのかという「不思議」を解明しようとして見つけたものだからだ。このように、これまでに様々な研究者たちがいろいろなものを発明したり、開発してきたが、それはすべて「なぜ?」「どうして?」という不思議から生まれている。だから、不思議に思うことは大切だと思った。
僕が何かを不思議に感じることは大切なことだと思っている二つ目の理由は、不思議に素直になるとうまくいくことがあるからだ。
僕は小学四年生ぐらいの夏休みに、キャンプに行った。その時の夜、キャンプファイヤーに金属製の網をかけていた。その網からエメラルド色の炎が上がっていて、とても驚いた。その頃の僕は、炎は赤か青だけだと思っていたからだ。だから僕は、ちょうど夏休みだし、ということで、自由研究にした。その結果、赤、青、オレンジ、エメラルド、紫、黄色という、沢山の色の炎が炎色反応という現象によって作れることを知った。炎をエメラルドにするために必要なのは、銅だった。実験してみたいときには、青い折り紙を3枚くらい焼くと、エメラルド色になる。他にも、カリウムやナトリウムなどを使うことで炎色反応を起こすことができる。このように、自身の「なぜ?」「どうして?」に素直になれば、うまくいくこともある。
僕は、不思議に思うことで新しい発想が生まれてきたり、うまくいくことがあるので、不思議に思うことは大切なことなんだな、と思った。