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明日は3週目の作文の日です (829字)  きら kira 2026/02/20 15:41:44 59373   0  

土曜日の作文クラスのみなさまへ

 
 お世話になっております。
 お知らせが前日になってしまいました。明日が3週目の作文となります。

 文章を読んで構想を立てるところが、いちばん大切な、しかも楽しい部分だと思います。四行くらいにまとめて発表室にアップロードしてください。

【ベニバナ】芸術家が自分だけの道を突き進んだお話です。
〇上野の博物館で初めて縄文土器の異様な美に触れ、衝撃を受けた。いわゆる「日本風」とは正反対だったからだ。現代の日本は欧米ばかりに目を向け、全ての価値判断を預けている。しかし、欧米の文化自体が存在感を失いつつある。現代の日本文化と城門を起点とする日本文化のきわどいバランスを取りながら進んでいきたい。
 太陽の塔をつくった、個性的な作風で有名な岡本太郎さんの文章です。
 ここから二つの意見を挙げて良さを論じ、総合化しましょう。


【レンギョウ】観客のあり方、鑑賞法について述べられています。
〇大相撲を初めて見に行った時、観客席が四六時中騒がしいことに驚かされた。舞台と鑑賞者を空間的に分離する制度に慣れてしまうと大相撲や歌舞伎の楽しみ方にはじめは戸惑う。じっと息を凝らし、作品の世界に浸りきるという集中的思想はまだ無かったわけだ。聴取の態度は必ずしも自明のものではなく、芸術の享受或いは作品鑑賞という思想をバックボーンとして制度化された態度に他ならない。見る主体と見られる主体の隔たりは鑑賞という概念と連動しており、近代芸術における『美の自律性』という考え方である。一九六〇年代になると、この制度への批判として客を巻き込み偶然的要素を取り入れる場合が出てきたのだ。

 大相撲や歌舞伎は観客も一体となって創り上げる場です。ところが、近代からの芸術鑑賞は主客が切り離されたものになり、やがてその反動が起こってきました。やはり、一体となる場を目指そうと考え、方法をあげてみましょう。


 よろしくお願いいたします。


                      きら




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