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ゆうと aetoku 2026/04/10 18:54:07 61234
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イロリの社交は、家族や客人が同じ火をかこむことで心を通わせる社交であった。一家団欒とは、家族がおなじ火を共有することで成立し、火には人間を近づける不思議な力があった。イロリの四辺には座の秩序があり、戸主のすわる横座、主婦のカカ座、客座や下座などがきめられていた。火を共有しながら世間話をすることは、家庭の健在を示す象徴であった。このような火を中心とした結合は西洋の暖炉にも見られ、同一の火床を共有することが家族結合を強める点で共通している。さらに、調理の火を共有する「同じ釜の飯を食った」関係は、より深い親密さを生み出す。鍋料理や茶の湯も、共通の火と味覚を通して人間関係をつくる文化であり、火は実用性をこえて人間関係を調整する重要な役割を果たしてきた。火は人間の心を和ませてくれる。私たちはこのような非合理的な気持ちも大切にして生きていくべきではないか。
そのためには第一に、自分の心の声に耳を傾けることである。僕も、欲しいものものを買うときは直感で感じのいいものを選ぶことが多い。僕がシャープペンシルを買いに行った時に欲しいと思ったものがとても高かったので少し安いやつを買った。しかし、後から使ってみるとなんかしっくりとせず、結局使わないでしまってあるだけである。つまり値段や理屈で選ぶとあとから後悔することがあるが、感覚で選ぶと飽きが来ないと言うことなのだ。
また、社会の仕組みも、非合理なものを大事にするような余裕のあるものにするべきだ。この長文にもあるように、ルーズベルトは暖炉の近くでアメリカ国民に語りかけたとう言う話がある
確かに、熱や光を取るという目的がはっきりしているときに、合理的にその目的にかなった手段を選択することは大切だ。しかし、私たちはもっと非合理的な気持ちも大事にしていくべきではないだろうか。雑草とは、まだ、その美点が発見されていない植物のことであると言う言葉があるように非合理的なものの美点を私も発見したい。