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ゆうと aetoku 2026/04/12 18:31:23 61352
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ふつう死は心臓停止として起こるが、脳が先に機能停止におちいる場合、人工呼吸器によって脳死状態の身体を生かしておくことができる。そこでは死を抑止するテクノロジーの介入によって、生を手放しながら死を中断された「中間的身体」が生み出される。脳死が問題となるのは、脳死を人の死とみなすことで、この身体を人格性の拘束から解放し、「人ではない身体」「資材」へと転化する点にある。これは死を人間に役立つ「生産的な死」とする論理であるが、そこには非人間化という不気味さが潜んでいる。だが人間はこの不気味な状況を欺瞞なしに受けとめ、身を開きながらありうべき関係を探ってゆくほかはない。一方で移植治療においては、死に委ねられた臓器が他者において復活し、身体的生命は部分身体の受容と復活を通して、それ自身の論理を貫いている。我々は、技術の進歩に見合うだけの精神を持つべきだ。
そのための方法としては第1に、現実から目をそらさず、問題点を明らかにすることである。
また、方法の第2としては、問題に対しては、大勢でよく議論を尽くすことだ。平成21年5月21日から実施される裁判員制度は、実際の刑事裁判に一般の市民が関わり、裁判官と一緒に刑を決めるというものだ。他の人間の罪を裁き、その人生をも左右する裁判員には、将来、誰もがならなければならなくなる。皆で議論を重ねることが、ますます重要になってくるだろう。
確かに、技術の進歩は目覚ましく、人間の意識の方がついていけなくなりがちである。