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ゆうと aetoku 2026/04/19 19:00:00 61666
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何はともあれ、このようにしてもクラシック音楽への道はつけられる時代になった。圧倒的な便利さと引きかえに「傾聴」や「注視」が失われていくなかで、「真面目」で「傾聴を迫る」クラシック音楽が、おしゃれなファッションにさえなる。しかし、これがただちに啓蒙や普及につながるとは言いがたい。十九世紀の音楽観が要求した、有機的統一体としての音楽作品や、最初から最後まで聴きとおす体験の理念が、そこで受け継がれているかは疑わしい。切断してはならない音楽作品を切り刻むコマーシャルの十五秒は、作品全体を暗示しない個的で快楽的な現象にすぎない。長い一曲を全身耳となって聴きとおすときにこそ体験できる「作品」の意味連関からはほど遠い。こうしたあり方は、音楽そのものというより、受けとめ方がいつの間にか変容しつつあることを示している。クラシック音楽の一部分を15秒で流すような軽薄短小の文化に流されるべきではない。
そのためには、物事の原点に目を向けることだ。
第二には、学校教育などでもっとじっくりと物事を考える場を作ることだ。すぐに正解を出すことを要求する社会では、第二の田中さんや小柴さんは生まれない。生まれるとしたら、クローン人間でだろう
軽薄短小とは社会の流行ではなく、社会の病弊なのだ。
(まだかき途中)