元の記事:3,3週目 (883字)
あおもと aomoto 2024/03/15 21:32:38 30831 2
3.3週目
「私が市場へゆくみちは(感)」
私が 市場へ行く道はいかにも 自然発生的な細い 優しい道だ家と家との間に なんとなく作られた 人間の踏み鳴らした道だ。 ところが その道は 最近が 敷かれてしまった。 夏の日など加護を下げて歩いてみるといかにも ムンムン して照かえしがきつい。 それに何とも風情がなくなった 。私は 舗装されたのを残念に思った。 新たに作った高速道路のようなものなら誠に立派な 舗装があってしかるべきだと思う。 しかし ほとんど 車も通らない 昔ながらの通り 路のような ものまで舗装する必要は果たしてあるだろうか。 一応足転で足裏がゴロゴロすることもなくて 歩きやすいようではあるが幅1mありやな シアのこんな細道がベタッと 黒く アスファルトを塗られているのはい たましくさえある 。もちろん 舗装された道も 場合によっては大切である。 埃を浴びせかけられる街道筋の家のドア 気の毒で見られない。 一刻も早く 舗装しなければ道筋の家は窓も開けられない。 だが 道が一番道らしいのは人の暮らしを 暖かに支え 色々なものを発見することができる 踏みしめられた道である 。このこと だけは忘れてはならないのだ。
僕も幼稚園のとき田舎道からときどき歩いて保育園までいっていたことがあったりとか前まで土の道だったところが今はコンクリートに変わってると言う事があったりもする。
このように最近は田舎道で田んぼが広がっていても道はコンクリートになっていることが多い。
人工的に作って良かったことは昔は車や洗濯機がなかったが今になると当たり前のようにつかっているからそこのところに関しては便利だと思う。このように人工的なものがあるからこそ今の生活があると思う。だから機械などがない時代のなかで過ごしてきたひとはすごいなと関心した。
人間にとって自然的な道とは昔のふうけいやコンクリートとは違いちょと変わった親近感が出るということなのかもしれないこれからも色々なところがコンクリートに変わっちゃうかもしれないけどこれからは自然の地面も大切にしていきたい。