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こたつ akiriyo 2024/03/18 18:53:36 30958 2
ある会社が香港で現地の人間を採用しようと求人広告を出した。それには「日本語のできる人を求む」という文言があった。すると大勢の香港人が「我こそは日本語が達者である」と押し寄せた。会社側は大いに喜び、面接を開始した。すると殆どの人が「コンニーチハ、サヨナーラ」程度しか話すことができなかったという。これを日本ですれば結果は大きく違っただろう。なぜなら、日本人には「謙譲の美徳」というものがあるからだ。「謙譲の美徳」というものがあるから日本人は「英語が話せますか?」と聞かれたときにそこそこ喋れても「少しだけ」と言う。私は日本人はもっと自信をもった評価をするべきだと考えている。それには二つの理由がある。
第一の理由は、自信を持った評価をすることで自他ともに、自身という価値を見直し正しい評価を望むことができるからだ。例えば、あなたは英語を喋れますかと聞かれたときに多少しゃべることができるだけでも、「はい」と答えたほうが「そこそこ」と答えるよりも喋れるという事実は変わらなくても高い評価が付くだろう。私自身も数年前に塾で「あなたは数学の~~~という問題を解けますか?」と聞かれたときに「まぁそれなりに」と答えた。すると、完璧にできないのなら練習しましょうと言われタスクが少し多くなったことがある。この時、実際は解くことができていたのだが自信満々にできるといって間違えては顔が立たない。そのため控えめに「まぁそこそこ」と答えた。その時はそれがあだとなるとは思いもしなかった。
第二の理由は、自信をもって評価することは、自身の成長につながるからだ。それは、謙虚になってばかりでは成長のチャンスを逃してしまう一方で、自信をもって自己を評価することで能力を発揮し成長のチャンスをつかめるからだ。仕事の目的(朝日新聞社1997年)というデータを見てみると、収入が目的だと答えた人が30代では75%。生きがいと答えた人が16%だということが分かる。私は生きがいと答えた人の少なさは謙虚になってしまうことが原因の一つだと思う。それは、自身の能力を存分に発揮できるようになれば、生きがいと答える人の割合が増えると考えたからだ。
確かに、日本人の「謙譲の美徳」という精神は美しい。そのうえ、謙虚にならなければならない場面は幾多もあるだろう。だが、そこで謙虚になってばかりではいけない。それは「短所をなくすいちばん良い方法は、今ある長所を伸ばすことである。」という名言があるように、自己の良い面を自信をもって評価することで、長所といえる能力を伸ばす機会を獲得できるからだ。