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鳥の村


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6.3 (1059字)  ゆうと aetoku 2025/06/23 21:47:04 50152

現代は専門家たちの時代であり、学術や企業活動の場で専門化が進んでいない。しかし同時に、「専門バカ」たちの時代となる危険性も孕んでいる。専門家は塀の中のことは詳しくても、塀の外のことには無知であり、外の世界に目を向ける余裕もない。一方で、自分の専門外の事柄についても理解し、思慮分別ある言論を展開できる人たちがいる。そのような言論の基盤は、専門的な知識や技術ではなく、常識や一般的教養にある。常識とは「エンドクサ」、すなわち人々に共通な見解であり、非専門家が論じる際の拠りどころだ。また、専門家が大衆を相手に語る際にも、常識を通じてでなければ理解されない。常識は時代や社会によって異なり、必ずしも精確ではないが、通俗化された専門知識によって形成される常識は、知識に次ぐ確かさをもつ。そして、より知恵を伴う言論の基盤となるのが教養であり、それは専門家になるためではなく、一個の素人としての自由人にふさわしいものとして学ばれるのである。
そのための方法としては第一に、得意な分野、好きな分野以外のことや、一見無駄に思われるようなことにも目を向けることである。たとえば、普段は関心のないジャンルの本を読んだり、異なる価値観を持つ人の話に耳を傾けたりすることで、自分の視野を広げることができる。そうした経験の積み重ねが、柔軟な発想力や多角的なものの見方につながっていくのだと思う。
また、第二の方法としては、学校などでも知識をただ一方的に詰め込むだけの教育ではなく、生徒自身が「なぜ学ぶのか」「どう活かせるのか」といった問いを持ちながら、主体的に学んでいけるような教育を行うことである。そのためには、理系・文系といった枠にとらわれず、多様な分野に触れ、幅広い教養を身につけることが求められる。
確かに、一つのことに専念し、深く追求していくことも大切である。それによって得られる専門性は、社会の中で自分の強みとなり、貢献できる場を広げてくれるだろう。しかし、『辞書のような人間になることではなく、辞書をうまく使えるような人間になることが勉強の目的である』という名言があるように、知識をただ蓄えることが目的ではない。必要な知識を状況に応じて選び取り、活用できる力こそが本当の「教養」なのだと私は考える。
だからこそ私は、今後も自分の専門だけにとどまらず、様々な分野に興味を持ち、自分の世界を少しずつ広げていきたい。そして、幅広い教養を身につけることで、多様な人々や価値観とつながり、より深く世界を理解できるような人間になりたいと思っている。




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