※講師が書いた記事は、参加者にメールで連絡が届き、記事が茶色の文字で表示されます。
生徒が書いた記事は、参加者にはメールは行かず、記事が黒色の文字で表示されます。
生徒が書いた記事は、発表室に表示されます。限定表示にすると、先生だけに表示されます。
私達が日常(感) (954字)
こうき aoseo 2025/11/14 19:54:09 55649
11月14日金曜日
岡田航輝
①
・要約
私たちが日常、ことばを使っているときは、普通表される内容がまずあって、それを持って運ぶ手段としてことばがあるというふうに考えています。私たちの日常の生活では、ことばのきまりというものが習慣的に決まっています。そして、私たちはいちおうきまりの範囲内でことばを使うことで満足していて、それを超えるというようなことは比較的まれです。前に言いました二つのことばの使いかた――経験が先行してそれをことばで表すことと、ことばが新しい経験を生み出すこと――これは「伝達」と「創造」ということでとらえることもできますし、あるいはことばの「実用的」な働きと、ことばの「美的」な働きと言われることもあります。この後者のほうは詩のことばに典型的に見られるということで、ことばの「詩的」な働きという言い方をすることもあります。
・意見
僕は、詩的な言葉も大切にしたほうが良いと思う。
②
・理由1
実用的な言葉しかないと、会話が楽しくなくなってしまうから。
・実例
実用的な言葉のみで話をすると、雑談はほとんどなくなってしまい、授業などでは必要な言葉の、「授業開始」や「終了」のみのたんたんとした感じになってしまい、人間味がなくなってしまうと思った。
③
・理由2
ダジャレは基本的に、生活に必要なものはないと思うけれど、時々使って場の雰囲気を和らげたりできるから。
・実例
この前、休み明けに会話が弾まなくなってしまっていた班があった。しかし、その班の中心的な人がダジャレを言った途端に、周りの人たちが「さっむ」とハモってしまい、笑っていつもの空気を取り戻すことができていた。このように、必要のない言葉でも、場合によっては使うことも大切だし、友好関係も築いていったほうが良いと思った。
④
・ことわざ・名言
⑤
反対意見への理解
僕は、必要な単語だけでもいい、というのもわからなくはない。一応それで理解できるし、必要なこと以外の情報が入ってこずに頭の中もスッキリしているかもしれない。しかし、そうすると会話が弾まなくなってしまったり、友好関係があまりうまくいかなかったりしてしまうかもしれないから、やっぱり詩的言語も必要なんじゃないかな、と思った。
・結びの意見
実用的な言葉のみよりも、やっぱり詩的な言葉も取り入れたいな、と思った。