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信彦 aohita 2025/12/01 16:58:45 56279
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自分は、日本語の書きことばにおける漢字とカタカナの扱われ方に長く違和感を抱いてきた。漢字が強い権威を帯び、カタカナが擬音語などの補助的な役割に押し込められている一方で、欧米由来の学問名や人物名だけはカタカナが突然高い威信をまとう。その転換は、本来が漢字ではない語を音で示す場合に限られ、逆に漢字由来の名をカタカナで写すと強い拒否が起こる。日本人が漢字表記に安心するのは、音を捨てて文字の「原型」に寄りかかる姿勢にほかならず、そこには本質的な交流の欠如がある。実際に人と関わるとき、自分は相手が名乗った音をそのまま受け取り、その音こそ唯一の名として心に刻む。紙の上だけの読み替えでは届かない関係が、声によって初めて成立する。文化交流が直接的な関わりへと近づくほど、名前は記号ではなく、相手そのものを結ぶ音として扱われるべきだと確信している。僕は、言葉に愛を込められるような生き方をしたい。
いい方に取る。
よく感知替えでものを言い、怒られる
ポジティブに生きる
学校で、相手を支えるときに、自分が、安定してない時はできなかった。