元の記事:12/19 俊廷作文メモ (1800字)
JT aetasi 2025/12/19 17:13:00 57170
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第1段落
どの国の食事にも、さまざまな制限や規則が習慣として存在するが、同一の食物の食事全体における価値が、文化によって異なるときに、難しい問題がおきる。筆者が外国人の家庭で、白いご飯を見ておかずも一緒に食べようと思った失敗は、外国の食文化の構造を考慮せず、日本の食文化の構造に従い日本的な価値を与えようとしたことが原因だ。文化の単位をなしている個々の項目は、他の様々な項目との間で相対的に価値が決まっていくものだ。これは食文化だけでなく、外国語を学習する際にも同じである。自国語の構造を自分では気づかずに、外国語に投影して理解するという方法をしていると、色々と食い違いが生じてくるのも当然といえる。
ぼくが、この話を読んで印象にのこったのは、同じ白いご飯という食物でも国によって意味が異なるのは、それに価値を与える全体の文化の構造が違っているからだということだ。
第2段落 台湾と日本の食べ方の違い
・台湾も日本と同じで、主食はお米だ。学校の給食も、毎日ご飯がでる。
・台湾では、給食の時に自分の食器を持っていき、自分でおかずをよそるスタイルだ。あるとき、ぼくはお皿の上にいくつかのおかずをよそり、ご飯はお椀によそった。
すると「なぜ、ご飯の上におかずを置かないのですか。周りの子を見てごらん」と、先生に注意された。
・周りの友だちは、大きなお茶碗の中にご飯をよそり、その上におかずを置いていた。まるでどんぶりのようだ。
・家でお母さんには、いつも「おかずとごはんは別に食べなさい。白いご飯を汚すのはお行儀が悪いよ」と言われていたし、おかずが混ざるのは嫌だし、とても戸惑った。
・台湾の祖父母の家でご飯を食べるときのことを思い出した。全てのおかずは大皿で、皆でとりわけて食べる。一人一人に、大きなお皿一枚とお茶碗が一つ配られる。しかも、ご飯を入れるお茶碗とスープを入れるお椀の区別がない。
・お母さんは、ご飯とスープをどちらも食べたいのに、お椀が一つしかないのが不便だし、取り皿を一つしかないから、お皿が汚れていくのが困ったと言っていた。台湾人のお父さんは「ご飯にのせると、もっと美味しくなるよ」ともりもり食べていた。
・きっと、台湾の料理は味が濃いし、ご飯に合うおかずが多いから、みんなご飯にのせて食べるのではないかと考えた。一方、日本食は味が繊細だから、別々に味が混じらないようによそる必要があるからではないか。
また台湾のおばあちゃんは食事の後は洗い物が少ない方がいいと合理的なところがあるけれど、日本人のお母さんは、食べ物は味だけでなくて、お皿へのよそり方や食べ方も大事だと食事の盛り付けや作法も重視していた。
日本は食事の作法がたくさんあるから、きっと外国の人が日本に来たら慣れるのが大変ではないかと考えた。
第3段落 日本で自分の箸をもらったこと
台湾もお箸で食べる国だが、日本とは違うところがある。ぼくはいつもご飯の前にお箸やお椀を準備するが、台湾ではお父さんやお母さんの箸など、誰の箸と決まっていないから、全部同じ箸を置いていくだけだ。
日本のおばあちゃんの家に行ったときのことだ。夜ごはんができたよと食卓へ呼ばれていくと、おばあちゃんがぼく用のお箸とお茶碗を用意してくれていた。ぼくは、初めての自分のお箸とお茶碗を見て、すごく嬉しくなった。なぜなら、ぼくも一人前の人として認められた感じがしたし、おばあちゃんが自分のために選んでくれたからだ。
なぜ日本は自分だけの箸があるのかと不思議に思い調べてみると、個人専用の箸が決まっていることを「属身具」とよび、日本の歴史と文化に理由があることが分かった。一つ目は、宗教的・精神的な理由だ。古来日本では、お箸には使った人の魂が宿ると信じられていた。また食事は神様と共に行う神聖な儀式と考えられており、箸は人と神様とつなぐ大切な役割があったため、個人専用のお箸を使うようになったのだ。
二つ目は、日本人の衛生観念の高さだ。日本では古くから口をつけるものを共有しないという感覚があり、清潔さを重んじる日本では個人専用の箸が自然と定着していった。
三つ目は、江戸時代から明治にかけて「箱膳」による自立した食習慣があったことだ。一人一人が自分専用の食器セット(箱膳)を持つのが一般的だったので、お箸でなくお茶碗など個人の食器を持ち管理する習慣ができたのだ。
第4段落 まとめ
食文化の違い