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ゆうと aetoku 2026/03/17 18:55:14 60371
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大相撲をはじめて見にいったとき、取り組み中も観客席が四六時中ざわざわしていて、緊迫感がないことにとまどう。立ち会いの瞬間も注意していないと見逃してしまう。これは一枡四人で食べ物を拡げ、酒やビールを呑みながらおしゃべりをし、お茶屋のひとがひっきりなしに出入りするからである。演ずる者と見る者を空間的に分離する制度に慣れていると、こうした楽しみかたに戸惑う。しかし西洋の演劇や音楽も、もともとはざわついた社交の場で行われ、「音楽のあるパーティー」のようなものであった。聴衆はおしゃべりや喫煙、トランプまでしていた。じっと息をこらして作品に集中する「集中的聴取」は自明ではなく、「芸術鑑賞」という思想とともに制度化された態度である。そのため演ずる者と見る者、他者と主体を隔てる装置として、劇場やコンサート・ホールが建造された。
私も将来、演奏をしたり展示をしたり公園を作ったりするときに、常に観客の参加を考えていきたい
そのためには、第一に、参加による混乱を恐れないことである。
第二には、上に立つ人が何でも自分でやりすぎないことである。明治維新が成功したのは、西郷隆盛や勝海舟という、それまでの権威にとらわれない若い人たちが活躍することができたからである。
確かに、静かに聴取する演奏会のような場があってもよい。しかし、これからは観客参加を考えていく必要がある。家の批評ができるのは、建築家ではなくそこに住む人なのである