| 許し許される権利 |
| アジサイ | の | 滝 | の広場 |
| ペー吉 | / | うき | 中3 |

| あいつが憎い。あの人が恐い。あれは奇麗だ。君が好きだ。そういった物事 |
| への認識はすべて、心の働きによるものである。心という言葉の意味を表わす |
| のは難しいが、敢えて言うならば、それは「感情であり理性」である。筋力や |
| 財産といった物理的なものでなく、極めて精神的な部分で作用するのが心であ |
| る。さまざまな動植物が心を有しているが、その中で最も心に影響を受けるの |
| は、私たち人間であろう。何故なら私たちは社会的動物と言われるように、集 |
| 団の中で…つまり様々な心の入り乱れる中で生活し、さらに「言葉」によって |
| 、より心が表わしやすい(或いはわかりづらい)環境にいるからだ。そうした |
| 中で、当然様々な人間関係の問題が起こってくる。一言で言うなら、それらは |
| 全て「心のすれ違い」である。 |
| 心がすれ違うというのは、「相手の気持ち」になれないことから起こる。も |
| ちろん、相手の心を把握することなど誰にもできないが、相手を理解する、或 |
| いは相手の心を推測することはできる。それによって円満な解決へ結びつくこ |
| ともあれば、泥沼にハマることもあるだろう。だが、何もしないでいじけるよ |
| りは遥かに物事が進歩するはずである。私はインターネットという環境に身を |
| 置いている。ネット上では、過剰な程にマナーや気配りが重視される。相手の |
| 正確な素性もわからないし、何を好み何を嫌うのかもわからない。しかも、表 |
| 情や声色はなく、コミュニケーションはただ文字のみ。相手の心情を推測する |
| 手段が、絶対的に足りないのだ。だから、インターネットでは相手の心を必死 |
| に読み取る。普段は割合気楽に話しているのだが、意味のとりづらい一文の解 |
| 釈でムードが変わってしまうこともあるので、冗談の範囲のON/OFFが手軽に出 |
| 来なければならない。インターネットは、私に他者を大切にすることの大切さ |
| 、難しさを教えてくれた。 |
| つまり、他者のことを本当に考えることができ、そして他者をよく理解し自 |
| 分を譲ることができれば、心のすれ違いというものは起こらない。だが、現実 |
| にはそれほど単純にはいかない。人の心には、それを有している本人でさえわ |
| からない部分があるからだ。だから、私たちに真に必要なのは「他者の気持ち |
| 」になることでなく、「他者を許す」気持ちだ。互いを許し認め合えば、問題 |
| は問題でなくなり、心の悪影響は小さくなっていく。 |
| 確かに、他人におべっかばかり使っていては自分を見失ってしまう、という |
| 意見もあるかもしれない。しかし、私たちが社会の中で生活する以上、ある程 |
| 度の妥協は必要なのだ。確かに見失ってはいけないMyselfというものはあるが |
| 、同様に他者にも、失くせないOneselfがあるのだ。それを互いに知り、互い |
| に認め合ってこそ私たちの集団生活は豊かになっていく。心はやさしさをもっ |
| ていく。「言葉ひとつ足りないくらいで全部壊れてしまうような かよわい絆 |
| ばかりじゃないだろう さぁ、見つけるんだ 僕たちのHOME」。B’zの名曲「 |
| HOME」の中のフレーズだ。角川書店のCMにも使われたので、知っている人も多 |
| いかと思う。他者の、そして自分の心を理解していくことは難しいが、それを |
| つなぐのは言葉の橋である。言葉が足りなかったとしても、許し合う心があれ |
| ば人の関係は平和になっていく。私たちは、心を理解しようとする心、そして |
| 、理解しきられることがないと理解する心を持った生き方が必要だ。 |