| 散らかっている部屋 |
| イチゴ | の | 池 | の広場 |
| 太一 | / | あうけ | 中1 |
| 産業革命以来、機械は人々の生活を豊かにする打ち出の小槌の役目を果たすと |
| 思われてきた。そしてその進歩はイコール人類の幸福につながるとも信じられ |
| ていたのである。だが最近になって、それだけがすべてではないということが |
| 、反省されるようになった。経済の高度成長下にあっては、その目的を達成す |
| る一番有力な武器は、工学的な発想と、工学技術であった。だが、今やその行 |
| き過ぎがいろいろな面で見直されようとしている。それを補う最も有力な武器 |
| は、生物学的な発想であろう。「20世紀は機械文明の時代であったが、21 |
| 世紀は生物文明の時代になる」これもまたそのことを示唆すると見てよいであ |
| ろう。そしてこれまでの建築は芸術性と工学的な技術に重点がおかれていた。 |
| 建築学が一つ一つの独立した建物を作る技術であった段階ではそれでよかった |
| のだが、インテリアというミクロの空間にまで細分化されてきた現在では、そ |
| の底流に生物学的なもの物の見方、考え方がしっかり根を下ろしていないと建 |
| 築もインテリアも本当に人のためにはならないということが今反省されようと |
| している。 |
| 僕は、少し散らかっている部屋のほうより、片付けられている部屋のほうが |
| 好きだ。だけど、例外はある。例外とは「机の上は散らかしておく」だ。机の |
| 上は、勉強にも使うし、その他いろいろなことをやる場所なので、散らかって |
| いるとそういうことに集中できなくなって困る、という人もいるかもしれない |
| が、僕にとってはそれが楽しいのだ。まず、机で勉強をはじめるとき、鉛筆と |
| 消しゴム用意しようとする。しかし、前、机の上で勉強をやったあとにどこか |
| に埋めてあるので、これを探すのに少々時間がかかってしまう。けれど、僕は |
| 幼心に戻って、宝捜しをするように本とかをかき分ける。それが楽しい。そし |
| て勉強中も、片付いてなにもない机だとなんかさびしいが、散らかっていると |
| 、本とかに囲まれているような気分になって、落ち着く。僕はもともと狭い部 |
| 屋が好きからだ。 |
| 片付いている部屋は整然としていて、人を家に招待したときなどはこちらの |
| ほうがいいが、そこに住むと、やはり僕でも散らかしたくなるに違いない。 |