| 専門家→千門家 |
| アジサイ | の | 滝 | の広場 |
| 拓馬 | / | ねき | 中3 |
| 現代は専門家たちの時代であるというべきかもしれない。それだけに現代は |
| 「専門バカ」たちの時代となる危険性もおおいに孕んでいる。専門家は一歩専 |
| 門外にいくと、たちまち無知になる。常識さえもおぼつかない。専門家でも、 |
| 教養のある人間が必要である。 |
| これは、幅の広い経験、知識から得るものだ。決して、何十何百という本を |
| 読んで得るものではない。一見その人のやっていることと関係のないようなこ |
| とでも、実はいろんな人の考えを理解するのに役立っていることもある。「専 |
| 門」という一面性から見た結果と、「社会」という多面性から見た結果には、 |
| 大きな差が出ることはいうまでもない。 |
| また、隔離された空間からはなれる必要がある。世間から隔離された空間に |
| いると、どうしても一つのことだけをやろうとしてしまい、またそれを悪用す |
| ることもある。例えば、もしニュートンが研究室の中で延々と何かの研究をし |
| ていたら。彼は、ごく一般的な専門家で終わっていたろうし、研究室の試験管 |
| が落ちても、「また研究費用が苦しくなったよぉ」とか、情けないことをいっ |
| ていただけだろう。このように、隔離された空間は、発見さえも奪い去る。 |
| 確かに一つのことを徹底的に遣り通すのもいい。しかし、本当に一つだけで |
| は、世間では決してまかり通らない。常識や教養といった、自由人として生き |
| ていけるだけのものが必要である。私は、広く広く、多くのものをものを見れ |
| る「千」門家になりたい。 |