| 日本文化は滅ばない ver.1.0 |
| アジサイ | の | 道 | の広場 |
| UZI.SMG | / | そお | 高1 |
| 日本文化は滅ばない |
| 文化とは、「その人間集団の構成員に共通の価値観を反映した、物心両面に |
| わたる活動様式。また、それによって創り出されたもの。」である。文明とは |
| 、「農耕・牧畜によって生産したものを主な食料とし、種種の専門職の従事す |
| る人々が集まって形成する都市を中心に整然と組織された社会の状態。」であ |
| る。「科学技術文明」とは、「農耕・牧畜+科学技術によって・・・」なのだ |
| と思う。さて、現在日本では「文化」が「科学技術文明」によって脅かされて |
| いるとよく言われる。一方、その「科学技術文明」の生みの親であるヨーロッ |
| パでは、「科学技術文明」が「文化」の延長線上にあるからそんなことは問題 |
| にしない。問題になったとしてもあくまでも「自己批判」にとどまった。ここ |
| では日本の文化とは何か、どうあるべきかを考える。 |
| 注)ここからは、和服とか和食のように「和」のつくような言葉に代表さ |
| れる世界の中でも日本にしかないようなものを「日本伝統文化」「純和風文化 |
| 」と呼ばせてもらう。そうでない場合は単に「日本文化」と呼ぶ。 |
| 日本に科学技術文明がもたらされたのは明治になってからと言って良かろう |
| 。しかも凄まじいスピードで急激に流入してきた。そんな中日本で最初に「日 |
| 本民族の伝統文化の消滅」に危惧したのは、日本民俗学の始祖、柳田国男だ。 |
| 彼は、それまで何百年に及んで脈々と受け継がれた日本民族の伝統が、瞬く間 |
| に日本人の中から消えゆくのを実感する。そして地方の昔話や習俗や信仰を記 |
| 録して消滅をさけるようにした。しかしその努力もむなしく彼の予見通り今で |
| はそういった民族の習俗は忘れ去られている。日本人が持っていた固有の、い |
| わゆる純和風文化はもはや虫の息ではないか。そして逆に欧米文化が日本を支 |
| 配している。しかも欧米文化にあこがれすら抱いている。(そうなった理由の |
| 考察は今はさける)確かに良いところは受け入れるべきだが、日本人らしい独 |
| 自の伝統文化も捨ててはならないと思う。 |
| しかし日本の伝統文化に固執する必要はあるのか? 柳田は日本人が伝統文 |
| 化を忘れることを恐れ、民俗学を開いたが、日本民族共通の価値観の中に伝統 |
| 文化がなくなってしまえばそれはもう学者の中での研究議題にすぎなくなる。 |
| つまり文化とは、<現在>の民族が共通して抱く価値観であり、時代とともに |
| 常に移ろい、変化・刷新されるものであり、古いものは消滅していく。だから |
| 「日本の文化」を考える際には、「欧米文化」と「日本伝統文化」と言うよう |
| に区切って考えるべきではないのだ。それは古い、近代の発想だと思う。現代 |
| の発想でいけば、たとえ「欧米的文化」と「純和風文化」(現在と過去)が雑 |
| 居しようと、外から見れば一つの「日本文化」であり、二項対立の考えは捨て |
| ろというのだ。本当の「日本文化」とはどっちなのか、と悩んでも、「純和風 |
| 文化」も「現在の日本の文化」も本物である。「科学技術文明が日本の文化を |
| 脅かしている」と考えてしまうのは、この悩みを抱え込んでいるからだ。くど |
| いようだが、「純和風文化」こそ本物に違いないと思うからこそ悩んでしまう |
| のだ。しかし大切なのは、そういう二項対立の考えを持った上であえて割り切 |
| ると言うことだ。 |
| 「あらゆる思想はその時代的特質を持っている。そして、それは時代の移ろい |
| とともに歴史の中へ織り込まれなければならない。」と言う言葉がある。これ |
| は文化にも当てはまる。つまり、「あらゆる文化はその時代的かつ民族的特質 |
| を持っている。そして、それは時代の移ろいとともに民族の歴史の中に織り込 |
| まなくてはならない。」のである。時代的にと言うのが要点であり、この言葉 |
| が、文化というものが時間軸の変化と伴って千変万化することを示す。だから |
| 、日本の文化はかたちこそ変えるが(その変化は時には大きいが)、日本民族 |
| が滅ばない限り永久に不滅なのである。 |