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| | これぞ職人の心 |
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| | 健太 | / | いせつ | 小5 |
これぞ職人の心 |
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今も日本はすばらしい手仕事の国である。西洋では機械の働きがあまりにさかんで、手仕事の方はおとろえてしまった。欧米の事情にくらべます |
| と、日本ははるかにまだ手仕事に恵まれた国なのに気づく。しかし、残念なことに日本では、かえってそういう手の技が大切なものだというかんが |
| えが広まらなかった。しかし日本の固有な美しさを守るために手仕事の歴史をさらに育てるべきだと思う。興味深いことには、ほうぼうでめぐり合 |
| った手仕事による品物は、それがどんなに美しい場合でも、一つとして作った人の名をしるしたものはない。ところが近世の「美術品」と呼ばれて |
| いるものを見ると、どこにもみな銘が書き入れてある。または落款がおしてある。じつに多くの職人たちはその名をとどめずにこの世を去っていく |
| 。しかし、かれらが親切にこしらえた品物のなかに、かれらがこの世に生きていた意味が宿る。かれらは品物で勝負している。物で残ろうとするの |
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たとえば、よく女の人は、バック一つに、非常にこだわる。シャネルとか、グッチとかいったどこの誰が作ったバックということは関係なくブラ |
| ンド品に引かれて、たかくても、かってしまう。その一方、皮から作られているバックは、ブランド品ではないが、つくった人物のこころがこもっ |
| ているが、機械でつくられたバックはつくった人の心はこもっていないし、少し雑なところがある。 |
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また、お正月に友達から、手作りの年賀状をもらうと、パソコンで作った年賀状をもらうのでは、手作りの年賀状をもらう方がうれしい。その理 |
| 由は、パソコンで作った年賀状は、作った人の気持ちがあまりこもっていないからで、手作りの年賀状では一文字一文字手書きなので書いた人の気 |
| 持ちがよくこもっているからなのだ。僕はこの前のお正月には自分でほった版画をつかって年賀状を出した。一枚一枚の年賀状が少しずつ違って同 |
| じ物がない、という事がとても良かった。 |
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職人と美術家では似ているようで非常に違っている。立派な作品を世の中に送り出す事立派な作品を世の中に送り出す事に専念して、歴史に名を |
| 残すわけではない、だから、作品に個人の名をどこにも書かないが、ごく一握りの職人が非常に優れた作品を作り歴史に名を残すのだ。しかし美術 |
| 家の場合、立派な作品を世の中に送り出す事は職人と同じだが、歴史に名を残すといった事も職人と違い、積極的に作品に個人の名をどこかにかな |
| らずかいておく、これが美術家。 |
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僕の祖母もよく僕にいろいろな服を作ってくれるが、どこにも自分の名前を入れない。これは祖母がぼくのことを思ってくれている証拠である。 |
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いくら無名な職人でもその作品には、その職人の魂が注ぎ込まれているから、決してばかにしてはいけない |
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