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|   | 生きること・死ぬこと | 
|    | アジサイ | の | 池 | の広場
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|    | 佐保 | / | あるま | 中1 | 
   動物の場合、われわれの死の概念自体がずいぶん違う。生きることでなく死ぬことにそれほどの意義があるのだろうか。動物は生というものが最 | 
| 初から死をその中に含んでいることを承知している。又、死は目前にあり、誰もそれを忘れたふりををしたりはしないのである。私は、人間ももっ | 
| と「生きること」や「死ぬこと」の感覚を、生活に取り戻すべきだと思う。 | 
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   第一の理由は、人の「生きる」や「死ぬ」という感覚が鈍いと、相手を簡単に傷つけることになるからだ。例えば、テレビゲームでAボタンを押す | 
| と、簡単に相手が死んでいなくなってしまい、又、自分(プレイヤー)が命を落とせば、セレクトボタンで命が復元されるというようなものがある | 
| 。このようなゲームをしていては、現実でもボタンひとつで人を無くし、自分も生き返ることができるという感覚を、心のどこかに持つようになる | 
| だろう。特に、最近のゲームは進化するばかりで、本物そっくりの人間がプレイヤーとなって、又相手となり倒し合い(殺し合い)をするゲームも | 
| 出ている。こんなことではたくさんの人が傷つけられることになり、あるいは命を落とすことになってしまうだろう。 | 
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| □第二の理由は、人間だけが(動物などを)狩ることが出来るからといって傲慢になるのはよくないからである。人間というのは他の命がないと生 | 
| きていけないものである。しかし、だからといっていくらでもとり放題ではない。他の命をありがたく思うことである。私の母は小さい頃から、 | 
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   「全部食べてあげんと魚が泣くよ」 | 
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   と言って聞かされた。それも、母の「魚の命」を晩ご飯にさせてもらった感謝の気持ちだったのだろう。 | 
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   確かに、戦争などの「生きるか死ぬか」が不安定な暮らしは、安全に暮らすためには必要がない。けれども、 | 
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   「多すぎる休息は少なすぎる休息と同じように疲れさせる」 | 
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   というように、あまりに安全であって、他のものの「死と生」を知らないと、人間の感覚は他のものに対して鈍感になってしまうのではないか。 | 
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