| 玉は磨くべし!! |
| アジサイ | の | 谷 | の広場 |
| 拓馬 | / | ねき | 中2 |
| <img |
| src="http://cgi3.tky.3web.ne.jp/~shine7/ib/ib084/img19990313164650.gif |
| http://"> |
| ある科学者が、ある実験を成功させるために、最終的に「ひらめき」があっ |
| たとしても、学会に発表する時に、まさか「突然ふと思い付きまして……」など |
| とはいえない。その時は、あたかも自分が論理的にその実験を成功させたかの |
| ように、「これこれこういう仮説をたてまして……」という風にいうのが適切だ |
| ろう。そこで、その人が本当はどのようにしてその実験を成功させたかを考え |
| る人はいない。みなその人のいう通り、論理的に成功させたと思う。しかし、 |
| 科学も技術も、普段思われているのとは異なって、ずっと人間的なものなので |
| ある。 |
| だれでも、偶然やひらめきから何かを見つけたということは多いのではない |
| だろうか。私の場合、絵を描く時などにそういうことがある。いつだったかは |
| 記憶にないが、右脳の発達が遅い私は、「創造」というのが苦手であった。そん |
| な私に、過去の私の担任の教師が、図工の時間に、「なにか絵をかけ」という |
| 無理難題を手がかりを与えることも無くつきつけてきた。当然私は、何がなん |
| だかさっぱり分からず、まさしく五里霧中の状態になってしまった。そんな私 |
| がした行動は、ずばり、窓の外を見ることであった。私は何も考えずに流れる |
| 雲を見ていた。ここで私はひらめいた。「そうだ、先生が何も教えてくれない |
| なら、雲にきこう。」と。そして、その雲の形が、クジラに似ていることに気 |
| がついた。ここまでいけば、あとは述べる必要はないだろう。そう、私はダチ |
| ョウの絵を描いたのだ! というのは冗談で、おぼろげながらクジラという偉大 |
| な生物の描写に成功したのだった。このように、偶然というのは、必ず自分を |
| 助けてくれる。そして、その偶然を、自分の右脳のひらめきでなにか形にかえ |
| ることが必要なのだ。右脳の弱い私でもできたのだから、みなできるはずだ!! |
| 「数学の王様」と呼ばれているフリードリッヒ・ガウスという人は、8歳の時 |
| に「1から100までたしたらいくつか?」という問題を出された。正直な人なら、1 |
| から100まで順々にたしていくだろう。しかし、ガウスは、1から100までの列 |
| の下に、100から1までの列を考え、上下二つの和が、どこをとっても101である |
| ことを瞬時に考え、(101×100)÷2=5050という式をたて、先生を驚かした |
| という。この才能を見抜いた先生と領主は、頑固な父を説き伏せ、大学の学費 |
| を全て引き受け、ガウスを立派な数学者に育て上げた。 この話からも分か |
| るように、偶然があって、ひらめきで何か出来ても、さらにその才能を見抜き |
| 、何か手助けをしてくれる人間がいることが大切だ、ということが分かると思 |
| う。 |
| 「玉磨かざれば器を成さず」という言葉の示す通り、何かすばらしい人間がい |
| たとしても、その才能を見抜き、その人を更に磨いてくれる人がいなければ、 |
| その玉もたださびて終わってしまう。「ただのひらめきだけの人間に尽くした |
| くはない」というように思ってはいけない。それは、外側の「結果」というと |
| ころしか見ていないことになる。しかし科学などの成功は、実は偶然とひらめ |
| きか大事なのだ。科学も技術も、普段思われているのとは異なって、ずっと人 |
| 間的なものなのであるということを、深刻に意識することが、今大切なのであ |
| る。 |