| 知識の必要性 -人生の意 |
| 味- |
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| 拓馬 | / | ねき | 中2 |
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| 見テ 知リソ |
| 知リテ ナ見ソ |
| われわれは「知る」ということをとても大事なこととして考えている。しか |
| し、ものごとを判断したり、それを味わったりするときには、その予備知識や |
| 固定観念がかえって邪魔になることがある。だから、まず見ること、それに触 |
| れること、体験すること、そしてそこから得る直感を大事にすること、それが |
| 大切なのだ、と言っているのではなかろうか。 |
| では、われわれは知る必要がないのか、勉強する必要もなく、知識をうる必 |
| 要もないのか、というふうに問われそうだが、これもまたちがう。そのへんが |
| 非常に微妙なのだが、柳宗悦が戒めているのは、知識にがんじがらめにされて |
| しまって自由で柔軟な感覚を失うな、ということだろう。 |
| 自分の感性を信じつつ、なお一般的な知識や、他の人びとの声に耳をかたむ |
| ける余裕、このきわどいバランスの上に私たちの感受性というものは成り立た |
| ねばなりません。それは難しいことですが、少なくとも柳宗悦の言葉は、私た |
| ちに「知」の危険性というものを教えてくれる。 |
| 知識を得ると、人間にはどうしても「先入観」という物が出る。物事を自分の |
| 知っている知識のもとに理解し、あたかもそれがそのもののすべてだ、という |
| ように思ってしまうのである。例えば、「これは芥川竜之介の本だ」と聞かされ |
| てそれを読むと「さすがにすごいなぁ」とかなんとか言うのに、何も聞かされ |
| ずに読むと、「ふ~ん。」で終わったりしてしまうことがある。これが先入観 |
| である。つまり、何も知識のない状態で見ないと、人間は自分の率直な意見が |
| 出にくくなってしまうのである。 |
| また、知識あると、自分で物事を考えることもままならなくなる。すべてま |
| る暗記して、何も理解がない。何に対しても、「これはこうだからこう」という |
| ことだけで、それ以上に「なぜ」とか「どうして」とかがない。自分で考えずに |
| 、ただ機械のように与えられたことを覚えるというだけのこと。これじゃあ、 |
| 何のための人間か分からない。記憶力なら、パソコンなどの機械の方が、何億 |
| 倍も覚えている。元の知識からの進歩がなければ、いずれ地球は破滅する。そ |
| れに、供給される知識のすべてを過信しすぎてもいけない。自分の目で確かめ |
| ようとしなければならないのである。世の中には、「デマ」が存在する。だから |
| 、自分の目でしっかり見、自分の耳でしっかり聞き、自分の肌で直接感じる必 |
| 要があるのである。 |
| そりゃぁ、ある程度の知識は必要である。その知識のもとにまた新しい物が |
| 出来るからである。それに、すべて自分の見聞きした物しか信じないなんてい |
| ったら、協力も出来ないし、ましてや信頼なんてうまれない。信頼も協力もな |
| くては、どんなに頭が良くても、結局「終―――了―――」である。しかし、 |
| 「ことごとく書物をしんずれば、書物を読まないことと同じである」というよ |
| うに、ある事実があって、それをそのまま飲み込んでは意味がない。それに疑 |
| 問を抱き、矛盾点を指摘し、解決方法を考え、新しくしていくことが必要なの |
| だ、と私は思う。 |
| 「私たちの人生は、私たちが費やしただけ価値がある」という言葉を参考にし |
| てみよう。自分のしたことは、自分の大きな財産になり、血となり、肉となる |
| 。それが多ければ多いほど、人は豊かになる。だから自分の頭で考え、人生を |
| 無駄に費やしてはいけないのだ。だから、人間は人間らしく生きる権利を手に |
| 入れ、義務を背負ったのだ。 |
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