| 歴史家の専門の | 
| アジサイ | の | 丘 | の広場 | 
| T.O | / | いう | 高3 | 
| □歴史家が専門的な見方にまで到達するには、自己中心的な観点から客観的視 | 
| 点へ転向するよう努めなければならない。しかし、今日では歴史だけでなく学 | 
| 問全体が現代の教育によってものの見方を養うためのものであることを見えに | 
| くくさせられている。ただ進学や就職だけを意識したものより、もっと人格の | 
| 形成に影響を与えるような学問の在り方が求められているのではないだろうか | 
| 。 | 
| □歴史を例に挙げると、日本に限らず古代ローマなどにおいても数千年昔か | 
| ら様々な王朝の興亡が繰り返され、全盛期を見た王もいれば王国最後の王とな | 
| ってしまった人物もいる。ある一つの時代をとっただけでも、自己を強烈なま | 
| でに主張し、後に「善政」や「悪政」と称される人物が色々と登場しそれを見 | 
| ただけでも歴史の深みがにじみ出ているもである。 | 
| □また、目の前の現象ばかりにとらわれない目を養うのも学問の目的の一つ | 
| であると考えられる。「栄枯盛衰」という言葉に象徴されるように、当面はこ | 
| の上なく良い状況にいても「一寸先は闇」があることも決して珍しくない。自 | 
| 我ばかり押し通すだけでは通用しない、幅広い考えが出来る思慮深い人間を目 | 
| 指せ、というのが、学問の私たちに最も語りかけたい言葉なのかもしれない。 | 
| □たしかに、自己中心性を持っていなければ競争に勝ちぬくことは出来ず、 | 
| 生あるものとして生存することは出来ない。しかし、生存にばかり目が向き、 | 
| 勉強不足に陥り理性的にものごとを考えることができなければ自分が生きたよ | 
| うにしか考えられなくなるのは火を見るより明らかではないだろうか。また、 | 
| 自分独自の考え方に広がりを持たせるために私たちに与えられているのが、過 | 
| 去の歴史、そして学問ではないだろうか。 |