| 独創的な模倣 | 
| アジサイ | の | 滝 | の広場 | 
| ペー吉 | / | うき | 中3 | 
| オリジナルとは、真似の一歩横にある。横でなくてもかまわない。真似から | 
| 少しずれたところにオリジナルがあるが、そこへたどり着くには一旦真似に行 | 
| く方が楽である。真似は、決して悪いこととは決めつけられない。真似にも創 | 
| 造的な真似と非創造的な真似があり、創造的な真似は時にオリジナルより良い | 
| ものを作り出す。非創造的な真似とは、単に粗悪なコピーで終わっているもの | 
| であり、そこからの進歩がないもののことだ。逆に創造的な真似とは、オリジ | 
| ナルを真似ながら、そこからさらに踏み出す可能性をもつものだ。真似は恥じ | 
| るべきという風潮が最近はあるが、創造的な真似を恥じる理由などどこにもな | 
| いのである。完全に新しいことで偉人になるのは難しい。それよりも、誰かの | 
| 作品をそこから自分の力で引き上げることによって偉大になるのもいいのでは | 
| ないだろうか。 | 
| そのためにはまず、創造的な真似とはどのようなものかということを押さえ | 
| ていかなければならない。私は、毎週言葉の森で文章を書く。その文章の題名 | 
| を見てもらうと、わかる人にはわかると思うが、ある有名なバンドの曲名が多 | 
| く使われている。だが、内容はそのバンドの曲とはまったく別物だ。言葉から | 
| 連想できるものを、私なりに組み立てている。タイトルは真似ものだ。しかし | 
| 、言葉の構成は私のオリジナルである。創造的な真似とは、こういうことだ。 | 
| ある一面では真似をしながら、本質は別物である、という。非創造的な真似と | 
| は、この逆であり、ある一面では別物でありながら、本質は真似であることだ | 
| 。 | 
| 日本のトップアーティストであるB’zは、既に百を超える曲を出している。 | 
| その曲のうちのいくつかは、作曲担当の松本が、ある有名なバンドの曲を真似 | 
| したものだ。中にはほぼコピー曲なものまである。しかし、彼らは「歌詞」と | 
| 「ギター能力」、そして「アレンジ」によってそれをB’zサウンドに仕上げて | 
| いる。真似でありながら、独自のものにしてしまっているのだ。今や彼らは、 | 
| 音楽界のトップクラスに位置している。 | 
| 確かに、真似てばかりでは独創性が欠落していくという意見もあるだろう。 | 
| しかし、それは非創造的な真似だからである。私が薦めたい、胸を張ってほし | 
| いと思うのは、進歩のある真似だ。何も考えずにパンを焼くのでなく、バター | 
| を塗りハムを挟んで焼いてみるというそのアレンジだ。「自分なりの成果を見 | 
| せなきゃ赤ちゃんにだって認められないよ」とは、B’zの曲の一つ「銀の翼で | 
| 飛べ」のうちのフレーズだ。誰かの真似でありながら、本質は違う。借り物で | 
| ない生き方、真似から次の一歩を踏み出せる力が、私たちの人生には必要であ | 
| る。 |