| 今では…今なら…今も… |
| アジサイ | の | 滝 | の広場 |
| ペー吉 | / | うき | 中3 |
| 未来を見つめて、前向きに、明日へ向かい、といった言葉が流行っている。 |
| それ自体は悪いことではない。悩むよりも楽しむ方が悪くない人生を送れるか |
| らだ。しかし、人は未来だけを見つめて生きるのではないということもまた事 |
| 実だ。なにを犠牲にしてきたのか、置いてきたものはなんだったのか。過去は |
| 過ぎ去ったものだが、消え去ったものではない。見ることができる過去なのだ |
| から、時に立ち止まって足跡を見直して生きることも必要だ。 |
| 私は、時に生きてきた道をふりかえる。こう書くと大袈裟に見えるが、実は |
| それほどたいしたことではない。例えば、テストを見直すことでも十分過去を |
| ふりかえっている。返ってきたテストの点が悪かったとする。その時に未来を |
| 見る人間は、それはそれで仕方がない、次回頑張ろうとうなずく。しかし、過 |
| 去をふりかえる人間は、どこが悪かったのだろうと首をふり、次回はそこを重 |
| 点的にやろうと頭を抱える。どちらの方が健康にいいかといえばもちろん前者 |
| だが、効率がいいのは後者だ。テストが悪かったという過去を、立ち止まって |
| 見つめ直している。そしてその後、次回はどこをがんばるかという未来へ眼を |
| むける。そう、未来は見なければいけないのだ。過去には道があるだけであり |
| 未来には荒れ地がある。人生を開拓する我々は、結局は荒れ地へ向かうのだ。 |
| 「ふりかえる」という表現がわかってもらえると思う。 |
| 輝いていた過去は、時に急ぎすぎな私たちに大切なことを教えてくれる。前 |
| 進しようと必死にもがき、なにかを忘れていく私たち。その時に過去を見て、 |
| 一体なにが必要で大切だったのかがふとわかることがある。それは後悔とも呼 |
| ばれる。しかし、後悔を味わなければ悲しみは繰り返される。自己憐憫は進歩 |
| が見えないが、ふりかえった過去から涙に溺れても、そこから再び前をむける |
| 、勇気ある後悔は必要だ。ダイナマイトを発明したノーベルは、自分の作った |
| トンネル工事用の爆弾が、戦争で殺人に使われているのを知り深く後悔した。 |
| 彼は苦しみの中でノーベル賞を発案し、せめて世界平和に役立とうとした。後 |
| 悔は過去を変えはしない。我々に操作できるのは未来だけだ。だから、我々は |
| 過去のあとに未来を見直す。 |
| 確かに、思い出したくない過去もあれば、ぼんやりとしてしまった過去もあ |
| るだろう。だが、それから逃げていたのでは結局なにも始まらない。そんな過 |
| 去であるからこそ見据えるべきだ。真に後悔できる、深い思い出ならば、忘れ |
| たふりをやめてよく考えてみれば思い出せるはずだ。「太陽が僕を焦がし続け |
| る 微熱にうかされたまま 誰かを忘れてゆく なにかを無くしてく」とはB |
| ’z「砂の花びら」だ。未来を見つめることは必要だが、なにもかも忘れた、薄 |
| っぺらな幸福の形はいけない。時に過去をふりかえる。かぶりをふることもあ |
| れば、膝をつくこともある。失ったものの多さに嘆く。それでいい。酔ったよ |
| うに傷を忘れて走っていくより、自分のしてきたこと、失敗したことを抱えて |
| 生きていく方が、つらいかもしれないが意味の深い人生を送れるはずだ。「未 |
| 来を見る」や「前向きに」も結構だが、私たちはもっと過去を大切に生きてい |
| い。未来を見つめて、前向きに、明日へ向かい、過去を気にして。 |