| 勉強とは・・・ |
| エンジュ | の | 村 | の広場 |
| エガ | / | てせ | 小6 |
| がんばることが大好きな日本人は、さまざまな場面で「努力」「勉強」など |
| という言葉を好んで使います。「勉強しなさい」とは、学校でも家でもよくい |
| われることです。私たちは、小学校時代を通じていろいろなことを学び、そし |
| て、さらにこれから中学校に進学して勉強をつづけようとしています。それで |
| は「勉強」とはどのようなもので、何のためにするものなのでしょうか。日本 |
| の漢字には音読みと訓読みがあります。「べんきょう」というのは音読みです |
| が、これを訓読みにしてみると「つとめしいる」と読むこそれ |
| では「勉強」とはどのようなもので、何のためにするものなのでしょうかとが |
| できます。「つとめる」とは一所懸命にはげむこ |
| と、「しいる「勉強」とは、それ自体が目的ではなく、あくまでもそこへ行き |
| つくための手段にすぎません。手段を目的とかんちがいするときに「勉強」は |
| 単なる苦痛の種になってしまうのだと思います。大切なのは、何のために学ぶ |
| かです。したがって、学生時代とはこの課題を「勉強」を通じて考えていく、 |
| いわば自分探しの旅の始まりにもたとえることができるでしょう。 |
| 私の家でも勉強を毎日やっている。もちろん私はやりたくない。しかしやら |
| ないと怒られる。(当たり前だけど・・・)だけど、私の家では、勉強自身が勉 |
| 強ではなく、人に、はなれないくらいの基礎さえ出来ればいいと思っている。 |
| 大体、私自身勉強に姓も根もかけているわけではない。だから私も好きなこと |
| をやりたいのだ。 |
| しかし、最近私にとって凄く苦痛の言葉が耳にはいる。それは、塾に行けた |
| 言うことだ。私にとってそれは、本当に何よりもの苦痛だ。友達と遊ぶのが、 |
| 楽しみな私にそれは我慢なら無い。いっそのこと塾を無くせばいいと思ったこ |
| とまである。 |
| 人間とは、自分の夢に向かっていきるものだと思う。人間に生まれた以上、 |
| 人生を勉強についやさないで、 |