マキ の山 6 月 3 週 (5)
★落ちて来たら(感)   池新  
 【1】落ちて来たら
 今度は
 もっと高く
 もっともっと高く
 何度でも
 打ち上げよう
 美しい願いごとのように
 
 この詩は、作者がある雑誌の依頼で、子どもが紙風船で遊んでいる一枚の写真につけたものだそうです。【2】紙風船は打ち上げてもまたふわりふわりと落ちてきます。宇宙船の船内なら上がったままでしょうが。願いごとも多くの場合、すーっと落ちてきます。
 この詩のいのちは、
 美しい願いごとのように
というすばらしい「比喩」にあると言えるでしょう。
 【3】作者は、この詩について「風船はどんなに高く打ち上げても、それは地に落ちる」「願いごとの多くはむなしい」というニュアンスから、どうしたら抜け出すことができるかに努力したと述べています。【4】この詩を読むと、いつも光さす空を見ていよう、紙風船が落ちてくるのに目をとめるより、何度も打ち上げるそのことに生きる証を見つけよう、というような祈りに似た詩の心が伝わってきて、励ましさえ感じます。
 【5】いつだったかテレビの料理番組で、料理の先生が「なるべく(産地が)遠くの味噌をあわせて(まぜて)使うと、おいしい味噌汁ができる」と話しているのを聞いて、言葉も同じだなと思いました。
 「月とスッポン」ということわざがあります。【6】二つの物があまりに違いすぎる、不相応だという意味ですが、このことわざ自体、月とスッポンという非常に遠い物を結びつけて、「月とスッポンのようだ」としているために、長くわたしたちの印象に残ることとなったとわたしは思います。
 【7】比喩を、日常の会話でも効果的に使うと、表現が生きてきます。「赤ん坊が激しく泣く」というより「赤ん坊が火がついたように泣く」、といったほうが印象の強い表現になります。また、比喩∵は詩歌で古来重要な働きをしてきました。
 【8】ところでいつだったか、これもテレビで見たのですが、スポーツ評論家のSさんが、こんな話をしていました。
「フォークボールの投げ方を選手に教えるのに、球をこう握ってこうして投げるんだよと、動作で見せるばかりでなく、カーテンのヒモを下へ引っ張るように――という例えで話してやると、印象強く、よりよく伝えることができる」
 【9】驚きました。フォークボールを投げるというような肉体的な技術は、その動きをやってみせることが最上の、それ以外にない教え方だと思っていましたが、そこに比喩が大きな働きをするなんて!【0】

(川崎洋「教科書の詩を読みかえす」から)