ムベ の山 12 月 4 週
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◎自由な題名

★清書(せいしょ)

○ある日、昼めしをおえると
 ある日、昼めしをおえると父親は、あごをなでながらかみそりを取り出した。吉(きち)は湯をのんでいた。
「だれだ。このかみそりをぼろぼろにしたのは。」
 父親は、かみそりの刃をすかして見てから、紙のはしを二つにおって切ってみた。が、すこしひっかかった。父の顔はすこしけわしくなった。
「だれだ。このかみそりをぼろぼろにしたのは。」
 父はかたそでをまくって、うでをなめると、かみそりをそこへあててみて、
「いかん。」といった。
 吉(きち)はのみかけた湯をしばし口へためて、だまっていた。
「吉(きち)がこのあいだといでいましたよ。」と、姉は言った。
「吉(きち)、おまえどうした。」
やっぱり、吉(きち)はだまっていた。
「うむ、どうした?」
「ははあ、わかった。吉(きち)は屋根うらへばかりあがっていたから、なにかしていたにきまっている。」と、姉はいって庭へおりた。
「いやだい。」と、吉(きち)はさけんだ。
 姉は梁(はり)のはしにつりさがっているはしごをのぼりかけた。すると吉(きち)は、はだしのまま庭へおりて、はしごを下からゆすぶりだした。
「こわいよう、これ、吉(きち)ってば。」
 かたをちぢめている姉は、ちょっとだまると、口をとがらせてつばをかけようとした。
「吉(きち)っ。」と、父はしかった。
 しばらくして屋根うらのおくの方で、
「まあ、こんなところに面がこさえてあるわ。」という姉の声がした。
 吉(きち)は姉が面を持っておりてくると、とびかかった。姉は吉(きち)をつきのけて面を父にわたすと、父はそれを高くささげるようにして、しばらくだまってながめていたが、
「こりゃよくできとるな。」
 また、ちょっとだまって、
「うむ、こりゃよくできとる。」といってから、頭を左へかしげかえた。∵
 面は父親を見おろして、ばかにしたような顔でにやりとわらっていた。
 その夜、納戸で父親と母親とは、ねながら相談した。
「吉(きち)をげた屋にさそう。」
 最初にそう父親がいうと、いままでだまっていた母親は、
「それがいい。あの子はからだがよわいから遠くへやりたくない。」といった。
 まもなく吉(きち)はげた屋になった。
 吉(きち)の作った面は、その後、かれの店のかもいの上でたえずわらっていた。むろんなにをわらっているのかだれも知らなかった。
 吉(きち)は二十五年、面の下でげたをいじりつづけてびんぼうした。
 ある日、吉(きち)はひさしぶりでその面を見た。すると面は、いかにもかれをばかにしたような顔をしてにやりとわらった。吉(きち)ははらがたった。つぎにはかなしくなった。が、またはらがたってきた。
「きさまのおかげで、おれはげた屋になったのだ。」
 吉(きち)は面をひきおろすと、なたをふるってその場でそれを二つにわった。しばらくしてかれは、げたの台木をながめるように、われた面をながめていたが、なんだかそれでりっぱなげたができそうな気がしてきた。