ニシキギ2 の山 7 月 4 週
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○けんかをしたこと
○動物園の思い出
★清書(せいしょ)

○アメリカ人が日本に
 【1】アメリカ人が日本にやって来ると、日本人のあいさつはうるさくて仕方ない、と思うようだ。例えば思いがけないところで知っている人とバッタリ会う。「どちらにお出かけですか」と尋ねる。アメリカ人はうるさいと思う。【2】「どこに行こうと俺の勝手だ。俺の秘密を探ろうとしているのだろうか」。日本人は何もそういうつもりではない。「こんなところでお目にかかるとは思いがけないことだ。あなたの身の上に何か大変なことがおこったのではないだろうか。【3】もしそうだったら、一緒に心配してあげましょう」とこういう気持ちで聞くわけである。
 「先日は失礼しました」。これもよく私たちが口にするあいさつである。アメリカ人はびっくりする。【4】「確かに先日この男に会った。しかしそのときにこの男は俺に何にも悪いことはしていない。するとこの男は、俺の知らない間にとんだことをしてくれたのではないか」と心配になるという。日本人の気持ちはそうではない。【5】「先日あなたにお目にかかった。私としては失礼なことをした覚えはないけど、私は不注意な人間である。もしかしたら失礼なことをしたかもしれない。もしそうだったらおわびする」。こういうことを言っている。【6】そういう言葉でも分かるように、私たちは謝ることが非常に好きである。感謝することよりも、謝ることを尊ぶ。
 みなさんがバスに乗っている。おばあさんが乗ってきた。誰かが席をゆずる。【7】おばあさんは何というか。「ありがとうございます」とお礼を言う人もいるが、「すみませんねえ」と謝る人の方が多いだろう。おばあさんの気持ちはこうである。【8】「私がもし乗ってこなければ、(あなたは座っていられた。私が乗ってきたばかりにあなたは立たなくてはならない。)すみません」とこういう論理で、日本人は謝ることを非常に喜ぶ。
 【9】アメリカで暮らしていた次男の話だが、次男の家にいるお手伝∵いさんが台所で働いていて、手からコップが滑り落ち割れてしまった。日本人ならこういうとき「私がコップを割りました」と言う。【0】でもアメリカの人はけっしてこういうことは言わないそうだ。「グラスが割れたよ」と言ってきた。「お前が割ったんじゃないか、なぜ自分が割ったと言わないのか」と言ったら、ビックリしていたという。英語で「私がコップを割った」というとどういう意味になるか。壁か何かにコップをわざとぶつけて割った、という意味になってしまうようだ。コップがあやまって手から滑って割れたときはコップが割れたんであって、私が割ったんじゃない、と頑張るそうだ。理屈を言えば確かにそうである。なぜ日本人は、手から滑り落ちたコップに対して「私が割った」と言うか。これは日本人の責任感だと思う。つまり日本人はこう考えるのである。自分の手からコップが滑り落ちて割れたのは、自分が油断していたからだ。自分がしっかりしていたならばこのコップは割れなかった。自分がうっかりしていたからコップが割れた。このことの責任は自分にある。だから「コップを割りました」という言い方になるのである。こういう考え方は日本人の美徳であると私は考える。

(金田一春彦『ホンモノの日本語を話していますか?』(角川oneテーマ二十一)による)