ガジュマロ2 の山 5 月 3 週 (5)
★ここ四〇年ばかりのあいだ(感)   池新  
 【1】ここ四〇年ばかりのあいだ、北の国々では、生者と死者同様に、物が溢れかえっているが、一方、衣食住といった生活手段の大部分が、人類の五分の四にとって相変らず不足しつづけている。北の情況は、ほぼつぎのようである。【2】アメリカ人の三分の二が自分の家を持ち、フランスでは世帯の半分が自分の住居を所有し、三分の二には浴室が備わっている。秩序の「中心部」と「中間部」では、ほとんどすべての世帯に、車、洗濯機、カラーテレビが一台ずつあり、【3】三分の二の世帯には、冷蔵庫、掃除機、洗濯機、ラジオ、種々の家庭用自動器具が備わり、半分の世帯はビデオ装置を持っている。さらには、自分だけに関係する新しい物、ノマド(遊牧民。転じて、移動・自由・新奇などの意)の物も現われた。【4】例によってこれらの物はまず音楽から(ウォークマン)生まれ、ついでスポーツの付属品(ゴルフのクラブ、テニスのラケット……)と多様化していったのである。(中略)
 貨幣が、モノの相対的価値を記録することで交換の時間を貯えているように、物は効用の時間を貯えている。【5】いいかえると、占有すること、それは、効用、非=支出、禁欲を貯えることにほかならない。ここに、貯蓄は支出のなかに、供犠(くぎ。宗教で犠牲を神に捧げること)は占有のなかにあることとなる。
 所有者の財産目録はこうして、永世への欲望を語りだす。【6】家屋はある生活様式、生活環境、アイデンティティを意味し、車は、アメリカ製なら豊かさを、ドイツ製なら厳密さを、イタリア製ならファンタジーを、フランス製ならエレガンスを、スウェーデン製なら快適さを表現する、といった具合である。
 【7】本やディスクも、占有する人の文化を物語り、また死のお祓(はら)いとなる。使用前に死ぬわけにはいかず、またそのお蔭で、何を見、何を読み、何を聞いたかの痕跡をのこすことになるからだ。しかしそうしたモノの固有の生命はまた短い。【8】書物は、書斎の本棚や本屋の棚で押しあいへしあいし、雑誌よりも少し高価な資産となるが、もはやそのなかに書かれている思想を物語らず、著者名の束の間の名声を語るのみである。(中略)
 したがって、物の堆積の境界をこえ、利用できるものを∵こえて蓄積するためには、効用が今や所有よりも重要となる。【9】今日のエリートはその時間のなかに可能なかぎり多くの感覚をためこもうとしている。モノへのアクセス、奢侈品ないし冒険の一時的な用益権を欲しているわけである。もはや物、家、船を買おうとはせず、借りるだけである。【0】もはや物のコレクションを作ろうとはせず、あちこち物を見にゆく手段を手にいれようとする。もはや自分の痕跡をのこそうとはせず、東側での例のように――奇妙な収斂だが――たんなる死亡記事だけを残そうとしているのである。
 こうした物の急激な増殖は、市場でも計画経済でも、商人の秩序の組織化を困難にしている。一方の市場では、貯蓄と資源の配分に有効で、需給のあいだに橋をかけるためには、価格が相対的稀少性を反映し、そのお蔭で生産に用いられた要因量を消費者が感知できるはずであった。ところが、労働が複雑化し、物財はそのうちにふくまれる労働以上のものを表示するようになった。計量化できる単位に還元できず、知、夢、科学、音楽からなる物は、その支配者の手元をのがれ、無制限に複製される。価格はその意味を失ってしまったのである。他方の計画経済では、きわめて多数の物が交換されるようになったので、いくつかの安定した生産物以外には、何百万という価格や品質を中央計画本部で統制することができなくなっている。すべての物に表示されているのは、もはや価格ではなく、たとえば人気投票などの集票数(売れた部数が著作の価値を表わす)あるいはスペクタクルの評価をめぐって大きな影響力をもつコンセンサスのような、他の価値尺度にほかならない。
 ヒット・パレードがこうして、すべての物品にスターの法則をとうとう押しつけてしまったのである。
 
 (ジャック・アタリ著『所有の歴史』より)