ギンナン の山 9 月 3 週 (5)
★芸術スポーツといっても(感)   池新  
 【1】芸術スポーツといっても、何のことか分からない人のほうが多いに違いない。体操、新体操、シンクロナイズド・スイミング、フィギュア・スケートなど、美しさを競うスポーツの総称である。【2】耳慣れないのは当然で、二十世紀も九〇年代になってようやく用いられるようになってきた言葉なのだ。だが、この芸術スポーツにこそ、オリンピックの、いやスポーツの未来がかかっていると、私には思われる。【3】この呼称が登場したということ自体、人間の身体に関する考え方の大きな変化を象徴しているといっていいからである。
 むろん、ほんとうは美しくないスポーツなど存在しない。全力で戦っている人間はみな美しい。【4】野球選手もサッカー選手もテニス選手も、みな美しい。少なくとも、美しさに輝く一瞬を持っている。とすれば何をいまさら芸術スポーツかといわれそうだが、この言葉は、その美しく見える一瞬こそがスポーツのもっとも大切な要素ではないかと問いかけているのだ。【5】学問的な定義において、スポーツはすべて芸術ではないかと密かに問いかけているのである。その問いかけがいま、きわめて重要になりつつあると私には思われる。
 【6】というのも、スポーツ、さらに総合的な言葉でいえば体育は、必ずしも美しさを追求するものではなかったからである。近代体育はまず何よりも軍事教練として始まった。【7】ヨーロッパの後を追うように近代化に励んだ日本においてはさらに著しいが、それはまず国民の体力の向上を目指すものだったのである。【8】その最大の視覚化が軍隊だが、軍隊の予備軍としての学校、それを補完するものとしての工場においても、体育はもっとも重要なものと見なされていた。
 【9】身体の近代化を推し進めたのはじつは愛国主義であり軍国主義だったということになるが、しかしその背後にはさらに重要な動機が隠されていた。生産第一主義である。いかに効率よく生産力を上げるかということこそ、近代体育の、また近代スポーツの隠された主題だった。【0】二十世紀の過半を占めるのは米ソの冷戦だが、社会体制の違うこの両陣営が争っていたのは軍事力では必ずしもなかった。むしろ生産力だったのである。オリンピックは長いあいだ冷戦を反映したが、その間の最大の話題が記録の更新とメダルの数にほ∵かならなかったことを考えてほしい。身体の祝祭を測る物差しが、国家の生産力を測る物差しと寸分も違っていなかったのである。
 米ソ二大国の没落と、生産第一主義への疑いの高まりが、ほぼ軌を一にしていたことに注意すべきだろう。芸術スポーツはこの変化を象徴するように登場してきたのである。新体操もシンクロナイズド・スイミングも一九八四年のロサンゼルス・オリンピックから正式種目になった。むろん、記録の更新とメダルの数が話題にならなくなったわけではないが、それ以上に、美しさと感動が話題になるようになったのである。体育やスポーツを見る視線のこのような変化は、選手たちの表情や態度の変化にもはっきりと見て取れる。選手たちはもはや、国家の威信をかけるような悲壮な表情をしなくなった。競技を楽しむようになってきたのである。
 人は何のために生産するのか。消費するためにである。より豊かに、より楽しく、より美しく生きるためにである。多くの人がそう考えるようになってきた。生産第一主義から消費第一主義への移行である。かつて生産は美徳で消費は悪徳だったが、いまでは逆に消費は豊かさの別名になっている。物質的な、ではない。生の時間をいかに豊かに過ごすかが、消費の内実であると誰もが考えるようになってきたのだ。芸術スポーツという言葉は、まさにこのような潮流のなかに生まれてきたのである。
 芸術スポーツのコーチたちは、審査員のみならず観客を感動させることがいかに重要かよく知っている。見るものの印象によって決定されるのが芸術点であるとするならば、その採点は観客の反応をも、多少は考慮せざるをえなくなるだろう。とりわけ新体操のグループ演技やシンクロナイズド・スイミングなどの場合、コーチの指導はほとんど演出に近いものになってくる。つまり、スポーツが舞台芸術化するのである。人によっては、勝敗が曖昧になるようで、これを嫌うかもしれない。だが、私はそうは思わない。ひたすら記録の更新に邁進するよりは、はるかに健康的に思える。観客もまた生きている人間なのである。

(国学院大)