ジンチョウゲ の山 8 月 1 週 (5)
★実は現在インターネットの(感)   池新  
 【1】実は現在インターネットの上では二つの力が争っていると思うんです。一方はそれを資本主義化してしまおうという力、もう一方はそれを贈与交換の世界へ引き戻そうという力です。
 【2】インターネットは、その出発点においては、アメリカ国防省から軍事研究を委託されていた、研究者の間の科学研究の情報のネットワークであったわけですが、もともとの参加者である科学者にとっては、インターネットを経済的な目的に使うのは抵抗があるようです。【3】科学者の集団というのは、少なくとも建て前の上では、信用なるものによって結ばれている世界なのです。科学者がおたがいに論文を交換する、あるいは科学情報や技術情報を交換するとき、それは同じ科学コミュニティの一員としておたがいの名前を認めあっているからです。【4】たとえ個人的に名前を知らない場合でも、博士号を持っていたり、名のある研究機関に属している人間であれば同じです。そこでは、まさに名前というものが重要な役割を果たす信用のネットワークが築かれる。【5】そして、その名前が重要な役割を果たす世界とは、贈与交換の世界なのです。たとえば、古代ギリシアのホメロスの叙事詩のなかに出てくる英雄たちは、他人から贈与を受けたら、自らの名誉を守るために、つまり自分の名前の信用を守るために、必ず贈与をした人間に対して返礼をする。【6】ここでは、まさにおたがいの名前に対する信用が人間と人間との交換を可能にしている。贈られるモノそのものに価値があるから返礼するのではなく、贈った人間と贈られた人間との間の一種の信用関係を保つためにモノが交換されるのです。
 【7】昨年、あるコンピュータ・サイエンスの会合に呼ばれて講演をしたときに出会った何人かの人たちは、コンピュータ・コミュニケーションの世界に資本主義的な要素が入り込んでくるのをなるべく排除しようとしていました。【8】それは、いうなれば、それを原初における贈与交換の世界のままに保ちたいという必死の抵抗でしょう。その極端な例が、ソフトウェアを全部タダにしようと、それをネットを通じてタダでばらまこうという動きです。【9】コピーレフトですね。あれはインターネットから資本主義の原理を排除して、∵なるべく古き良き贈与交換の世界に留めておこうという動きだと思います。
 【0】これがインターネットのなかで働いている一方の力ですが、しかし不幸にして、もう一方の力が厳として存在しており、それはいうまでもなく資本主義化への動きなのです。そして、コピーレフトに全面的に対抗する手段となるのが暗号化の技術です。インターネット上の情報を暗号化すると、その情報の内容はまさに秘密キーを持っている人間だけしか知ることができなくなる。つまり、ここに所有権が確保され、その所有権をもとにした商品交換が可能になるというわけです。
 いまインターネットを舞台にして、この二つの力が争っているんだと思います。幸か不幸か、私は経済学者ですから、資本主義化への動きというものがいかに強いものであるかを良く知っています。そして、さらに不幸なことに、じつは贈与交換を維持しようとしている動きには自己矛盾がはらまれている。なぜならば、インターネットとは、原則としてすべての人が自由に参加できることを前提にしているわけですが、おたがいの間の信用を基礎にして成立する贈与交換の世界とは、まさにそれが何らかの意味で閉じていることを必要とするのです。たとえば、科学的な情報や知識が、贈与的な原理によってインターネット上をタダで自由に行き来していくと、それが誰でも参加できるインターネット上であるが故に、それを欲しがる人間を増やしてしまい、そのなかにはもちろん信用のない人間も当然含まれますから、自らの基盤である信用に基づくコミュニティを破壊してしまうことになる。インターネットがこれだけ拡大してしまうと、今度は、贈与的な世界を維持しようとする人びとは、インターネットから離れた小さなネットワークを作ったり、あるいはもっと皮肉なことに、自分たちのかたきである暗号システムを使ってインターネット上に閉じたコミュニティを作ることになるかもしれない。
(岩井克人(インタヴュー 上野俊哉)『インターネット資本主義と貨幣』より抜粋、調整)