ズミ2 の山 10 月 3 週 (5)
★極東の島国日本(感)   池新  
 【1】「極東の島国日本」などとしばしばいわれるように、日本を孤立した「島国」とする見方は、おそらく現代日本人の圧倒的多数の常識であり、これまでの多くの日本人論、日本文化論もそれを大前提として論じられてきたといってよい。
 【2】そして日本の「島国」であることが強調される場合、そこには対立する二つの文脈があったと思われる。【3】その一つは、とくに敗戦後、日本の国際社会への復帰に当って、それまでの独善的、閉鎖的な日本人のあり方に対する反省が強く求められたさいなどに強調された文脈で、「島国根性の打破」「島国性の克服」がこの中で声高に叫ばれたのであり、現在もなお同じ方向でこうした主張が展開されることが多い。
 【4】これに対し、他の一つとして、「島国」であることに日本人、日本文化の独自性、均質性の基盤を求める文脈があり、この見方は海によって周辺の世界から隔てられ、また海に守られることによって他民族による軍事的な侵略をまぬかれ、【5】政治的な支配を受けることなく周辺から技術、文化を吸収、「島国」の中でそれを熟成してきたところに、日本文化の特質を見出そうとする。それは日本が「島国」であることに積極的な意味を求めようとする見方で、現在の日本文化論の中で、こうした立場に立つ見解は多い。
 【6】この二つの見方は、まったく相反する方向から日本をとらえており、前者は「近代化論」につながる志向を持つのに対し、後者は日本文化の独自性を強調し、ときに天皇が長期にわたって日本列島の国家に関わりつづけてきたことを賛美する方向に進む場合も見られる。【7】とはいえ、この両者はともに共通した「日本は島国」という認識の上に立っている。そしてたしかに現在の日本国が島によって構成された国―「島国」であることはまぎれもない事実であり、この点についてはあたかも異論の入る余地のまったくない「常識」であるかの如くに見えるのである。
 【8】しかし一歩突き放してこの「常識」を見直してみると、それがしばしばきわめて底の浅い、偏った見方であることはただちに明白になる。
 【9】そもそも日本国が現在の島々から成り立つようになったのは敗戦後のことで、中国東北、朝鮮半島を植民地としていた「大日本帝国」の時代はそうでなかったという自明な事実――それが∵いかに嫌悪すべき状況であったとしても――を想起する必要がある。【0】この「常識」の基礎がまことに不安定であることはこれによっても明らかであろう。
 それとともに、この「常識」の中では、「島国」を構成する島は本州・四国・九州を中心とする島々に限定され、北海道・沖縄がほとんど欠落することになっている場合が多い。そしてそれを意識した議論の場合でも、琉球、アイヌの問題は「日本文化」の源流、古層としてとり上げられるにとどまり、日本列島の人間社会の歴史全体の中で、その独自な位置づけを与えられることはない、といってよかろう。
 そしてなによりも不思議なことは、「島国論」に基づく日本論が、現在の日本国内の島々の間の海のみを、人と人とを結びつけるものとし、他の海のすべてを、人と人とを隔てる海としている点である。しかし浪荒い玄界灘を隔てた九州と対馬の間に人びとの文化の交流が縄文時代以来あったとしながら、ドーバー海峡ほどではないにせよ、狭い対馬と朝鮮半島との間の海―朝鮮海峡が人と人とを隔離したなどと考える議論の不自然さは、誰が見ても明らかであろう。また南九州と奄美、沖縄との間に文化の交流があったとすれば、宮古、八重山と台湾との間に同じことのあったのは当然であり、東北と北海道の間の海が人と人とを結ぶならば、北海道とサハリン、沿海州との間の海が同じ役割をしないはずはないのである。
 「島国論」が成り立つためには、このあまりにも当然な事実が無視されなくてはならないのである。それゆえ、こうした「日本島国論」は根本的に、現在の日本国の国境に規定された俗説、国家そのものをつくりだした「虚構」であり、その非歴史性、一面性のゆえに、たやすく政治的なイデオロギーに転化しうる議論、と私は考える。

(網野善彦()「日本論の視座」より)