言葉の森新聞 編集用
印刷設定:A4縦用紙 :ブラウザの文字のサイズ:最小 ブラウザのページ設定:ヘッダーなし フッターなし 左余白25 右余白8 上下余白8
  受験前に、自分の書いた作文を繰り返し読もう
  勉強はみんなのいる部屋で
  古典の持つエネルギー
  小論文自動採点ソフトの原理
  私の読書体験(むり先生の学級新聞から)
 
言葉の森新聞 2004年1月3週号 通算第828号
文責 中根克明(森川林)

受験前に、自分の書いた作文を繰り返し読もう
 作文小論文で受験する生徒の直前の対策は、自分がこれまでに書いたものを繰り返し読むことです。その中で、自分なりにいいことが書いてあると思ったところには赤鉛筆などで線を引いておきましょう。線を引いたところだけを繰り返し読む形でもかまいません。小中学生の場合は、自分でいいところを見つけるのが難しいかもしれません。その場合は、お父さんやお母さんが読んで、上手に書けていると思ったところを教えてあげてください。
 試験の本番では、これまでに書いた実例や表現で使えそうなものを盛り込んで書きます。しかし、これは意識して思い出すような作業ではなく、試験の直前まで何度も自分の書いたものを繰り返し読んでいれば、自然に当てはまりそうなものが浮かんできます。直前までというのは、文字どおり直前までのことで、試験が始まる前まで時間の許すかぎり自分の書いたものに目を通しておきましょう。
 文章を書くことが苦手な生徒や、これまでに書いた上手な表現の蓄積が少ない生徒の場合は、次のようにしていきます。まず、自分がこれまでに書いた作文の中から、特に印象に残る体験実例を二つ選び出します。選ぶ基準は、個性、挑戦、共感、感動のいずれかが感じられるような体験実例ということです。そして、これまでに書いたテーマを、もう一度その二つの実例をもとに組み立てる練習を頭の中でしていきましょう。書き出しと結びに課題のキーワードを入れ、途中の展開部分はこれまでに書いたいちばんいい実例を二つ組み合わせるという書き方です。このやり方は、かなり効果があります。
勉強はみんなのいる部屋で
 低学年のうちから子供部屋で勉強している人がいますが、これはあまりいいやり方ではありません。中学3年生のころになると勉強というものに自覚が持てるようになるので、そのころからはだれにもじゃまされないところで集中して勉強した方が能率が上がります。しかし、それまでの年齢では子供部屋での勉強はかえって能率を低下させるようです。
 小中学生の基礎を学ぶ段階では、勉強はそれほど面白いわけではありません。どちらかというと単純な作業を通して知識や技術を身につけるという面が多く、自分から進んで勉強に熱中する子はまずいません。また、どうしても自分の好きな勉強から先に手をつけて、苦手な勉強は後回しにしてしまいがちです。
 小中学生の場合は、みんなのいる部屋で勉強をしていると、家族の視線が自然な励ましになるので、ひとりで孤独に勉強するよりも集中することができるのです。
古典の持つエネルギー
 「致知」という雑誌があります。予約購読制なので書店には並んでいません。二十年ほど前、その出版社の人に薦められて半分義理でその雑誌を購読することになりました。最初はツン読だったのですが、1年ほどしてから読み始め、その内容の充実度に感心し、その後毎月ほぼ全ページを読んでいます。言葉の森の図書室の棚には最初のころからのバックナンバーが並んでいます。内容は人間の生き方についてです。この雑誌の持つエネルギーの一つに、古典の力があると思いました。
 世の中には、次々と新しい出来事が起こります。インターネットが登場してから更にそのスピードは加速しています。しかし、人間の生き方は、月並みな言い方ですが、古典の中で既に核心が語られていて、あとはそれを現在の状況に応用することだけが残っているように思います。
小論文自動採点ソフトの原理
 現在、米国ではE-raterのほかに、PEG、IEA、BESTY、IntelliMetricなど数種類の小論文自動採点ソフトが開発され、その一部は実際に使われています。
http://www.cs.nott.ac.uk/~smx/PGCHE/essaySystems.html
 これらのソフトの評価はおおむね好評で、人間どうしの評価の誤差よりも小さいという調査結果が相次いで発表されています。もちろん機械の評価ですから弱点もあり、第二次大戦の原因を論じるというテーマの小論文で、パンの作り方を書いた文章が高得点になったという笑い話もあったそうです。しかし、意味を解析する機能を追加することによって、こういう勘違いもなくなりつつあります。
 これらのソフトのもう一つの弱点は、ソフトの多くが内部の仕組みを非公開にしているため、プログラムがどういう変数をどういうウェイトで評価しているか利用者にはわからないということです。
 しかし、人間の評価の補助として使うのであれば利用効果はかなり高いので、これから、こういう自動採点の試みは次々と出てくるでしょう。
 言葉の森の自動採点ソフト「森リン」は、これらのソフトとは異なる考え方で設計されています。
 その考え方の基本は、作文小論文の内容の面白さは、実例や表現の多様性に比例するというものです。しかし、多様性の評価だけを重視すると、次のような文章も高得点になる可能性があります。一つは、中心の決まっていない事実文です。「動物園で、ペンギンを見て……、次はゾウを見て……、次はキリンを見て……」と事実を羅列する文章はそれなりに実例の多様な文章になってしまいます。もう一つは、誤字の多い文章です(笑)。機械は、誤字もユニークな表現と解釈してしまうからです。もちろん、これらは小学校の低中学年のうちまでの話で、学年が上がれば自然に誤字のない意見中心の文章を書くようになるので、これらの問題は解消されます。ですから、中心の決まっていない事実文や誤字の多い文章を、プログラムによって指摘することができるような無駄な仕組みは現在作っていません。欠点をピックアップするソフトを作ることはできるでしょうが、そういうところに力を入れることにあまり意味があるとは思えないからです。
 教師と医者は似ていて、欠点や病気を指摘することが自分の仕事の中心であるような錯覚に陥りやすい職業です。ついでに言うと警察もかなり似ています。この前、シートベルトをしていないのでつかまって減点されました。(笑)
 しかし、社会にとって本当に意義のある仕事は、欠点や病気や犯罪を抑えることではなく、長所や健康や充実した生き方を伸ばしていくことです。作文の評価も、どうしたら欠点のない文章を書けるようになるかということに力を入れるのではなく、どうしたらその人らしい長所のある文章を書けるようになるかを考えていく必要があります。
 そこで、ひらめいたのが、ピラミッド形です。実例や表現の多様性を底辺とすると、底辺の2乗に高さをかけたものがピラミッドの立方体の体積になります(正しくはその3分の1ですが)。作文の場合の高さとは、語句と語句をつなぐために考える言葉で、品詞で言うと接続詞や助詞や助動詞がそれにあたります。試しに、多様な実例と表現(主に名詞や動詞)の種類の数の2乗に、語句と語句をつなぐ言葉(主に接続詞や助動詞)の数をかけてみると、かなりすっきりと人間の評価と一致しました。
 計算式は、単純な方が指導に活用できます。人間が機械の弱点を理解できるからです。逆に複雑な定数や変数や数式を組み込んだソフトは、人間がその機械の弱点を理解できないので、機械が人間を一方的に評価する面が出てきます。コンピュータが高度な計算をして、「カチカチカチ、アナタノ得点ハ30点デス。」などと結果を出すと、生徒も教師もその計算過程がわからないので一応受け入れざるをえなくなってしまうのです。これまでに開発されたソフトには、そういう問題があります。
 米国のソフトの考え方には、米国の文化が色濃く反映しています。それは、さかのぼればイギリス経験主義の伝統とアメリカのプラグマティズムの伝統がミックスしたものとも言えるものです(話が大きくなった)。今ある現象を前提として、その現象から帰納的にいくつかのルールを導き出し、妥当な結果が出るまでルールを調整していくという考え方です。これと反対の考え方は、最初にあるべき原理を打ち立て、それを現象に適用するという方法です。最初に原理を打ち立てる方法の弱点は、人によっていろいろな原理が半ば思いつきのような形で提案されうるということです。言葉の森のソフトの原理も、もちろん一つの仮説です。しかし、米国流のやり方よりもかなり知的な仮説になっていると思います。(笑)


 言葉の森の小論文自動採点ソフト「森リン」
http://www.mori7.info/moririn/moririn.php
私の読書体験(むり先生の学級新聞から)
 1月の学級新聞から、むり先生の話を紹介します。

 今日は私の読書体験をお話ししましょう。私の今までの人生で一番読書をした時期は実は小学2年生の時です。どういう理由だったか忘れてしまいましたが、2学期のはじめに「今学期は100冊本を読む」という目標をたてました。しかも、絵の多い本やうすい本は数えないという条件までつけたのです。2学期は120日もありません。ですから1日1冊は読むつもりでなければ目標は達成できません。(そうい計算は全くしていませんでした。ただ100という数字がすごくかっこよかったから目標にしたのです。)私は読書も好きでしたが、外で遊ぶのも大好きで、毎日暗くなるまで外で遊んでいたので、この目標はかなり無理がありました。11月を過ぎてさすがに目標達成があやしくなってきて、私は学校の図書館でまるで本屋さんで立ち読みをするように立ったままで本を読みました。そうすると不思議と速く読むことができました。そのかいあってこの目標はなんとか達成できたのです。あれほどまじめに熱心に本と取り組んだことは、受験勉強に励んだときも、大学の文学部に進んだときもありませんでした。(^ ^;)あの時読んだ本は題名すら覚えていませんが、あの読書体験がその後の私の読解力や作文力など日本語の力の土台となったのだと信じています。
 あれから30年以上たって言葉の森の講師を始めるまで、私は本当に読書から遠ざかっていました。でも、この間からもう一度100冊に挑戦することにしています。さすがに120日で100冊は無理ですが、常に途切れることなく読書しつづけようと思っています。とはいえ、まだはじめたばかりなので実は3冊しか読んでいません。今なら簡単に追い越せますから皆さんも100冊に挑戦してみませんか。そして、「先生より早く100冊クリアしたよー」と自慢してください。
 
ホーム 言葉の森新聞