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  9.1週は進級試験
  習うより慣れよう!(あおぞら/あお先生)
  あなたといっしょに作る詩(はち/たけこ先生)
  えいごリアンを想像する子(しろ/しろ先生)
  デジタルとアナルグ(めもま/けい先生)
  言葉の持つ力(さば/たけ先生)
  「水」のお話(スズラン/おだ先生)
 
言葉の森新聞 2004年9月1週号 通算第853号
文責 中根克明(森川林)

9.1週は進級試験
 9.1週に、作文進級テストを行います。課題フォルダの字数・構成・題材・表現・主題の●印が全部できていることが合格の条件になります。(表現の項目などで「たとえ」と「ダジャレ」など二つ以上の項目が指定されている場合はどちらかができていればその項目は◎です)。キーワードと字数が採点の基準ですので、指定された字数以上で必要な項目が全部入る作文を書いていってください。中学生以上の時間制限については、今回は採点の基準にしませんが、できるだけ時間内に書き上げる力をつけていきましょう。
 手書きで作文を書く人は、項目ができたところにシールをはっておいてください。
 パソコンで作文を書く人は、キーワードを入れておいてください。
 小学生の場合は、提出する前に、おうちの方が字数と項目シールをチェックしてあげてくださるとよいと思います。
 小学2年生までの生徒は、試験は行いますが、全員進級扱いで先の級に進みます。7月以降に受講を開始した生徒も、試験は行いますが、全員進級扱いで先の級に進みます。ただし、いずれの場合も、賞状は出ますので、できるだけ字数と項目ができるように書いていってください。
習うより慣れよう!(あおぞら/あお先生)
 とつぜんですが、先生はいま、標準語をうまく話せるよう練習中です。電話で皆さんとお話するときに、やっぱり標準語の方がいいかなあと思うからです(気づいていると思いますが、関西人なので)。
 練習すれば標準語なんてすぐにしゃべれるようになる!と思ったのは最初のうちだけでやり始めてみると、これがなかなか難しいです。テレビなどでイントネーションはしっかり頭に入っているはずなのですが、いざ使ってみるとなると、なかなかうまくいかないのです。あ、いまのイントネーションおかしい、と頭では分かっていても、うまく発音できないもどかしい経験を何度もしました。
 地方出身者でもあっという間に標準語をマスターしてしまう人もいます。先生はそういう能力がかなり低いのだと思います(+_+) 東京で社会人として働いていたころに、がんばって標準語を話そうとし、自分ではけっこういけているつもりだったのに「浅岡、なまってるね」と言われて、がっくりしたこともあります。
 でも、最近、少しずつ意識しないで標準語が出るようになりました。何度も何度も失敗して恥ずかしい思いをしながらもしつこく標準語を意識したからだと思います。まさに習うより慣れろ。そして何度も間違うことは成功の母なのだと実感したわけです。
 考えてみればみなさんがやっている長文もおなじではないでしょうか。おうちの人の前で音読をしてひっかかったり、まちがったりするのはやはり恥ずかしいでしょう。でも、言葉の森の長文は自分の学年よりも少し難しく作ってありますから、間違うのは当然です。できないことをできるようになるよう練習していると親子ともに思えれば、読み間違いもそんなに恥ずかしくはなくなると思います。そして間違える回数が多ければ多いほど、上達しているということなのです。
 でも、先週、電話で生徒さんと話しているとき、「先生、出身は関西だからねえ……」と言ったとたん、「ええっ! うそお!!」ととっても驚かれました。関西弁はかなり違和感のある響きだ思っていましたが、中にはぜんぜん気にならない人もいるのですね(^。^) ちょっぴりうれしかったです。でも、新しいことができるのはうれしいことなので、少しずつ標準語を練習している毎日なのでした>^_^< みんなもいっしょにがんばりましょう。標準語ではなく、長文の方ね、もちろん>^_^<
あなたといっしょに作る詩(はち/たけこ先生)
 みなさんは、身長って、寝ている間にのびるって、知っていましたか? 夏休み、ついついねぼうしてしまうあなたは、とっても身長ものびているかもしれませんね。というのは、じょうだんですが・・・。 成長ということですが、今のところ、先生のうけもっている生徒のみんなは、全員作文をさぼらずいつも提出してくれているので、どの生徒さんも着実に進歩していくようすが、読んでいる私にはよくわかります。それは私にとっても、とてもはげみになって、元気になることです。昔先生の子どもが赤ちゃんだったころ。はいはいから、一人で立って、そのあと、何度ころんでも、くじけずにわらいながら歩こうとしていました。それを見て、先生のだんなさまは感心してこう言ったのです。「あかんぼうの努力ってすごいなあ。赤ちゃんになまけものっていないんだな」人間って、もともと、「もっともっと進歩したい」という本能のある生き物ではないか、と、それを聞いて気づきました。だからおとうさんもおかあさんもこどもたちもみんな、「自分が進歩している」と感じるようなチャンスがあれば、生きている実感がわいてしあわせになるのだと思います。
 さて、夏休み特別版として、先生は昼寝をしていて、「詩」を書いている夢を見ました。その「詩」を書きます。しかもこの「詩」は世界的な発明! 読んでいる「あなた」といっしょに作る「詩」なのです。みなさんも( )の中にすきなことばを入れてみてください。そしてこの「詩」を完成させてくださいね。
 希望   作・(あなたのペンネーム)・アンド・たけこ
もしも 希望が 人の姿をしていたら
木立の中 または 人ごみの中 歩いてゆくその背中が見えたら
追いかけていって その肩を たたかずにはいられないだろう

(     )を見つけたら 走らずにはいられない
(  )月 (  )日は ぼくの(わたしの)(   )回目のたんじょう日
そのとき(      )にいたいなあ そこで(     )を見つけたい

人のすがたをした 希望の肩をたたいて ふりむかせられたら
ぼくは(わたしは) たずねたい
(                       )・・・と。
えいごリアンを想像する子(しろ/しろ先生)
 みなさんの「一番好きなお話」は何ですか? ちなみに先生の子供に聞いたところ、「えいごりあんのおはなし! 」と答えました。「ああ、知ってる。教育テレビでやっている英語番組のキャラクターね。」と思った人、実はそうではないのです。えいごリアンは登場しますが、内容は……奇妙な奇妙なお話です。
 「昔々、あるところに えいごリアンの小さな村がありました。その村では、『えいごリアン』と呼ばれるキノコのかたちをした 謎の生き物がたくさん生活していました。あるときその村で、キノコパーティーが開かれることになったのです。『さあ、明日はキノコパーティです! キノコ町一丁目のキノコ集会所に、一人一種類以上のキノコを持参してお越しください。みんなで 大きな鍋でグツグツ煮て食べてしまいましょう! 』……」
 と、この後まだまだ続きます。「こんなお話聞いたことない! 」と思っているみなさん、当然です。これは先生のオリジナルですから。
 ちなみに、「えいごリアンのお話」はこれだけではありません。子供たちに「えいごりあんのおはなしして! 」と言われるたびにアドリブで話しているので、毎回その内容は違います(笑)。とにかく、「えいごリアン」が登場しさえすれば子供たちは喜ぶので、「えいごリアンが山の上から、みんなでジャンプして海に飛び込みました。」「えいごリアンに突然、羽が生えて取れなくなってしまいました。」などバラエティー豊富です。
〜想像する先にあるもの〜
 みなさんが誰かのお話を聞いたとき、ある本を読んだとき、「おもしろいな」と感じる要因は、実はみなさん自身の「想像力」に隠されています。ここで言う想像力とは、「言葉という文字を、立体的な映像として組み立てる力」のことです。テレビも映像ですが、こちらは既に映像が作られてしまっている世界ですから、自分で組み立てることはできません。
 「想像」することは、考えることです。考えることは何かを生み出すきっかけになります。「想像」が「創造」へとつながったとき、きっと世の中でかけがえのない人物になることは間違いありません。
 「読書は大事」と、言葉の森の生徒のみなさんなら、今までに何度となくお父さんやお母さんから聞かされてきたことでしょう。では、読書はなぜ大切か、それは人間の想像力を養ってくれる手段だからなのです。特に、脳にインプットされていない新たな単語に遭遇したとき、そこで立ち止まることができるか否かを考えれば、読書は、誰かの話を聞くことを上回る最高の手段であると言えるのかもしれません。
 時間が限られているのは、何も夏休みだけではありません。人生そのものの時間は限られているのです。この先、たくさんの人の話に耳を傾け、あらゆる分野の本に触れ、想像力を働かせてみてください。
 
デジタルとアナルグ(めもま/けい先生)
 「デジタルとアナログ・・・。」あちこちで語られることですね。私はあまり今まで自分の身近なことで考える機会がありませんでした。ずいぶん昔、高校生の時に「デジタル腕時計と普通の腕時計のどちらが見やすいか」母と議論したことくらいでしょうか。しかし、夏休みに入って我が家の子どもたちの様子を見て、ハッとしました。
 この1年、私はとて便利にデジタルカメラで写真を撮り続けました。いつも鞄に入れてどこにでも持って行って、子どもたちを撮りました。そして、いっぱいになるとパソコンに読み込んでいくつものアルバムに整理しています。撮ったらすぐに見られるし、写真屋さんに現像に行く手間もお金もいりません。そして、アルバムに貼るという、うっかりするとドンドン溜って私にプレッシャーをかけるということもありません。そして何より保管に場所がいりません。だから、とても重宝に利用しています。
 先日、我が家のゴジラとイヘウコが何やらすごく楽しそうに話していました。「何だろう?」と思ってそっと部屋をのぞいてみると、自分たちの赤ちゃんだった頃のアルバムをめくり、「あのときはこんなだった」とか「このおもちゃ、なつかしい」とか「おばあちゃんだ!」などと言っては笑っていました。「ふ〜ん、楽しそうだなぁ。いいね、兄弟って」と私はのんきにその場をそっと立ち去りました。しかし、ふと思えば、この1年ほとんどデジカメでしか私は写真を撮っていませんので、さぁ、あの子たちは、こんな風に自分たちでアルバムを広げて楽しい時を過ごせなくなってしまったことに気づきました。そう、私がパソコンを立ち上げアルバムを開いてあげなくては見ることができないのです。「なんてことをしてしまったんだろう!!」とてつもなく悲しい気持ちになりました。私が便利さにかまけてしまったばかりに・・・。反省です。「デジタルとアナログ・・・。」デジタル化は便利であって、でも大切なものを失うことの大きさも忘れたくありません。
 「作文を書く」ということは、「自分の思いを頭の中で整理してそれを文章に表す」という非常に高度な行いですね。この文章表現をパソコンで行い、インターネットでデータとして送れば、立派なデジタル化。手で紙に書いて郵便で送るというのは、立派なアナログ的行為です。どちらが良いかは時と場合によって変わってきます。その特性をしっかり理解した上で、バランスよく自分の生活に取り入れていきたいものだと、つくづく思いました。みなさんの生活の中では、いかがですか?
(デジカメで撮った写真をプリントアウトすればいいんですけどね〜♪なあーんて・・・そういうことではありませんね!)

(めもま)
言葉の持つ力(さば/たけ先生)

 さて、みなさんは「けんか」をしたことがありますか? 友達や家族とついやってしまった、なんてことも一度ならずあるのではないでしょうか。
 私はというと、実はけんかが大の苦手(得意な人もいないでしょうが…)。というより下手なのですね。特に口げんかとなると、言いたいことは頭の中をぐるぐるかけまわっているのに、それが言葉となって外に出てこないのです。
 なぜか? もちろん私がどんくさいから、ということもありますが(笑)どうやら「言葉」に敏感すぎるところもあるようです。
みなさんも、今まで生きてきた中で、人に言われてひどく傷ついた言葉があるのではないでしょうか。特にけんかの最中は気が立っているので、つい言ったり言われたりすることが多いと思います。私も言葉で相手を傷つけてしまったことがあります。そして傷ついたこともあります。それらの言葉を思い出すと、もう何年も前のことなのに、まるでナイフで切られるような痛さを感じます。そういう思いをもうしたくない、そんな気持ちがどうやら私のけんか下手の一因にはなっているようです。

 なぐられたわけでもないのに「痛い」なんて、言葉にはすごい力がありますよね。そして、こうした痛みを与えるマイナスの力だけではなくて、言葉には強いプラスの力もあります。みなさんにもきっと経験があるでしょう。言われてとてもうれしかった言葉、はげまされた言葉、いやされた言葉。思い返しただけで、心に灯がともるような温かい言葉が。
 ある一言が人生を狂わせ、ある一言が命を救う。そういうことが実際にあるといいます。そう考えると私たちは言葉の持つ力に思いを寄せずにはいられません。言葉は強く、そしてその力は諸刃なのです。つまり、使う人しだいなのです。
 最近、言葉に対する無感覚さが問題視されています。インターネットやメールの氾濫がそれを助長している部分もあります。確かに、ネットの掲示板などに書かれているむき出しの言葉にとまどうこともしばしばです。しかしそのむき出しの言葉が事件や犯罪の原因になっているケースが増えています。言葉のもつ力を見誤った例といえるでしょう。

 私たちの周りは言葉であふれています。会話、活字、ネットなど。そのあふれかえる言葉の中で、それでも言葉に対する敏感さを保ち続けることが必要なのではと思います。けんかだって、たまにはどかんとやればいいのです。ただ、自分の発する言葉が相手にどんな影響を与えるのかを、言う前にちらりと思い返せることができれば理想的ですね。それが私の、けんかにおける目標です(笑)。まだまだ続く夏休み、こうした言葉たちについて考えてみるのもいいのではないでしょうか。
「水」のお話(スズラン/おだ先生)
 今年の夏は梅雨明け前から暑い日が続き、しかも最高気温は観測史上何番目かの記録続出、これはもう猛暑としかいいようがない夏ですね。
 電話でいつも「暑いですねぇ」と言ってしまいすみません。(暑さを呼び戻しますよね)

 そこで、今月は少しでも涼しく感じてもらいたいと、「水」のお話にしました。
 水は生活にとって欠くことができない一番大切なものですが、日本は水に恵まれた風土で、きれいな飲み水がいつも側にあることが当たり前の気がしていますね。そんな日本ですが水に苦しめられたり、水の大切さを身をもって体験したことから、昔から水に関する言葉や言い伝えが沢山ありそうです。
 そこで、水にまつわることわざ、名言の中から「なるほど」と思った言葉を少し書いてみます。

「水積もりて川をなす」
小さな流れが集まって川になる。少しずつでも沢山集まれば大きなものになるというたとえ。

「水は逆さに流れず」
水は低い方に向かって流れるもの。逆流させようと思ってもできない。何事も自然の理に逆らわず従うのがよい。

「川についていけば海に出る」
深い霧などにまかれたり、山で道に迷ったりしたときは、落ち着いて行動すれば大丈夫という意味。道に迷っても水が命をまもり、川が命を導き、無事帰ることが出来るということです。

「水にする」
無いことにする。空しくする。同じ意味で「水に流す」「水泡に帰する」など言いますね。

「水は方円の器に随(したが)う」
水は入れ物の形に応じて丸くなれば四角にもなる。人もつき合う友人や環境によってよくもなれば悪くもなるということ。

「水の恩はおくられぬ」
日本に伝わる言葉で、水の恩恵は大きいこと。水は人間が生きていくうえで、一日も欠かせないもの、その恩恵ははかり知れないものがある。恩恵が大きいことのたとえに使われる言葉。

 昔から水が生活にとってなにより大切なもので、人と人の暮らしの中で役立つ考えを、水にたとえて言いながら生活の知恵としていたのでしょうね。最近は飲むための水を買うことが多くなりましたが、おいしい水、きれいな水、安全な水を手に入れるためにも、先人が残してくれた水に関する言葉や言い伝えをヒントにしながら、きれいな水を守るためにどうすれば良いのか考え続けましょう。
 暑さが厳しい夏は、日照りの中で噴水を見ての涼しさ、川遊び、プールの楽しさ、水が無い生活は考えられませんね。先日の新潟、福井の豪雨で大きな被害もありましたが、反対に夏の水不足の大変さ、水がもたらす様々な出来事があります。でも、ことに暑い夏は水が豊富にある日本の自然に感謝したいですね。勉強に疲れたとき、一杯の冷たいおいしい水で、やる気も出てくること間違いなしです。
 
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