言葉の森新聞 編集用
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  9月23日(金)は休み宿題
  9月29日(木)・30日(金)は休み
  9.4週は清書
  港南台教室でプロジェクタ授業
  速読のページで速読力が付く
  長文引用の試み
  「自分だけが思ったこと」を書く(いろは/いた先生)
  なつかしい本(まあこ/ゆた先生)
  お詫びと訂正
 
言葉の森新聞 2005年9月4週号 通算第904号
文責 中根克明(森川林)

9月23日(金)は休み宿題
 9月23日(秋分の日)は、休み宿題です。先生からの電話はありませんが、その週の課題を自宅で書いて提出してください。先生からの説明を聞いてから書きたいという場合は、別の日に教室までお電話をして説明をお聞きください。(平日午前9時〜午後8時。電話0120-22-3987)
9月29日(木)・30日(金)は休み
 9月29日(木)と30日(金)は第5週で休みです。宿題もありません。
9.4週は清書
 毎月第4週は清書です。担当の先生の説明を参考にして、返却された作文の中から自分でいちばんよいと思うものを選び、作文用紙に清書してください。(一度清書したものは、清書しないように注意してください。また、ほかの人の作文を写して清書にすることのないようにしてください)

 清書は、次の月の4週の「山のたより」に掲載されます。
 清書の意義は、次のとおりです。
(1)これまでに書いた作品をよりよいものに仕上げること(小学生の場合は字数を増やす、表現を更に工夫するなど、中学生以上の場合は字数を短くまとめるなど)
(2)他の生徒の清書を読む機会を持つこと(自分の清書を他の生徒に読んでもらう機会を持つこと)
(3)新聞社に投稿する機会を作ること
 このほかに、(4)パソコンで入力する練習をする、(5)他の生徒の前月の清書に対して感想を書く、などに取り組むこともできます。
【注意事項】
◎清書は、黒いペンで書いてください。
(鉛筆だと薄すぎたり、濃すぎたりして、うまく読み取れない場合があります)
◎左上に、バーコードシールをはってください。
◎バーコードシールは、その月のものを、ページ順に、まっすぐにはってください。
◎絵や感想だけの用紙にも、バーコードシールをはってください。
◎1枚の用紙の裏表を同時に使わないでください。
◎独自の用紙を使う場合は、作文用紙と同じサイズにコピーを取り直してください。
(バーコードシールのないものや間違ってはられているものは、印刷日程の関係で翌々月のプリントになりますのでご了承ください)

 新しく教室に入ったばかりの人は、返却されている作文がない場合もあります。また、返却されている作文の中に清書するものがない場合もあります。そのときは、自由な題名で作文を書いて送ってください。
 清書は、2〜5人のグループ(広場のグループ)ごとにプリントして、翌月の4週に、「山のたより」と一緒にお渡しします。この清書は、インターネットの山のたよりでも見ることができます。
 用紙の空いているところには、絵などを書いて楽しい清書にしてください。色はプリントには出ません。
 感想文を清書する場合は、最初の「三文抜き書き」や「要約」はカットするか、簡単な説明に変えておく方が作品としてまとまりがよくなります。
 中学生以上の人が清書を新聞社に送る際の字数の目安は、500字程度です。長すぎる場合は、新聞社の方でカットされて掲載されることがあります。字数を縮めるときは、いろいろなところを少しずつ縮めるのではなく、段落単位でまとめて削るようにしていきましょう。第一段落の要約と第三段落の社会実例は削除し、名言や書き出しの結びなどの表現の工夫も削除し、第二段落の体験実例と第四段落の意見だけでまとめるようにするといいと思います。
 清書は、ホームページから送ることもできます。作文をホームページから送るときと同じように送ってください。

 よく書けた清書は、自分で新聞などに投稿してください。二重投稿になる可能性があるので、教室の方からの投稿はしません。(港南台の通学生徒の場合は、教室から投稿します)
 手書きで清書を書いている人は、その清書をコピーして、原本を投稿用に、コピーを提出用にしてください。
 パソコンで清書を送信している人は、その清書をワードなどにコピーして投稿用にしてください。
 新聞社に投稿する際は、作文用紙の欄外又は別紙に次の事項を記載してください。
(1)本名とふりがな(ペンネームで書いている場合は本名に訂正しておいてください)
(2)学年
(3)自宅の住所
(4)自宅の電話番号
(5)学校名とふりがな
(6)学校所在地(町村名までで可)
●朝日小学生新聞の住所
104−8433 東京都中央区築地3−5−4 朝日小学生新聞 「ぼくとわたしの作品」係 御中
●毎日小学生新聞の住所
100−8051 東京都千代田区一ツ橋1−1 毎日小学生新聞 さくひん係 御中
港南台教室でプロジェクタ授業
 港南台教室で、9月からプロジェクタを使った授業を始めました。毎日4:30、5:30の2回(場合によっては6:30も)授業を行っています。
 勉強の中心は個別指導ですので、担当の先生が個人ごとにその週の課題を説明します。しかし、一斉授業をすることで、生徒どうしのコミュニケーションも深まってきたようです。
 昔、私(森川林)が授業をしていたときのスタイルは、ホワイトボードにアドリブで絵や図をかきながら説明するという形でした。しかし、こういうやり方では、指導できる先生が限られてしまいます。その点、プロジェクタを使っての授業は、事前の準備によってだれでも密度の濃い授業ができます。
 そのプロジェクタですが、Yahoo!オークションで5万円で落札したものです。オフィスソフトに付いているパワーポイントを使うと、簡単にスライドが作れます。このスライドは、そのままhtml文書にできるので、今後ホームページにも公開していきたいと思っています。
速読のページで速読力が付く
 ホームページに速読のページがあります。
 速読の磯
http://www.mori7.com/iso/
 問題貝
http://www.mori7.com/kai/
 港南台教室では、教室に来た生徒はまずこの問題貝のページで長文を読み、問題を解き、自分の速読スピードを測定します。この速読のスピードは、記録できるようになっています。
 初めは、ただ長文を読むだけよりも、問題やスピード測定があった方が楽しいだろうという軽い気持ちで子供たちに読ませていました。しかし、数ヶ月の速読のデータが蓄積されると、やはり読むスピードが徐々に上がってきていることがグラフではっきりわかるようになってきました。
 このグラフは、今後山のたよりの表示にも反映させていきたいと思っています。
長文引用の試み
 書く力の基本は、読む力にあります。人は、自分の持っている材料の範囲でしか書くことはできません。
 ですから、書く力をつけるためのいちばんの近道は、読む力をつけることです。もちろん、書く力には独自の要素もありますから、読めればすぐに書けるようになるというわけではありません。しかし、読む力さえあれば、書く力の上達は驚くほど早いものです。
 言葉の森に通っている生徒は、何年も続けていると、必ず構成力と字数とスピードが伸びてきます。これは、書く力で独自に伸びる要素です。しかし、読む学習をしていないと、内容の深みや表現の工夫の力はなかなか上達しません。
 今、読む力の学習は、学校教育の中でも大きな役割を与えられていません。特に、中学・高校と学年が上がるにつれて、読む学習は軽視されていきます。現在の受験体制では、地道に読む力をつけるよりも、暗記物の学習に力を入れた方が能率よく高得点を取れるからです。しかし、入試のマークシートの成績では、だれも同じようなドングリの背比べであったものが、いったん小論文を書かせたり、じっくり話をさせたりすると、真の学力の差が明らかになってきます。この真の学力こそが、その人が社会に出てから生涯ついて回る学力です。

 そこで、言葉の森でも、読む力の学習をもっと強化したいと考えています。

 現在、読む練習としては、長文音読、短文暗唱、読書の自習がありますが、やり方を指示するだけではどうしても定着しません。
 港南台の教室では、一時期、授業の前に長文音読と短文暗唱のチェックをしていました。その結果、長文を読んでくる子がかなり増えました。また、その後、速読のページを作り、教室に来たらまず速読のスピードを測定し、同じページで速読の問題をするようにしました。これで、長文を読む生徒がだいぶ増えてきました。しかし、まだ家庭での自習をほとんどやってこない生徒がかなりいます。特に、小学校高学年からの、読む価値の高い長文になるほど読んでくる生徒が減ってきます。

 そこで考えたのが、長文音読の自習を作文と密接に結び付けるために、作文の中に長文の実例を引用するという方法です。このこと自体は以前から考えていましたが、毎週の作文で長文引用の評価をすることが難しいので、具体化していませんでした。
 しかし、現在、作文検定という目標を指導の中に入れられるようになりました。毎週の指導として長文の引用を指示することは難しいかもしれませんが、年に数回の検定試験を目標にした長文引用の指導をすることは比較的簡単にできそうです。
 このことによって、長文は読んでおくのが当然という学習スタイルができれば、作文の実力はこれまでよりももっと早く上達するようになると思います。


   
「自分だけが思ったこと」を書く(いろは/いた先生)
 先生はいつも「○○くん(ちゃん)らしい思ったことをたっぷり書いてね。」と言います。でも「○○くん(ちゃん)らしい」ってどう書けばいいのでしょう。
 一つの方法として「疑問のままで終わらせない」ことが考えられます。自分らしさを出すためには「疑問(ぎもん)に思ったこと」を疑問のままにしておかないで、その「答え」まで書くといいのです。
 たとえばお父さんが小さいころ、泣(な)き虫(むし)だったとします。そこで「お父さんはどうして泣き虫だったのだろう、と思いました。」だったら「疑問」のままで終わるでしょう? そうではなくて「どうしてなきむしだったのか」自分で考えてその答えを書いてみるのです。「お父さんは、水を飲(の)みすぎるので、体にあまった水が目から出てきたのだと思います。」と書けばそれはもう「自分らしさ」にあふれた「思ったこと」になります。



 感想文や第三段落の調べた話では必(かなら)ず「自分だけが思ったこと」を書いておきましょう。そうすることで、文章がいきいきとしてくるからです。「だって正しいかどうかわからないもん。」とか「答えに自信がないから。」なんてことは考えなくていいと思います。なぜなら今「正しい」と言われていることが後の世になっても「正しい」とは限(かぎ)らないからです。
 偉人と呼ばれる人たちの言葉は当時では受け入れられないものばかりでした。「それでも地球はまわっている」と宗教裁判(しゅうきょうさいばん)にかけられながら訴(うった)えたガリレオ=ガリレイの話は有名ですが、この「地球がまわっている」という言葉がローマ教皇に認(みと)められたのはガリレオの死後(しご)何百年もたってからです。当時はみんなが知っているように「太陽が地球のまわりをまわっている」ということが当たり前の「事実」だったのです。そこからわかるように「自分なりの答え」というものは、実は「大発見」かもしれません。



 「不思議だな、と思いました。」「そうなんだ、と思いました。」でとめないで、「どう不思議と思ったのか」「なぜそう思ったのか」まで教えてください。みんなの「思ったこと」には未来の科学者になれるだけの可能性があると思いますよ。(^O^)/
         
 
なつかしい本(まあこ/ゆた先生)
 先月号で書いた実家での「伝説のリカちゃんさがし」のとき、なつかしい本を見つけました。宮川ひろさんが書いた『るすばん先生』(ポプラ社)と、『先生のつうしんぼ』(偕成社)です。『るすばん先生』は、小学生のころ、いちばん好きな本でした。『先生のつうしんぼ』は、“第22回青少年感想文全国コンクール・課題図書”とシールが張ってあります。皆さんのお父さんお母さんの中にも、小学生のとき、夏休みにこの本で感想文を書いた方がいらっしゃるかもしれません。(あぁ、歳がばれますね。^^;)
 るすばん先生は、赤ちゃんを産むためにお休みをする先生の代わりに来た先生です。担任するのは3年3組。小学生だった私にとって、本の中の子たちは同級生のような存在でした。

 じつは私も2年生のときに、2回、先生がかわったんです。初めの先生は顔も覚えていないほど短い期間でした。代わりにやって来たのが、とてもやさしいおばあちゃんで、まるで本のるすばん先生のような先生だったのです。とても絵が上手で、花まるの他にもいろいろな絵の丸をかいてくれました。休み時間には、みんな教卓の先生のまわりに集まって、丸のかきかたを教えてもらったり、お話をしてもらったりしました。
 ところが、そのおばあちゃん先生ともお別れしなければならなくなりました。体調をくずされて、先生を続けられなくなってしまったのです。最後の日、先生は「先生は絵が大好きです。ですから、今日は先生の顔を描いてください。」とおっしゃいました。クラス全員、窓際に座った先生を描きました。描き上がった絵を一人ずつ先生に渡しに行くと、それぞれの絵と、その子のいいところをほめてくださいました。
 『先生のつうしんぼ』でも、先生の顔の絵を描く場面があります。担任の男の先生がお見合い写真の代わりにみんなの絵を相手に渡すというのです。おばあちゃん先生の次に私たちの担任になった先生は、この「先生のつうしんぼ」の先生に似た若い男の先生でした。
 新しい先生は、本当の先生になるために勉強中でした。ですから、何をやっても上手ではありません。とくにオルガンが苦手で、つっかえつっかえです。でも、文句を言う子は誰もいませんでした。歌で先生を引っぱります。「ピアノを習い始めたんだ。」と、懸命に練習する先生を、みんなではげましました。
 私たちは、先生が何度もかわって不安だったのかもしれません。いつでも先生にまとわりついていました。先生はそんな私たちといつも一緒にいてくださいました。2年生最後の日には、「本当の先生になって、また学校に来てね。きっとだよ。」と、何度も言ったことを覚えています。

 『るすばん先生』の最後のページに「先生、こんどはるすばん先生じゃなくってさあ、ほんとの先生になってまたきてよ。」というセリフがあります。私がこの本を特別に好きなのは、きっと、同じ経験があるからです。『先生のつうしんぼ』が好きなのは、本の中のにんじんが食べられない先生のように、完ぺきではない先生のことが大好きだったからです。
 読んでもおもしろく感じない本は、経験が足りないということかもしれません。自分の中で共感したり、比べたりできないからおもしろくないのです。ただがむしゃらに読んでも本を好きにはなりません。本を楽しく読むためにも、さまざまな経験を積むことが大切なんですね。
                                 
お詫びと訂正
 言葉の森新聞9月3週号「ルールのある生活」の記事に誤りがありました。
 「なりいき」→「なりゆき」
 「廃して」→「排して」
 お詫びして訂正させていただきます
 
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