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  10月29日(土)・31日(月)は休み
  10.4週は清書
  作文文化を作る(2)
  行列(ふじのみや/ふじ先生)
  数字はむずかしい(けいこ/なら先生)
 
言葉の森新聞 2005年10月4週号 通算第908号
文責 中根克明(森川林)

10月29日(土)・31日(月)は休み
 10月29日(土)と31日(月)は第5週で休みです。宿題もありません。
10.4週は清書
 毎月第4週は清書です。担当の先生の説明を参考にして、返却された作文の中から自分でいちばんよいと思うものを選び、作文用紙に清書してください。(一度清書したものは、清書しないように注意してください。また、ほかの人の作文を写して清書にすることのないようにしてください)

 清書は、次の月の4週の「山のたより」に掲載されます。
 清書の意義は、次のとおりです。
(1)これまでに書いた作品をよりよいものに仕上げること(小学生の場合は字数を増やす、表現を更に工夫するなど、中学生以上の場合は字数を短くまとめるなど)
(2)他の生徒の清書を読む機会を持つこと(自分の清書を他の生徒に読んでもらう機会を持つこと)
(3)新聞社に投稿する機会を作ること
 このほかに、(4)パソコンで入力する練習をする、(5)他の生徒の前月の清書に対して感想を書く、などに取り組むこともできます。
【注意事項】
◎清書は、黒いペンで書いてください。
(鉛筆だと薄すぎたり、濃すぎたりして、うまく読み取れない場合があります)
◎左上に、バーコードシールをはってください。
◎バーコードシールは、その月のものを、ページ順に、まっすぐにはってください。
◎絵や感想だけの用紙にも、バーコードシールをはってください。
◎1枚の用紙の裏表を同時に使わないでください。
◎独自の用紙を使う場合は、作文用紙と同じサイズにコピーを取り直してください。
(バーコードシールのないものや間違ってはられているものは、印刷日程の関係で翌々月のプリントになりますのでご了承ください)

 新しく教室に入ったばかりの人は、返却されている作文がない場合もあります。また、返却されている作文の中に清書するものがない場合もあります。そのときは、自由な題名で作文を書いて送ってください。
 清書は、2〜5人のグループ(広場のグループ)ごとにプリントして、翌月の4週に、「山のたより」と一緒にお渡しします。この清書は、インターネットの山のたよりでも見ることができます。
 用紙の空いているところには、絵などを書いて楽しい清書にしてください。色はプリントには出ません。
 感想文を清書する場合は、最初の「三文抜き書き」や「要約」はカットするか、簡単な説明に変えておく方が作品としてまとまりがよくなります。
 中学生以上の人が清書を新聞社に送る際の字数の目安は、500字程度です。長すぎる場合は、新聞社の方でカットされて掲載されることがあります。字数を縮めるときは、いろいろなところを少しずつ縮めるのではなく、段落単位でまとめて削るようにしていきましょう。第一段落の要約と第三段落の社会実例は削除し、名言や書き出しの結びなどの表現の工夫も削除し、第二段落の体験実例と第四段落の意見だけでまとめるようにするといいと思います。
 清書は、ホームページから送ることもできます。作文をホームページから送るときと同じように送ってください。

 よく書けた清書は、自分で新聞などに投稿してください。二重投稿になる可能性があるので、教室の方からの投稿はしません。(港南台の通学生徒の場合は、教室から投稿します)
 手書きで清書を書いている人は、その清書をコピーして、原本を投稿用に、コピーを提出用にしてください。
 パソコンで清書を送信している人は、その清書をワードなどにコピーして投稿用にしてください。
 新聞社に投稿する際は、作文用紙の欄外又は別紙に次の事項を記載してください。
(1)本名とふりがな(ペンネームで書いている場合は本名に訂正しておいてください)
(2)学年
(3)自宅の住所
(4)自宅の電話番号
(5)学校名とふりがな
(6)学校所在地(町村名までで可)
●朝日小学生新聞の住所
104−8433 東京都中央区築地3−5−4 朝日小学生新聞 「ぼくとわたしの作品」係 御中
●毎日小学生新聞の住所
100−8051 東京都千代田区一ツ橋1−1 毎日小学生新聞 さくひん係 御中
作文文化を作る(2)
 まず、未来の社会が教育に対して求めるものは、もはや受験の合否や国語の成績ではないということです。これまでの社会では、教育の目標は受験にならざるを得ませんでした。いい学校に入ることが、社会へのいいパスポートを手に入れることと密接に結び付いていたからです。ところが、いいパスポートの数が限られている以上、そこには競争が発生します。勉強の競争に勝つことが勉強の目標になるとともに、より合理的な競争を作り出すことが受験の目標になりました。競争を軸に展開された教育から生まれたものは、点数の差がつきやすいところが勉強の中心になるという教育でした。人間や人生にとって必要かどうかということよりも、テストに出そうかどうかということが勉強の目標になっていたのです。
 これに対して、未来の社会における教育は、人間がより人間らしくなることを目標とする教育です。そこには、これまで常識と思われていたものとは異なる教育の姿があるはずです。

 教育の目的は、根本的に言えば、人間の生きる目的である幸福、向上、創造、貢献を実現するための土台を作ることです。
 この教育の目的と結び付けて考えると、作文の本質は、創造にあります。創造とは、既にあるものから、いまだないものを新たに作り出すことです。
 宇宙の本質もまた創造だと言われています。宇宙には、完成されて静止した目的のようなものはなく、ただひたすら新たに創造する動きだけがあると言うのです。この説が正しいかどうかはわかりませんが、固定された究極の目的のようなものがある宇宙よりも、創造自体が目的となっている宇宙の方が納得できる気がします。

 生物の進化も、このような創造の道筋をたどってきました。現在見られる多様な生物群も、それぞれに多様な価値を持って存在しています。そのどれかがほかに比べて進化の道筋で先に進んでいるからと言っても、それは遅れているものがなくなってもいい理由にはなりません。例えば、魚類→両生類→爬虫類→哺乳類という進化の流れがあったとしても、進んでいる哺乳類さえいれば、遅れている爬虫類はいなくなってもいいというわけではありません。多様さというのは、常に途中の過程です。進化の爆発のような現象はめったに起こらないとしても、哺乳類も爬虫類も、これから更にそれぞれの多様さを増していくはずです。その多様さの増大こそが創造と呼ばれるものです。

 この地球上の生物の多様性は、今のところDNA上の遺伝子の組み合わせの多様性と考えられています。生物における創造とは、遺伝子の組み合わせ方の創造と言ってもいいでしょう。組み合わせの創造が可能であるためには、組み合わせにルールがなければなりません。親から子へと確実に遺伝子が伝わるという原則があって初めて、その伝わり方に創造的なものが生まれる余地が出てくるのです。

 同様に考えれば、作文は、思想ないしは言語の組み合わせにおける創造です。ここでも、創造が生まれるためには、その土台に確実なルールがなければなりません。ルールがあるからこそ文章における伝達が可能になるのです。しかし、伝達そのものが作文の目的なのではありません。

 人間以外の動物は、言葉ではないある意志のようなものによってコミュニケーションを行っています。例えば、協同で狩りをする動物たちは、言葉による打ち合わせなどは行っていません。ある肉食獣では、追いかける役と待ち伏せる役が分担されているそうです。異なる役の連携をするものは言葉ではなく、全体の意志のようなもので、ある意味でテレパシーと呼ばれるものの原初的な形態でしょう。
 テレパシーが高度な思想についても行われるようになれば、それは言語よりもスムーズにコミュニケーションを図る手段になると考える人もいます。しかし、伝達がスムーズになればなるほど、その伝達から創造性は失われていきます。制約の多い言語だからこそ、創造が可能であり、その創造性こそが作文の本質なのです。
 
行列(ふじのみや/ふじ先生)
 秋らしくなってきました。そろそろ秋のくだものや野菜の収穫もたけなわ。ブドウが大好きなわたしは、果物売り場の前でうっとり品定めができるのが、楽しみです。
 さて今月は「食欲の秋」から思いついたことを。中学生の長文の中で取り上げている(12.2週)行列についてお話しましょう。

 みなさんは、「ならびなさい」といわれてならんで順番を待ったり、自分からすすんで行列のしっぽにつながったことがあるでしょう。長文で取り上げられているのは、前のほうの行列。規則だからしかたなくならぶ、そんな感じです。
いっぽう町では、期待でワクワク、「まだかな♪」と首を左右にふりながら仲良くつながっている人の列をしばしば見かけます。

テーマパーク、スープがじまんのラーメン屋さん、焼きたてがおいしいパン屋さん、有名なお菓子職人のいるケーキ屋さん。わたしの家からしばらく歩いたところにあるアイスキャンデー屋さんも、TVで紹介されたのがきっかけに長い行列ができるようになりました。ならんでいる様子は、それだけでうれしそう。もちろん、わたしも仲間に入ったことがあります。「きっとよいことがあるに違いない」と思うのです。暑い中ならんだごほうびに、黄金のスティックが出てくるはずもなく、普通の木の棒つきアイスキャンデーでしたが。

 「ならんでみたい」……この気持ちはどこから来るのでしょう。
「オヤ!」と思うようなことを誰かが始めると、周りの人も同じことがしたくなるそうです。これは、心理学で「同調」と言われる行動です。「同調」について、おもしろい実験の話があります。
 おなかをすかせた1羽のニワトリにえさを与え、満腹になるまで食べさせます。そこに別のおなかをすかせたニワトリを連れてきて、満腹ドリ横でえさを食べさせると、どうなるか。満腹ドリはおなかがはちきれてそうになっていても、またエサを食べ始めるのです。いつもの1.5倍以上も食べたそうです。
 たぶん、人間はニワトリよりも高い知性を持っていますが(笑)、行列に目がいくと心の奥の「自分も!」という声に押されます。それは、行列の原因にあるモノに対しての関心だけではありません。「まわりにならわないと損しちゃうぞ」という、「同調」行動によるものなのですね。

 ある店の店長さんによると、「不思議なもので、3、4人がならぶとどんどん列が伸び、人気商品以外のものも売れ出し、売り上げが2.5倍に増えることもある」そうです。つまり品物はともかく、行列ができれば「売れる店」として成功できる。そこで、こんな考えかたも生まれます。
 行列を作るためには、店員の人数を増やさない、客との対応に時間をかける、包装はゆっくりていねいに、時には不必要な包装もする……つまり、ならんでいる人にとっては困ることをすればうまくいく!

 なんとまあ!! 

長文では、行列を「先進国特有の先着優先の平等主義」と位置づけていますが、行列もできる場所によっては、お店が繁盛するための「しかけ」なのですね。
そうとわかっても、何だか楽しそうな行列には、「自分も行ってみよう!」と足が向いてしまうのですが。
 
数字はむずかしい(けいこ/なら先生)
 今年の夏は「クールビズ」という言葉をあちらこちらで見かけました。今年の流行語大賞にでも選ばれるのではないか、と思うくらいです。毎年のように「今年は暑いねぇ。」と言い続けているように感じますが、実際に、日本は暑くなっているようです。8月10日のある新聞には、
 ◎5、6年前、JR日暮里駅ホーム向かいの石垣にシダが茂っていた。南北の回帰線を中心に分布するホウライシダで、温室で栽培されていたシダの胞子が風に乗り、根付いたという。
 ◎目黒区にある国立科学博物館付属自然教育園で1990年、野生化したキウイを発見。ニュージーランドや中国南部が原産の亜熱帯の植物だ。明治神宮などでも見つかっている。
などの記事が載っていました。夏の暑さはもちろんのこと、冬の温暖化が進み、亜熱帯の植物も冬枯れすることなく育つようになったそうです。

 私は大学時代に一人暮らしをしていました。住んでいたのは小さな部屋、窓も胸から上のところにある小窓で、決して風通しのいいところではありませんでした。その部屋でも、クーラーなしで、4年間を過ごしました。(もちろん、暑かった記憶はあるのですが。)今の東京で、クーラーなしで過ごそうと思うと、かなりの決意と意志の強さがなければむずかしいでしょう。そして、ここ数年の冬は、保温性の高いダウンジャケットを着る機会が少なくなりました。自分の体で温暖化を実感しているところです。

 実際の数字はどうでしょう? 同じ記事には、「気象庁によると、東京は約100年間で8月の平均気温*が2・4度上昇したのに比べ、1月は3・8度も上がっている。」とあります。なるほどなぁ、確かに統計を見ても温暖化は進んでいるのだな、とわかります。

 ここからが問題です。作文に自分の意見を出すときに、どうしたら相手を納得させられるか? いろいろな方法が考えられます。
 ◇体験や実感を材料とすること
 ◇人から聞いた話調べた話を引用すること
 ◇数値データ**を提示すること
これらがその方法です。それぞれ、とてもいい方法ですが、使い方をよく考えなくてはなりません。体験は自分だけの特殊なものではないか、普遍的なものなのか。(もちろん特殊ゆえに用いるケースもあります。)聞いた話・調べた話は、信憑性(しんぴょうせい:信用するに値するかどうか)があるのか。数値は引用するにふさわしいかどうか……これらを意識しながら組み合わせて使っていくことで、読者を「なるほど!」と納得させられる文章になっていきます。
 今回、気になったのが「数値データ」です。例えば、平均気温と言われてそれがどのようなものを指すか、はっきりわかった上で数値を示されるのと、漠然と受け取るのとでは、大きな違いがあります。数値に対して、私たちは「正確・科学的・事実」というようなイメージを持ちやすいがゆえに、ややもするとそれにだまされてしまうことがあるのです。

 この夏のクールビズ絡みでよく言われた「冷房の設定温度は28度に」。これもとてもわかりやすい指標で、私もリモコンをそのように設定しています。ですが、「なぜ28度なの?」と聞かれると、詰まってしまいます……。インターネットで調べてみたら、少なくとも3つ以上の理由が考えられましたが、どれをもって大々的に「28度」とされているのか、またそれらの理由が本当なのかどうかも、確信が持てません。

 つまり、数値データなどを用いるときにも、また、示されたときにも、安易になってはいけないということです。もっとシンプルな例を挙げれば、「まだ半分もある/もう半分しかない」という表現です。どちらも半分(2分の1)という数値を使いながら、伝えたいことは反対のようです。ここを忘れないように。数値は人を納得させるためにも、まるめこむためにも使えてしまうのです。体験談・聞いた話などよりも、「数値」であるが故にプラスとマイナスの幅が大きくなりやすいのかもしれません。

*平均気温:1日24回の観測値から算術平均により日平均気温を求め、日の値から同様にして月平均気温を求める。
**数値データ:中1相当レベルの秋以降「題材」項目
 
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