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  1月14日(月)は休み宿題(再掲)
  小3以下の難しい長文は第一段落だけの音読で
  知る楽しさ
  作文小論文入試のコツ(その1)(昨年の記事の再掲です)
  未来の勉強
  頭の回路が開くとき(はち/たけこ先生)
 
言葉の森新聞 2008年1月2週号 通算第1014号

https://www.mori7.com/mori/

森新聞
1月14日(月)は休み宿題(再掲)
 1月14日(月)は、休み宿題です。先生からの電話はありませんが、その週の課題を自宅で書いて提出してください。先生からの説明を聞いてから書きたいという場合は、別の日に教室までお電話をして説明をお聞きください。(平日午前9時〜午後7時50分。電話0120-22-3987)
 電話の説明を聞かずに自分で作文を書く人は、ホームページの「授業の渚」か課題フォルダの「解説集」を参考にしてください。
 「授業の渚」 http://www.mori7.com/nagisa/index.php
 「ヒントの池」 http://www.mori7.com/mine/ike.php
小3以下の難しい長文は第一段落だけの音読で
 小3以下の長文のうち、1.1週、1.4週、2.4週、3.4週は、ほかの長文と比べて文章が難しくなっています。
 これらの長文を全部音読するのが負担が大きい場合、第一段落だけに限って音読をしてくだされば結構です。
 長文問題も、この第一段落から出すようにします。

 長文集は、これまで1.1週、1.4週、2.4週、3.4週については「長文なし」としていました。
 しかし、毎週読む長文があった方がよいため、2008年からすべての週に長文を入れるようにしました。
 このため、学年によってはかなり難しいものが入ってしまいました。今後、学年に対応したものに修正していく予定です。
知る楽しさ
 世の中には、いろいろ楽しいことがあります。
 しかし、その中でも、新しいことを知り、その知識をもとに考え、その考えをもとに行動することほど楽しいことはないと思います。
 お正月や夏休みなどの長い休みになると、退屈する人も多く、テレビを見たり遊びに出かけたりして暇をつぶすことが多いと思います。しかし、娯楽を外に求めるような時間の過ごし方は、すぐに飽きてきます。
 今の世の中には不充分なことがまだ多いので、もっとお金があったら幸せだとか、もっと格好よかったら幸せだとか、もっと頭がよかったら幸せだとか、つい思いがちです。しかし、それらの幸せが幸せと感じられるのは、手に入ってからしばらくの間だけです。永遠の若さと美しさと賢さと最高学歴と無限の富が、いま突然手に入ったら、だれでも大喜びするでしょう。しかし、少し想像してみればわかるように、そのような喜びは、長くても数年、短ければ数日で飽きてしまうはずです。
 では、永続する幸せとは何かと言えば、それは向上することと創造することの中にあると思います。
 勉強の意味も、またそこにあります。向上と創造は、もちろんいろいろな分野にあります。スポーツにも、芸術にも、料理作りにも、それぞれの向上と創造があります。しかし、勉強における向上と創造は、きわめて広い分野にわたりしかも奥が深いので、だれでも自分の得意な分野を見つけ、それを自分のライフワークとして追求していける可能性があります。
 レイ・カーツワイルは、「加速するテクノロジー」という本の中で、未来の人間は、自分の身体的限界を離れ、時間的にも空間的にも自分の可能性をより遠くまで広げていくだろうと述べています。そのときに、人間のアイデンティティのよりどころとなるのは、その人の知のだと思います。
 現代の社会では、勉強は、ほかの何かの目的のための手段と考えられています。しかし、実は、勉強そのものが人間の生きる目的となる面があるのです。
 
作文小論文入試のコツ(その1)(昨年の記事の再掲です)
 大学入試ばかりでなく、高校入試でも、中学入試でも、作文試験を課すところが増えてきました。

 今回は、主に高校入試での作文のコツを説明します。
 高校入試では、課題文にそれほど難しい内容のものは出ないことが多いので、受験者が書く作文は、どれも似通った上手なものになる可能性があります。この中で、どのように上手さを目立たせていくかということが大事になります。

 まず第一は、字数の枠内に収まっていないものは、文句なしに不合格だということです。採点者は、限られた時間で多数の作文を採点するので、字数の条件をクリアしていないものは、内容さえ見てもらえない可能性があります。
 第二は、誤字が二つ以上あるものも、やはり同じように無条件に不合格になる可能性があります。この誤字が、実は意外と多いのです。中でも、小学生のころに習った初歩的な漢字を間違えて覚えているというケースが多いです。中学校の3年間は真面目に勉強していても、小学3、4年生のころは結構適当に勉強をしていたという子はかなりいます。というよりも、むしろそれが自然な姿です。しかし、その小学生のころに間違えて覚えた漢字は、ふだん自分の書いた文章を人に見てもらう機会がないので、大人になるまでその間違えた漢字のままずっと覚えているというわけです。どうして、そういうことがわかるかというと、私(森川林)自身がそうだったからです。^^;
 個人的な話ですが、私は読むことも書くことも好きで、書くことについては、中学生のころからずっと日記を書いていました。しかし、勉強の方は、その当時の子供たちの多くがそうだったように、家ではほとんどしていませんでした。その私が、自分が小学生のころに習った漢字を間違えて覚えていると気づいたのは、大学生になって就職試験で作文を書く練習を始めたころでした。自分で文章を書きながら、辞書で逐一確かめてみると、あるわあるわ、次々と誤字が出てくるではありませんか。その誤字のほとんどは、小学生のころにならったはずの教育漢字でした。私はたまたま自分でそういう練習をしたので、その後自分の書く文章で誤字はほとんどなくなりました。しかし、私と同じように小学生のころにあまり勉強をせずに、高校生になってからしっかり勉強をするようになった人の多くは、今でも同じような状態にあると思います。たぶん、男の人。(笑)
 実際に、社会人の書いた文章を見る機会がときどきありますが、800字の作文で誤字が一つもない作文というのは、実は珍しいぐらいです。そう考えると、高校入試の作文を誤字でスクリーニングすると、それだけでかなりの作品が絞られてくるように思います。
 誤字をなくすコツは、入試に出てくるようなテーマで文章を書き、そこに出てくる漢字をすべて辞書で調べてみることです。もっと簡単なのは、ほかの人に読んでもらうことです。一般的な漢字の書き取りの練習をしても、効果はありません。大事なのは、正しい漢字が書けるということではなく、「自分がよく使う語彙や言い回しで」正しい漢字が書けるということだからです。
 私の経験では、今800字の文章を書いて、誤字が2ヶ所以上あった人が、これから練習して誤字ゼロの文章を書けるようになるには、1年間ぐらいかかると思います。
 第三は、難語を自然に書く、第四は、光る表現を入れる、第五は、感動のある体験実例を書く、第六は、知性を感じさせる社会実例を書く、第七は、構成が分かるように書く、などですが、それはまた次回に。(つづく)

 受験コースの生徒から、ときどき、「先生のヒントを聞いてから書くのでは、試験の本番のときに書けないのでは」と聞かれることがあります。
 しかし、これまでの経験では、先生のヒントを聞いて、そのとおりに書ける子は実力のある子で、合格圏内に入っている子です。
 ただし、ヒントを見ながら、ヒントを写すような感じで書いていては力がつきません。ヒントを聞いて、又は読んで、そのあとは、自分の頭の中に残っているものだけで書くというのが実力をつけるコツです。


  
 
未来の勉強
 最近、株式投資の本と、量子論の本と、精神世界の本と、最先端テクノロジーの本を読みましたが、いずれもアメリカで出版されているものの翻訳でした。
 七、八年前、私(森川林)がプログラミングの勉強をしようと思いたち、PHPとMySQLの本を探したことがありました。しかし、当時そういう本は日本では出ていず、仕方なく辞書を引き引き英語の本を読んで勉強しました。
 日本に住んでいると、周りも同じレベルなのでつい安心してしまいがちですが、世界の水準から見ると、日本の知的レベルはどんどん立ち遅れているような気がしてなりません。
 現在、高校生になっている人は、日本のそういう遅れを自覚して、大学生になったらしっかり勉強していってください。
 今日は、その勉強に関するいろいろな話を思いつくままに。

 第一は、プログラミングの知識はこれからの社会では絶対に必要なのに、いまだに大学では文系の人にプログラミングを教えていません。日本では、経営者はプログラミングの技術を知らず、プログラミングをできる人は経営を知らないという状態が続いています。私は、だいぶ前にこのことを指摘して、高校生以上の人を対象にプログラミング研究会なるものを作りましたが、あまり時間が取れなくなってしまったので今は休眠状態です。
 第二は、英語はやがて自動翻訳機に取って代わられるということです。技術の進歩は加速しているので、英語を勉強する意味は次第に薄れていきます。これは、外国語全体について言えることです。外国語の得意な人は、外国語以外の得意なことを作っていく必要があります。
 第三は、株式投資などの分野は、これから日本でも広がります。そのときまでに、投資についての勉強をしておかないと、大きなトラブルに見舞われる可能性があるということです。投資の知識と技術は、日常生活の他の分野の知識や技術や常識とかなり異なっています。これも、大学では教えてくれないので、独自に勉強する必要があります。
 第四は、将来の社会では、勉強が生活のいちばん大事な分野になるだろうということです。人間には、勉強以外のいろいろな楽しみがあります。ドライブも旅行もスポーツもそれぞれ楽しいものです。しかし、真に持続できる楽しみは、勉強をして新しいことを知ることです。未来の社会では、生活のために必要な拘束時間が次第に減っていきます。そのときに、空いている時間を好きな勉強にあてることができれば人生はバラ色です。勉強の楽しみを知らなければ、膨大な余暇時間が退屈で仕方なくなると思います。
 第五は、これまでに必要と思われていた仕事は、未来の社会ではほとんど必要なくなるだろうということです。例えば、営業の仕事はもともと不要なものです。買い手と売り手が正しい情報で結びつけられる仕組みができれば、人に何かを売り込むなどということは必要なくなります。また、管理部門の仕事ももともと不要なものです。システムがしっかり機能していれば、事務的な仕事は機械が肩代わりできます。役所も、もっと少人数でよくなります。交通警察も、ほとんど不要です。例えば、どうしも一旦停止を守らせたければ、自動車が一旦停止で自動的に止まる仕組みを作ればいいのです。医者も、みんなが健康になる仕組みを根本から作り直せば、今よりもずっと少人数でよくなります。弁護士も、人間のレベルがもっと向上すれば、仕事はずっと減るはずです。学校や塾の先生のように人を教える仕事も、ほとんどが自学自習システムに取って代わられると思います。これまで、どうして、役人や医者や弁護士や先生が堅い職業だと思われていたかというと、それらの仕事が社会の進歩の立ち遅れた点に依拠していたためです。社会というのは、なかなか進歩しないので、それらの遅れが一見安定しているように見えていたのです。
 では、将来の有望な仕事とは何でしょうか。それは、学問研究です。自分の専門分野で、他の人が追随できないような研究をすることが将来最も有望な職業になると思います。この「将来」はだいぶ先ですから、当面の具体的な選択として研究職を勧めることはできませんが、将来、人間の社会がもっと進歩したらいつでも研究職に転職できるように、自分の得意な分野の勉強を進めておく必要があります。
 第六は、精神世界に関する話は、一般的な教養として知っておく必要があるということです。昔、マスコミで超能力バッシングがあったために、いまだに日本では精神世界に関することはタブー視されています。しかし、日本がそういうタブーにとらわれている間に、世界の研究はどんどん先に進んでいます。これも、大学では教えてくれないので、理解のない年配者はほうっておいて独学で勉強をしていく必要があります。
 第七は、量子論をはじめとする新しい科学の分野を勉強することです。これも、たぶん日本では科学教育の遅れから、文系の人はどんどん新しい知識から置いていかれる傾向にあります。テレビや新聞がもっと科学の最先端の話を取り上げるようにすればいいのですが、これらのマスメディアは、スポンサーに目を向けているために、今売れているものを中心に報道する傾向があります。また、当然、大学では狭い専門の分野しか教えてくれません。ですから、これも独自に勉強していく必要があります。


  
 
頭の回路が開くとき(はち/たけこ先生)


 みなさんの中には、今年受験されるという人もいます。
 また、1年後、2年後に受験するという人もいますよね。
 そんなみなさんに、今回お伝えしたいことは、「最後の瞬間まで勉強していよう」ということです。受験生でない生徒さんにも「脳のはたらき」?のような感じで読んでもらえればと思います。
 なんだか、受験雑誌みたいな内容になってしまいますが、私の住んでいるところの近所でも、あせってかえって勉強が手につかなくてこまっている受験生の方たちがいて、相談にのってあげたりもしたので、ここでも書いておいたほうがいいかなと思ったのです。

 

 まず、あせらないこと。
 そして、みなさんは中学、高校、大学受験でも、勉強をやればやるほど、のびる時期だということ。いや、「のびる」という言い方は、私自身の実感からしてもちょっとちがいます。「頭のとびらがどんどん開いていく」という感じのほうがあっている時期だと思います。



 最初は、「これからまだやらなければいけないことが・・・」と、とてもぼうだいに思えて、気がとおくなりそうになるかもしれません。でも、とりあえず、「ああすればこうなる」(と言う長文覚えていますか?笑)「未来のために現在がある」という考え方でなく、今日やると決めたページ、やる課題だけ見ていてください。毎日それだけを誠実にこなしてください。
 ・・・すると・・・
 ある日突然、学校の定期テストなどで、回答のらんにびっくりするほどすらすらと答えがうかんでくる時期が確実に来ます。これが「頭のとびらが開く」感覚なのです。私が相談にのってあげた近所の二人の中学受験生、大学受験生さんも、「本当にそのときが来ました!」と言ってくれました。極端に言うと、現在やることだけを見て、あせらないようにするためには、実力模試を最後の1回以外、やらないということもいいかもしれません。実は私も大学受験のとき、9月の模試の成績があまりにも悪かったので、以降本番の受験まで模試を受けるのをやめてしまいました。(これはちょっと極端なので、最後の1回はやったほうがいいと思いますが・・・)
私自身は、国立大学を受験しようと決めたのは、高校三年生の四月からで、それまで本とマンガにうもれていた生活で、学校の成績も50番くらいでたいして良くなかったのです。ところが、新しい担任の先生が私のどこを見てそう言ってくれたのか、「おまえは国立大学一本でいい」と言い切ってくれたので、その気になりました。本が好きだったので、国語と英語だけは成績が良かったのですが、数学はまったくだめ、あとの世界史、日本史、そして理科一教科をはたして、3月まで1年もないのに全部できるのか一瞬気が遠くなりました。でも理科も暗記の多い生物を選び、英単語、英熟語とともに、とりあえずひたすら参考書をくりかえし読んでいきました。決めたのが遅くて、通塾時間がもったいないと思ったので、塾へ行かずに通信添削を夏休みまで、これは得意教科の国語と英語だけ。そこを完璧にして点をかせごうと思ったのです。
そして、「頭の回路」が開く経験をしたのが、2学期の期末テストで、そこからは自分でも驚くくらい開く一方でした。そして、受験当日も、休み時間最後まで見ていた問題集と同じ問題がなんと出た教科もあったのです。



 言葉の森ですと、小論文、作文対策として受講している生徒さんもいるでしょうが、これも同じこと、特に受験コースの生徒さんは最後までがんばってほしいです。突然、何を書いたらよいのかすっかりわかる、回路が開ける時がきっとくるのですから。

 
 
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