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  連休中の予定(再掲)
  文章の長さ
  四行詩
  タケノコ(モネ/いとゆ先生)
  日記や手紙は作文になりますか?(ほたる/ほた先生)
  忙しいときだからこそ(わびすけ/かねら先生)
 
言葉の森新聞 2008年5月1週号 通算第1029号

https://www.mori7.com/mori/

森新聞
連休中の予定(再掲)

 教室の休みは、課題フォルダに書いてあるとおりです。
 4月30日(水)は5週目のため休みです。
 5月1日(木)2日(金)はあります。
 5月3日(土)5日(月)6日(火)は、休み宿題です。先生からの電話はありませんが、自宅で作文を書いて提出してください。
 5月1週の言葉の森新聞と山のたよりは、早めの発送となっています。
文章の長さ
 作文小論文の実力は、ある程度まで字数力に比例しています。小学生から高校生の場合、同じ時間内にどれくらい長く書けるかを見てみると、文章力と文章の長さの間にはかなり相関があります。
 しかし、もちろん例外もあります。一つは、小学校低学年で長く書きすぎる子は、意外と苦手な子が多いということです。長さだけを目的にするのであれば、句読点などを気にせずに、「そして」「それから」「それで」とどんどんつなげていけば、いくらでも長く書けるからです。もう一つは、高校生以上で、考えることや書くことが好きな子は、優れた内容の文章を密度濃くまとめることもあるということです。
 長く書くコツは、二つあります。一つは、小学生の場合です。説明や感想を中心に書くと、字数はどうしても短くなります。逆に、描写の部分を増やせば字数は増えます。描写を増やすためには、そのときの会話を思い出すことです。会話の改行で字数が長くなるように見えるということもありますが(笑)、それ以上に、会話を書くことによって、そのときの様子を絵を描くように書くので自然に長く書けるようになるのです。
 もう一つは、中学生以上の場合です。中学生以上になると、作文のジャンルが説明文や意見文になるので、描写的に長く書くことは難しくなります。そこで、実例を増やして書くようにするのです。その実例は、体験実例ではなく、主に知識実例です。本をよく読んでいると、使えそうな知識が蓄積されていきます。教科書で覚えるような知識は、断片的な知識であることが多いので、作文の実例としては役に立ちません。歴史の教科書をいくら読んでも歴史実例は増えませんが、ある人物の伝記を一冊読めば、そこからいろいろな生きた実例を身につけることができます。
 そして、本当はもう一つ、長く書くための大事なコツがあるのです。それは、根性です(笑)。というとおかしく聞こえますが、「今日は、何が何でも○○字まで書こう」と思って、無理矢理にでも字数を引き伸ばすと、その無理矢理書いた字数が、なぜか自分の実力になっていくのです。
 この根性というコツは、書くスピードにもあてはまります。書くのに時間がかかる生徒は、書き出す前に、「何が何でも○分で書き上げよう」と思って書くと、そのスピードが次第に自分の実力になっていきます。
 これからの勉強の参考にしてください。


                                
 
四行詩
 日本語は、長い文章を話したり書いたりすることにあまり向いていない言葉のように思います。
 「くまのプーさん」という子供向けの本があります。作者はイギリスのロンドン生まれです。私は、昔この本を読みながら、日本人なら同じ内容をこう長々とは書かないだろうなあと思いました。日本人の感覚としては、不必要な説明や言い回しが多すぎる印象なのです。たぶん、こういう文章スタイルは、シェークスピア以来のイギリスの伝統なのでしょう。
 日本の文化では、長さよりもむしろ、無駄を排した短さが尊重されてきました。それが、短歌や俳句などの短い詩形式となって表れています。
 石川啄木の歌集や詩集にある短い文章を、日本人は一つのまとまった作品世界として味わいます。その短さに比べると、例えばゲーテの詩集などには、詩なのだか散文なのだかわからないと思うようなものがあります。
 そんなことを考えているうちに、日本人のこの短さを好む傾向を、むしろ生かしていくことができるのではないかと思いました。
 ところが、これまでの文学の延長で短さを生かすとなると、日本には短歌のように情景や心情を表す形式しかないようです。短歌の中には、意見や思想を盛り込んだものもありますが、論説的な内容を盛り込むのは無理があります。
 そこで、考えたのが四行詩という形式です。
 基準は、(1)四つに分けて書く、(2)自分なりの発見や創造を書く、(3)できればたとえや自作名言のような表現上の工夫をする、です。
 日常生活の中で、ふと、いい考えを思いついた。しかし、長く書くほどの時間はない。短歌などの形式にはなりそうもない。そういうときに使えます。
 次は、先日、あるところに書いた文章です。最後の四行目が自作名言になっています。

 過去にさかのぼって、嫌だったことをすべて面白かったことに思い返す。
 すると、そのときに傷ついたDNA情報が修復される。
 そのようにして、人は次々と失われた遺伝子情報を取り戻す。
 大事なことは、未来を明るく生きることではなく、過去にさかのぼって明るく生きてきたことだ。

 これなら簡単。
 四行という制約があるので、無駄に時間をかけることもありません。
 作文の勉強としても使えそうです。
タケノコ(モネ/いとゆ先生)
 先日、東京のはずれにある、あきる野市に住む親友から電話をもらいました。
「今年もまた、たくさん出ちゃったのよ、アレが。」
「えっ、アレって?」
「悪いけど、掘りに来てくれないかしら・・・。」
 春になるとたくさん出てきてしまうアレとは、タケノコのことです。毎年、彼女の家の庭にある竹林から取れるタケノコを送ってもらっていたのですが、今年は子供たちの希望もあり、タケノコ堀りにおじゃまさせてもらうことになりました。
 その日は、朝から強い雨が降っていましたが、到着してしばらくすると暖かい春の日差しが降り注いできました。「雨後のタケノコ」という言葉もあるように、竹林の地面のあちらこちらがふっくらと盛り上がり、かわいらしいタケノコが顔をのぞかせていました。
 タケノコ掘りが初体験だった私たちは、イモ掘りやイチゴ摘みのように簡単に取れるものだと思っていましたが、それは大きな間違いだったことがわかりました。まだ少ししか出ていないタケノコの根元を、傷つけないようにそっと掘り起こしていくのですが、竹の地下茎が一面に張りめぐらされており、なかなか土の中にシャベルが入っていきません。まるでコンクリートで固められた地面を掘っているような手応えで、見る間に手のひらに豆ができ始めました。
 厚い上着を脱いで半袖シャツ1枚になり、額に汗をにじませながら掘り続けること40分、ようやく
「そろそろいいよ〜!」
という友達の声がかかりました。タケノコの根元をめがけて、ザックリと鍬を振り下ろして親竹の根から切り離し、見事お宝をゲットすることができました。
「掘ったどー!!」と歓声をあげながら大物のタケノコを掲げた子供たちは、まるで優勝カップを手にしたようにうれしそうでした。
 
 その日の夕食は、新鮮なタケノコがどっさり入ったタケノコごはんと、若竹汁。さわやかな春の香りに大喜びする子供たちを眺めながら、彼女はこんな話をしてくれました。
「1本の若竹の成長には、5本以上の親竹の協力が必要なんだって。」
 タケノコは、親竹が光合成でかせいだ栄養を充分に与えられることによって、すくすくと育つことができます。お互い二児の母親である私たちは、子供たちの成長にもたくさんの大人たちの協力が必要だね、と話しました。
 みなさんの周りにも、大勢の大人たちがいますね。両親、おじいちゃんやおばあちゃん、親戚のおじさんやおばさん、学校の先生、クラブ活動の顧問の先生、習い事の先生・地域の人たち。その人たちは、いつもみなさんのことを見守り、応援してくれているのだということをどうか忘れないでくださいね。
                             
日記や手紙は作文になりますか?(ほたる/ほた先生)
 今日のお話は、「言葉の使い分け」についてです。とは言っても、国語の文法のようなむずかしい話ではありません。

 実はみなさんも、ふだん、気がつかないうちに、言葉を使い分けているのです。たとえば、仲のいい友達どうしで話す時、それほど仲良しではない友達と話す時、おうちの人と話す時、先生と話す時、まったく同じ話し方はしないでしょう。最近では先生にも敬語を使わず、「せんせー、紙!」みたいなタメ口をきいている生徒もいますが、そうは言っても、敬語を使わないまでも、自然に少していねいな話し方になっていると思います。

 それから、話す時の言葉と、書く時の言葉もちがうはずです。たとえば日記や友達どうしの手紙などは、「そいでさー、あいつKYだよねー」などと書いていると思いますが、作文を書く時には、会話文以外は「と、私は答えました。」などと書いているはずです。

 話す言葉と同じ言葉を使って書かれた文章を「言文一致体(げんぶんいっちたい)」といって、作家さんなどの中には、わざとこういう文章を使って文を書く人もいます。ちなみに、私が中学生の時、新井素子さんという、高校2年生の新人作家がデビューしました。この人の文章は、「あたし」の1人称で書かれ、「……だったわけで。」などの、当時の若者言葉をそのまま使った画期的なものでした。実際、中学生の私も、衝撃を受けました。「こんな話し言葉でも、小説が書けるんだ。」と。

 もちろん、小説として成立するには、内容が重要なわけで、誰でも話し言葉で小説が書けるわけでは全くなかったのですが、それからこういうスタイルの小説がどっと世に出てきたのは事実です。それは今の携帯小説につながる流れであることはまちがいありません。

 ですからこれは、ときどき質問を受ける、「うちの子、日記や手紙はよく書くのですが、それでも文章の練習になりますか?」とか、「携帯小説ばかり読んでいるのですが、あれも読書になるのですか」という質問に関係があります。

 答えは、「書かないよりは(読まないよりは)いいと思いますが、それだけでは作文(読書)にはなりません。」です。

 日記や手紙も、自分の考えていることを言葉にする、という意味では価値があります。何となく感じていることを言葉にする、それは文章を書く上での第1歩として、大切なことです。しかし、日記や手紙は、基本的に自分か、親しい相手以外の人に読ませる目的を持っていません。ですから、とてもせまい世界だけで通じる言葉で書かれています。これは、読者がある程度広がっている携帯小説でも同じです。ですから、やはり、世の中の万人に通じる言葉、通じる考えを学ぶには、きちんとした文章を読み、大人の人にも読んでもらえる文章を書くこと。この練習が必要なのではないでしょうか。

 小学生くらいのみなさんの作文を見ていると、時々、「ちがかった。」とか「ちょうむかついた。」と書いてあることがあります。もちろん、まだまだ練習中のみなさんのことですから、こう書いてはいけないわけではありません。ですが、やはり、作文だから、私は「ちがっていた」「とても腹が立った」と書こうね、と直します。こうやって、少しずつ、どこで誰に読んでもらってもはずかしくない文章が書ける大人になってほしいな、と思っています。学校の先生でもなく、おうちの人でもない私たち言葉の森の講師が、毎日みなさんの作文を読んで、ほめたり、少しばかり注意したりしていることには、こんな意味があると思っています。
 
忙しいときだからこそ(わびすけ/かねら先生)
 私も3月末から非常に慌ただしくしていました。その理由は、生まれ故郷の奈良から東京へ引越しをしたからです。こういうときこそ、しっかり休んで体力を温存しなければなりませんね。でも、問題は肉体的疲労だけではないのです。気持ちをゆっくりと落ち着かせないと、体は動くのに、脳みそが疲れて失敗ばっかりしてしまうのです。そのせいか私も、「おっちょこちょい」ばっかりする日々を過ごしています。今回は、数ある失敗談のなかから、とっておきのお話を一つしましょう。最後までどうぞお付き合いくださいね。


 私は、西東京市のとあるアパートに新しいお部屋を借りることになりました。引っ越しをするためにはいろいろな準備が必要ですが、そのなかでも大切なのは、家電を揃えることです。だから、私も先月から、インターネットを駆使して、毎晩夜な夜なあれやこれやと気に入った商品を探していたのです。

 家電といっても、欲しいものを挙げ始めたらキリがありません。だから、最低限必要なものとして、冷蔵庫・オーブンレンジ・洗濯機の三つに絞ることにしました。最初に思いついたのは、「ビックカメラ」が提供する「新生活応援キャンペーン」を利用することでした。なぜなら、ビックカメラは上記の商品をセットで安く取り揃えていることに加えて、私が以前から貯め込んでいた「ビックポイント」も利用してさらに安く買うことができるからです。でも、色とかデザインはそれぞれの商品で統一が図られていないので、「ここはこだわりたいな」と思ったのです。

 次に目をつけたのが、「無印良品」の同様のサービスです。こちらも、安いセット商品を用意していますが、なんといっても色とデザインが統一されているので、見ているだけでもウキウキしてくるのです。そうして、値段をとるか、「こだわり」をとるかで考え抜いた末、「無印良品」の家電セットを購入することにしたのです。慎重に検討を進め、配送指定日時は、入居日の翌朝となる「3月27日9−12時」と設定しました。あとは商品の到着を待つだけです。

 ところで、入居した日は、夜中遅くまで片付けなどに追われ、床に就いたのは明け方のことでした。疲れが溜まっていたのでしょう、スゥーっと眠りの世界に誘われた私は、夢を見ることなく目を覚ますことになりました。でも、起きてみて気づいたのは、体の芯から疲れているということでした。グッスリ寝たいのが本当のところです。しかし、すぐに家電を運んだトラックがやってくるかと思うとそうもしてられません。荷物が届いたら設置作業もしなければなりませんからね。でもやっぱりギリギリまで寝たくて仕方がない私は、あれこれと考えをめぐらせました。そうして思いついたのは、まず顔を洗ってからもう一度ウトウトすることです。そうすれば、配送業者さんに寝ぼけた顔を見せずにすみます。

 でも、パジャマのまま出ていくわけにもいきません。といっても、手元にあるのは、昨晩の作業で汚れた服だけ。これを着て布団に入るのも気持ちがよくありません。だから、次に思いついたのは、枕もとに服を並べて、「ピンポ〜ン」と鳴ったら、すぐに着替えて玄関に出ていくことでした。

 もうこれでバッチリ、心おきなくウトウトと夢現(ゆめうつつ)の世界を楽しみだしたのです。その間にも、道路をトラックが走る音が聞こえるたびに、「ひょっとして」と眠りから引きずり出されるの繰り返しで、もう10時を過ぎていたでしょうか。突然、携帯電話にプルプルっと着信が来たのです。「はは〜ん、荷物届ける前の確認の電話やな」と思い、寝ぼけた声を出さないように顔を両手でパシッと引き締めて電話にでたところ、実家にいる母親の声が聞こえたのです…
                   
「いま、ぎょうさん電気製品届いたどぇ〜」…と。

 いかがでしょうか。正真正銘の実話、「絶対にスベらない話此処に極まれり」です。みなさんは、こんな「おっちょこちょい」なことは決してしないでしょうが、「忙しいときだからこそしっかり休息をとる」ということの大切さを覚えていてくださいね。
 
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