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  8月29日(金)・30日(土)は休み
  8.4週は読解問題と清書。幼稚園生は普通の作文
   読解問題の仕方
   清書の仕方
  【重要】9.1週作文進級テスト。先取りも可
  切り上げの人生
  今の世界に生きるということ(いろは/いた先生)
  『赤毛のアン』(ひな/あられ先生)
 
言葉の森新聞 2008年8月4週号 通算第1044号

https://www.mori7.com/mori/

森新聞
8月29日(金)・30日(土)は休み
 8月29日(金)・30日(土)は、第5週でお休みです。先生からの電話はありません。
8.4週は読解問題と清書。幼稚園生は普通の作文
 8月4週は、読解問題と清書です。幼稚園年中と年長の生徒は、第4週も普通の作文を書く練習です。自由な題名で作文を書いてください。項目シールは、予備のものを使ってください。
 小学1年生以上の生徒は、第4週に読解問題と清書を行います。
 読解問題の時間がかかるため、清書の時間が取れない場合は、清書を省略してもかまいません。
 なお、清書が保存されると勉強の記録になりますから、生徒又は家族がパソコン入力ができる場合は、パソコンで書いた清書を作文の丘から送ってください。
読解問題の仕方
 「山のたより」についている読解問題は、課題フォルダにはさんである読解マラソン集から出しています。
 読解問題の答えを作文の丘から送信する人は、作文の丘に答えを入れる欄がありますから、清書と一緒にそこから送信してください。
 読解問題の答えを作文用紙に書く人は、作文用紙に問題と答えがわかるように書いてください。書き方は自由です。住所シールは、清書の1枚目にはってください。問題の方にははりません。
清書の仕方
 今月の清書のうち、上手に書けたものは、翌々月第1週に優秀作品としてプリントされます。
 清書は、パソコンで書いても手書きで書いてもどちらでも結構です。
 パソコンで書きインターネットから送信した清書は、ホームページに保存されます。
 パソコンで清書を書いて送信した場合、手書きの清書は提出する必要はありません。
 インターネットからの送信の仕方は、「学習の手引」をごらんください。
http://www.mori7.com/mori/gate.php#129
 手書きの清書を提出する人は、清書がホームページに表示されなくなりますので、先生に送る前にコピーしておかれることをおすすめします。
 よく書けた清書は、自分で小学生新聞などに投稿してください。ただし、同じものを複数の新聞社に送らないようにしてください。
 新聞社などに投稿する場合、手書きで清書を書いている人は、その清書をコピーして、原本を新聞社への投稿用に、コピーを言葉の森の先生への提出用にしてください。パソコンで清書を送信している人は、その清書をワードなどにコピーして新聞社へ投稿用にしてください。
 新聞社に投稿する際は、作文用紙の欄外又は別紙に次の事項を記載してください。
(1)本名とふりがな(ペンネームで書いている場合は本名に訂正しておいてください)
(2)学年
(3)自宅の住所
(4)自宅の電話番号
(5)学校名とふりがな
(6)学校所在地(町村名までで可)
 
●朝日小学生新聞の住所  104−8433 東京都中央区築地3−5−4 朝日小学生新聞 「ぼくとわたしの作品」係 御中 ●毎日小学生新聞の住所  100−8051 東京都千代田区一ツ橋1−1 毎日小学生新聞 さくひん係 御中
★二重投稿は絶対にしないようにしてください。
 これまでの優秀作品は、「入選清書」のページでごらんください。
http://www.mori7.com/seisyo/nyuusenn.php
【重要】9.1週作文進級テスト。先取りも可
 9.1週に、作文進級テストを行います。
 提出が遅れた場合は進級できません。(9月8日ポスト投函まで)
 課題フォルダの字数・構成・題材・表現・主題の●印が全部できていることが合格の条件になります。(表現の項目などで「たとえ」と「ダジャレ」など二つ以上の項目が指定されている場合はどちらかができていればその項目は◎です)。キーワードと字数が採点の基準ですので、指定された字数以上で必要な項目が全部入る作文を書いていってください。中学生以上の時間制限については、今回は採点の基準にしませんが、できるだけ時間内に書き上げる力をつけていきましょう。
 手書きで作文を書く人は、項目ができたところにシールをはっておいてください。
 パソコンで作文を書く人は、キーワードを入れておいてください。
 小学生の場合は、提出する前に、おうちの方が字数と項目シールをチェックしてあげてくださるとよいと思います。
 小学2年生までの生徒は、試験は行いますが、全員進級扱いで先の級に進みます。7月以降に受講を開始した生徒も、試験は行いますが、全員進級扱いで先の級に進みます。ただし、いずれの場合も、賞状は出ますので、できるだけ字数と項目ができるように書いていってください。
 9月8日ポスト投函が締め切りですので、9月1週に作文が書けない人は、8月中に9.1週の作文試験を先取りして行ってください。

 
切り上げの人生
 半端なものが出たときに、とっておこうと思う人と、捨ててしまおうと思う人がいます。計算で言えば、切り上げをするタイプと、切り捨てをするタイプです。
 読書の好きな子は、空いているわずかな時間があると、すぐに本でも読もうと思います。読書に慣れていない子は、たっぷり時間があっても、本を読むのは後回しにしようと思います。
 コミュニケーション力のある人は、どうでもいいことであっても一応連絡しておこうと思います。コミュニケーション力のない人は、どうでもいいことはまず連絡しません。
 人生は、こういうちょっとした差が積もり積もって大きな違いになってくるのでしょう。

 「好きこそ物の上手なれ」という言葉があります。必要に迫られてやる人よりも、好きでやる人の方が物事をうまく遂行できるのは、こうしたわずかの差が実は結果の大きな違いになるからです。

 では、この差がどこから出てくるかというと、それは潜在意識からだと思います。人間はだれでも、自分のことを自覚しているように思っていますが、自覚以前の自己認識というものがあります。それは、理由もなく好きだったり嫌いだったり得意だったり苦手だったりしていることの背後にある心理的な影響力です。

 最近の遺伝子生物学の研究によると、一つの細胞の中にあるDNAには約30億の情報があり(本当はその30億の情報が、更に相互の並び方によって異なる情報を生み出していると思いますが)、あるタンパク質を合成するためには、その情報を開くだけなのだということです。DNAの二重らせんはちょうどチャックのように組み合わさっているので、そこから情報を取得するためには、該当する部分のチャックを開き、それをRNAに転写するという形になります。(そのRNAがタンパク質を合成します)
 そして、どの情報も、既にあるDNAの中から持ってくるだけですから、必要に応じて新しいものが生み出されるのではなく、すべてのものは既にある情報を思い出すだけで作り出されるということです。
 同様のことが、潜在意識についても言えるのではないかと思います。世の中には、生まれつき体を動かすことが好きな人と、静かに思索することが好きな人がいます。その差を生み出しているものは、それらの人のそれぞれの潜在意識です。しかし、体を動かすのが好きな人の中には、静かに思索することが好きな潜在意識も実はあるのです。そして、たまたまその人は、静かな思索の潜在意識の方ではなく、活発に体を動かす潜在意識の方を選択しているということなのだと思います。

 ここから、次のことが明らかになります。それは、自分が無意識のうちに抱いている自分のイメージが、実は潜在意識の選択によるものだということです。
 そして、潜在意識は自覚することによって、選択できるものになります。「どうせ私は……だから」と言いそうになったとき、それが自分の潜在意識の選択なのだと自覚すれば、人生は大きく変わります。その変わり方は、これまで切り捨てにしてきたものを切り上げにするぐらいの小さな端数の変化ですが、その端数の変化が積もり積もって大きな変化になっていくのです。
                                 
今の世界に生きるということ(いろは/いた先生)
 「グローバル」という言葉を聞いたことがありますか? 新聞を読んでもニュースを聞いてもこの「グローバル」という言葉は微妙に変化することはあってもよく耳にする言葉です。難しい外来語なので小、中学生のみなさんにはピンとこないかもしれません。けれど、足音も無く広がっているのがこの「グローバル化」だと思います。
 グローバルという英語を直訳すると「地球規模の、世界全体の」という意味になります。昔であれば一国で起こった出来事は一国で処理することが可能だったのですが、今では一国で起こった出来事が全世界へ広がっていくということです。
 新聞の一面に載っているできごと、ニュースのトップで報じられているできごとは他の国のできごとであり日本とは全く関係の無いことに思えるかもしれません。けれど、先ほども書きましたが今の世の中はどこかの世界で起こっていることが回りまわって、形を変え自分たちに影響を及ぼすのです。

 たとえば今ニュースをにぎわしているものに「食糧問題」「原油高」などが挙げられます。前学期カキ、6.4週の長文は「バイオ燃料」について書かれていました。そこで私は数人の生徒に「トウモロコシを燃料にすることによって食料不足になっているんだって。どう思う?」とたずねたところ「トウモロコシはあまり好きではないので大丈夫です。」というかわいい返事が返ってきました。そう、2年生のときはその答えで十分なのです。自分の意見を電話口でしっかり伝えることができる、それだけで十分。けれどそこで私はちょっと他の質問も投げかけてみました。「じゃあ、パンやうどんは好き?」。すると元気な声で「うん。」という返事です。「トウモロコシがバイオ燃料として高く売れると知って、トウモロコシ畑だったところを小麦畑に変える人が増えてきているんだよ。そして小麦を日本にたくさん輸出してくれていたオーストラリアは記録的なかんばつで雨が降らないので小麦を作ることができなくなっている。いろいろなことが重なって今小麦を使った食品の値段が上がっているんだよ。もしかすると大好きなパンやうどんが食べられなくなるかもね。」と話してみました。電話口で神妙に聞いている姿が想像できる数秒後。「こまっちゃう……。」という言葉が出てきました。

 「風が吹けば桶屋がもうかる」ということわざがあります。回りまわって違った形で影響が出る、という意味ですね。今の世の中は世界規模でこのことわざが横行していると言ってもいいかもしれません。

 今例に挙げたのは「バイオ燃料」にからむ話だけですが、他にもアマゾンの破壊、インドネシアの自然破壊など私たちが実は加害者かも? という事例は多々あります。世の中で起こっていることを他人事として通り過ぎるのではなく、ちょっと足を止めてみることは必要です。その一歩を毎日の生活から始めてみませんか? 「関係ない」とか「当たり前」で終わらせず自分の立場に置き換えてみる。自分の中に似た話を見つけてみる。すると新しいことに気づくはずです。ふと足を止めることが文章に深みを生むのではないかと思うのです。

 お父さま、お母さまへお願いです。是非長文に目を通し、親の視点としての意見を子ども達に伝えてみてください。子ども達はその考えを自分へフィードバックするはずです。世の中は広くて狭いということ。今自分の生きている世界は自分だけで生きられる世界ではないことにうっすら気づいていくはずです。親の話からどういう結論を出すかは子どもの自由です。一つの話に「こういう話もあるよ」と一つ提示してもらえるだけでものの見方が一つ増えるではないかと思っています。あまり真剣にならず、夕食時の話題の一つとしてあげてみてください。そのときは聞いているのか聞いていないのか分からない反応でも、何か一つ心の中に残っていくのが家族の会話だと思います。

 
 
『赤毛のアン』(ひな/あられ先生)


 今年はオリンピックの年ですが、『赤毛のアン』が誕生して100年の年にもあたります。6月にはそれを記念して赤毛のアンの記念切手が発売されました。かわいい絵柄だったので、この切手は絶対買わねばと思って郵便局へ行ったのですが、すでに完売という人気ぶりでした。

 日本では『赤毛のアン』という題名がすっかり定着しています。しかし、作者のモンゴメリ自身がつけた題名は”Anne of Green Gables”(アン オブ グリーン ゲイブルズ)です。グリーンは皆さんも知っているように「緑」という意味です。ゲイブルズは屋根の形を表した言葉で、日本では切妻屋根と呼んでいます。ですから直訳すると『緑の切妻屋根のアン』という題名になります。私はこのことを知った時、どうして屋根のことなどに注目した題名をつけたのだろうと不思議でなりませんでした。それから、もうひとつ原書を読んで不思議に思ったのは第一章のリンド夫人が”cotton warp quilts”を”knitting”という箇所です。quilt(キルト)といえば針で布を縫う刺し子と考えるのが一般的なのに、それがなぜknitting(ニッティング)編むとなっているのか。ずっとずっと気になっていました。この二つのなぞが、今年ついに解明しました。

 『赤毛のアン』発行100周年を記念して、NHK出版から『赤毛のアンへの旅』という本が出版されました。その中で「グリーンゲイブルズ」はアンが住んでいた農場の屋号をいっているとあったのです。当時、プリンスエドワード島には同じ名字の人も多く、人々は互いに屋号で呼ぶというのは、田舎育ちの私にはよくわかります。私の友達もそういえば、名字は中井ではないというのになぜか屋号が中井で「中井の○○ちゃん」と呼ばれていました。身寄りのなかったアンが、マシュウやマリラと心を通わせグリーンゲイブル農場になくてはならない存在となっていく話の展開にぴったりの題名です。そして、モンゴメリがつけたアンシリーズの題名は『アヴォンリー村のアン』『(プリンスエドワード)島のアン』と続きます。この本で指摘しているように、アンの生活の場が成長とともに一つの農場から村全体へ、そして島へと広がっていったことをみごとに表している題名です。
 日本で初めてアンが訳されたのは1952年です。そのときの翻訳者、村岡花子さんは第一巻を『赤毛のアン』第二巻を『続赤毛のアン』第三巻を『第三赤毛のアン』としています。のちに第二巻は『アンの青春』、第三巻は『アンの愛情』と変えられ、今では他の翻訳者もそれにならっています。

 もうひとつのなぞ、「コットンワープキルト」は白い木綿糸で編んだモチーフをつなぎ合わせたベッドカバーでした。19世紀に大流行したそうです。百聞は一見に如かずで、実物の写真をみると棒針で「編む」ということがよくわかります。あらためてキルトという単語を英語辞書で引いてみると「厚手のベッドカバー」という意味が出ていました。

 文化の違う外国の作品を正しく理解するというのはなかなか難しいものです。でも、ぎゃくに本を読んで生まれた疑問を解く楽しみがあります。今年の夏休み、みなさんがたくさん面白い本と出会えますように!

                            
 
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