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  【重要】10月11日(土)事務局は留守電のみに
  10月13日(月)は休み宿題(再掲)
  新しい勉強法(構成作文と四行詩)
  推奨ブラウザはインターネットエクスプローラ6
  目の休憩のページ
  切り取り名人になろう(パタポン/うちわ先生)
  怒らないで……(たんぽぽ/たま先生)
  外化(うさぎ/きら先生)
 
言葉の森新聞 2008年10月2週号 通算第1050号

https://www.mori7.com/mori/

森新聞
【重要】10月11日(土)事務局は留守電のみに
 10月11日(土)の事務局への電話は、留守電のみになります。(再掲)
 電話での応対ができませんので、よろしくお願いいたします。
10月13日(月)は休み宿題(再掲)
 10月13日(月)は、休み宿題です。先生からの電話はありませんが、その週の課題を自宅で書いて提出してください。先生からの説明を聞いてから書きたいという場合は、別の日に教室までお電話をして説明をお聞きください。(平日午前9時〜午後7時50分。電話0120-22-3987)
 電話の説明を聞かずに自分で作文を書く人は、ホームページの「授業の渚」か課題フォルダの「解説集」を参考にしてください。
 「授業の渚」 http://www.mori7.com/nagisa/index.php
 「ヒントの池」 http://www.mori7.com/mine/ike.php
新しい勉強法(構成作文と四行詩)
 マインドマップ風の構成図で、作文の材料を広げる方法ができました。あとは、この材料を眺めて書く順番を決め、一気に書くだけです。
 このときに、与えられた構成にあてはめて書くというのが、構成作文という書き方です。これは、今、言葉の森で教えている項目表の作文と同じです。
 与えられた構成で書く作文指導というのは、欧米などでは広く行われているようですが、日本では一般的ではありません。それは、日本の作文指導が、事実中心の文章を書くこと中心に行われてきたためです。説明文や意見文を書くときになると、この構成をもとにして書く書き方が生きてきます。
 構成をもとにして書く方法の利点は、いくつかあります。第一は、教えやすく評価しやすいことです。第二は、考えを深める練習になることです。第三は、書きやすいことです。
 言葉の森の作文のヒントは、この構成に沿って書かれています。これは、受験コースのヒントも同様です。入試問題のヒントも、構成の仕方をもとにして説明すると、生徒はすぐに理解して書き出すことができます。
 構成に沿って書く書き方は、文章を書くスピードを向上させます。また、忙しいときは、構成の枠組みだけを書いておき、あとで時間があるときに間の中身を埋めていくという書き方もできるようになります。
 しかし、ここで一つ問題が出てきます。それは、どんなに速く書けるといっても、文章を書く作業というのは、読む作業に比べてやはり非常に時間がかかるということです。文章を読むだけであれば、普通は分速400字ぐらいです。意識的に速読をすれば分速1200字ぐらいまでは速く読むことができます。これに対して、文章を書くスピードは、手書きでもパソコン書きでも、普通は分速20字(時速1200字)ぐらいです。猛スピードで書いても、分速60字がやっとでしょう。書くというのは、それだけ時間がかかるのです。
 そこで、将来登場する書き方は、音声入力になってくることが予想されます。材料と構成が決まっているのであれば、音声入力で、読むのと同じぐらいのスピードで書けるようになるでしょう。
 ところが、ここでもう一つ考えなければならないことがあります。それは、たくさん書けばよいというのではないということです。特に、現代のように大量の情報に取り囲まれている時代には、たくさん書くよりも、価値あることを無駄なく美しく書くことが重要になってきます。
 そこで出てくるもう一つの作文の方法が四行詩です。
 日本には、ふとひらめいた考えを俳句や和歌にして書き表す文化があります。しかし、俳句や和歌は、情景や心情の描写には向いていますが、説明や意見を表現するにはあまり向いていません。それは、説明や意見はどうしても漢語が多くなり、漢語は五七五のリズムに乗りにくいからです。しかし、ちょっとしたひらめきのようなものは、制約がある方が形にして残しやすいことも確かです。そこで、四行詩には、次のような制約を設けています。第一は、四行に収めること(これは必ずしも四文でなくてもかまいません)、第二は、必ず新しい発見や創造があること、第三は、できれば美しい比喩や名言があること、です。
 
 この四行詩は、作文指導のシステムには入れにくいものですが、こういうノウハウを知っていれば、将来必ず役に立つと思います。
推奨ブラウザはインターネットエクスプローラ6
 言葉の森のホームページには、縦書きのページとルビつきのページがあります。
 しかし、この縦書きルビつきのページを表示できるブラウザは限られています。現在、こちらで確認しているのは、インターネットエクスプローラ5.5以上です。印刷も表示どおりにできるブラウザは、インターネットエクスプローラ6だけです。IE7は、微妙に印刷がずれます。
 現在の世界のブラウザシェアは、9月時点で、IE7(46%)、IE6(25%)、FireFox(20%)、Safari(7%)、GoogleChrome(1%)、Opera(1%)となっています。
 FireFoxやSafariの利用者も増えていますが、これらのブラウザが縦書きルビつきのページに対応する見通しは今のところ全くありません。縦書きでルビつきのページを作っているのは、日本人だけだからです。
 すべてのブラウザに対応したページ作りはできないので、言葉の森は当面インターネットエクスプローラ6を標準にし、できるだけほかのブラウザでも見ることのできるページを作っていきたいと思います。
目の休憩のページ
 今学期の課題集は、学年によって、目の休憩のページがところどころに入っています。これは課題集に縦書きのページが途中で入り空白のスペースができてしまったためです。
 目の休憩のページは、目の焦点を遠くにずらし、下の二つの小さい●が両目で三つに見えるようにすると、絵の中に文字が浮かび上がるようになっています。(「目の休憩」の参考ページ↓)
http://www.mori7.com/me/rittai.php
切り取り名人になろう(パタポン/うちわ先生)
 ピシッ、ピシッ。ラケットが空を切るたびに、するどく羽根をはたく音がします。8月、高校総体のバトミントンの決勝試合を見に行ったときのことです。さすが全国トップレベル。ダブルスペアの息はぴったり。見事です。羽根がどこへ飛んでこようが、どちらかのラケットがすばやく飛び出してくるのにはびっくりしました。わたしが主人に「腕が何本もある阿修羅(あしゅら)みたいだね」と言うと、「すごい迫力。まるで格闘技だな」とのこたえ。選手の足元をじっと見ていた娘は「選手がシュートで踏み込むたび、床がダダンッって響いてびっくりした」と興奮した様子でした。
同じ場所にいても、なぜか少しずつ違う。それぞれの見方、感じ方があるものですね。

 ところが、テレビ中継ではこうはいきません。みんな同じ画面を見ることになるからです。つまり、画面に映るのはしょせん「テレビ局の人が編集した光景」なのです。たとえば、自分がコート全体を見たいなと思っているときに、突然画面が切り替わって有名選手の顔がアップになったりして「アレレ?」と肩透かしを食らうことなどがあるでしょう?視線が意図的に誘導されるのです。手もとばかり、足もとばかりにこだわって見るというかたよった見方はできません。そう考えると、やはり試合は生で見るのが一番。五感で感じ、自分の視点で場面を自由に切り取れる方がいい。「切り取り名人」になれば試合を見るのが何倍も楽しくなります。

 「風景や場面の一部を選んで切り取る」という作業は、もちろん試合観戦に限りません。作文でもとても大切です。みなさんは、「話の中心を決める」や、「自分だけが思ったこと」という課題項目を勉強していますね。この項目がその作業にあたるのです。たとえば「林間学校の思い出」というテーマで書く場合でも、みなさんそれぞれ印象に残った場面は違うはずです。「わくわくして眠れなかった前の晩のこと」を書く人もいるし、「おいしかったお弁当」に焦点をあてる人もいるでしょう。どの場面を切り取るかでその人の個性が出て、おもしろい作文になるのです。

 とはいえ、みなさんは、すでに相当の「切り取り名人」です。たとえば、つい先日のこと。1年生の生徒さんが「夕方、雲をみていると、巨人のきずぐちにみえるよ」と教えてくれました。夜になると「『かさぶた』みたいになる」のだそうです。「へえーそんなふうに見えるの」。わたしは、子どものころ、無心にながめた空を思い出して懐かしい気分に浸りました。彼女は「雲」の切り取り名人。雲を見て、ほかの人には見えないものを切り取ったのです。電話のあと、翌日の空を見上げるのが楽しみになりました。こうして考えてみると、「自分で切り取ること」、そして「切りとったものを人に見せてあげること」。これが作文を書くことや、「何かを表現する」ということの本質なのかもしれませんね。

作文の入った封筒が今日も行ったり来たり。毎週の小さな「やりとり」を通じて、みなさんが、「自分にはこんなふうに見えたよ、こう感じたよ」と表現する楽しさにめざめてくれれば、こんなにうれしいことはありません。
怒らないで……(たんぽぽ/たま先生)
 夏休み真っ最中のある朝、息子(小4)と娘(小2)が、些細なことから口喧嘩を始めました。先にちょっかいを出したのは息子です。ただでさえ暑いのに、騒がれると苛々する! 毎日同じようなことばっかりやって!! なんでいつもこうなるの!?
「二人とも、もういい加減にしたら。朝から喧嘩するんじゃない!」と、ついに声を荒げてしまいました。そしてさらに「それよりあんた(息子)は、早く宿題しなさい!!」と、余計な一言まで付け加えてしまいました。

 それを聞いた息子は「何でオレばっかり怒るねん。不公平や。」といつもの口応え。「ばっかりじゃないでしょ。妹はもう宿題終わってるよ。だいたいさっきはあんたが先に・・・」。あとはご想像通りの展開です(笑)。たった9歳の子どもに、いったい何をむきになっているんだろうと思いながらも、だんだん泥沼に…。話はとんでもない方向へ向かい、ついに息子は私に暴言を吐きました。
「今のはひどすぎるよ。あやまりなさい」と言っても、息子は頑としてあやまろうはしません。

 このあと、学校の「夏休みプール」に参加するため出掛けた子供たち。私は所用のため、後味の悪いまま外出しました。
 「あ〜あ、やってしまった。なんであんなことになったんだろう。別に怒ることなかったのに。」
 それからずっと気になって、気分が晴れず、出先で顔を合わせた友人(かなり年上)に、思い切って打ち明けました。

「朝からやっちゃいました。息子とバトル…。」
「あらあら(笑)。息子さん、4年生よね? 『絶対に』怒っちゃだめよ。それから、無理に謝らせてはだめ。『心の中で謝ってる』んだから。」

「あのくらいの年の子は、もう何でもちゃんとわかってるのよ。大人が思っているよりずっと「大人」なの。まだ感情がコントロールできないだけよ。」と、優しく諭してくれました。
(この女性はごく普通の主婦でしたが、お坊さんになるため、何年も前から有名なお寺に修行に通っておられます。)

「先生(住職さんだと思います)が、『子を叱るな、来た道じゃ。老いを笑うな、行く道じゃ』とおっしゃるのよ。自分も同じように大きくなってきたのだし、必ず年をとるのだということね。」

 「ただねえ、私もやっぱりこの年になっても、娘に皮肉の一つも言ってしまうのよ。まだまだ修行中の身だから(笑)。子どもはすぐに変わるわよ。変わらないのは大人の方。だから大人こそ修行が必要なのよ。」

 もうすぐ還暦を迎えようという人生の先輩の言葉は、とても重く感じられました。息子よ、ごめん。帰ったらすぐにあやまらなくちゃ。



 家に着くと、息子は一足早く帰宅していました。そして思いがけないことにこんな一言を。
「母ちゃん、ごめん。」

 あれからずっと気にしていたのでしょう。怒られて、小さな胸を痛めて、しかも先に謝るとは、完全に息子の方が大人です。
「ううん、いいよ。母ちゃんの方が悪かった。あんたはあのときも、ちゃんと心の中で謝っていたのにね。謝ろうと思ってたのに、先越されたわ。」

 黙って首を振る息子の目は、少しうるんでいるように見えました。

 私の修業は、まだ始まったばかり。今、毎日「怒らない、怒らない」と自分に言い聞かせているところです。

                   
 
外化(うさぎ/きら先生)
 読書をしていると、分からない語に出くわすことがあります。読めないだけなら読みとばして文章の大意をつかめばいいということもあります。しかし、日本人でありながら(しかも私の場合、けっこう年輪を積んだ)日本語が分からないなんて、自分が許せない気持ちになって辞書をひきます。

 難解な漢字や、故事に基づく言葉がわからなかった場合は、日本語とはなんと奥の深いすばらしいものであることか、と感嘆することで自分の不勉強をなぐさめて、反省すればいいのです。しかし、このごろ遭遇する「わからない」は、そのような難しく画数の多い漢語ではなく、まったく新しく出会う語であることに驚きます。

 「外化」という言葉に出会いました。

「労働は人間精神の、身体を介してのモノや行動への外化・表出形態の一つである」という一節を読んだ時のことです。

 まず、これは「そとか」なのか「がいか」なのか。辞書をひくと、そもそも「そとか」という言葉が見当たりませんし、熟語的な読み方から察しても「がいか」のようです。
「がいか」に対しては、「外貨・凱歌・崖下・蓋果」などが該当してきます。つまり、「外化」は辞書にないのです。
 「外」も「化」も、難しい文字ではありません。雰囲気で、なんとなく意味もわかるような気がします。でも、それで済ませるわけにはいきません。

 言葉の用例を拾っていくうちに「外化」とは「認知科学」の分野でつかわれる言葉なのだとわかりました。ですから、認知科学、発達心理学といった分野に関心のある人にとっては、普通の言葉だったのかもしれません。では認知科学とはなんだろうと、私の素人行脚は続いたのですが、ここでは、やっとわかった「外化」の意味から、お話したいと思います。

 「自分の考えを他者に説明するために文章を書いたり、図を作ったりして理解の過程を 見えるようにすること」

 この「外化」には、自分の考えをさらに深める効果があるそうです。
 ふつう、私たちが自分の頭の中でだけ考えている間は、いいアイデアがあっても、なかなか具体的な成功まで見えてこないものです。それはただただ考えを一面的に観ているため、問題点もその解決策も見えないからです。
 そこで、アイデアの種から、文章にして書いていきます。はじめはメモのようなものでも、そこに「これもある、あれもある」といろいろな書き加えが生じてきます。そのとき私たちは、自分の考えに対して、さまざまな角度から吟味し批評していることになります。ひとりでアイデアの検討会を開いているような感じです。独りよがりだったものが、しだいに洗練されて、人に伝わる力を持つようになります。これは、算数や数学でいえば、図表を書いて考えることでうまく解答に導かれることと同じでしょう。
 作文を書くことも、この「外化」のひとつだと思います。ひとつの思いや意見について、どうすれば他人に伝わるか、設計図をひいて考えていくのです。もちろん最初は、この自問自答の道筋のつけ方、つまり設計図のかき方に手間取ってしまうでしょう。作文が苦手というのは、この段階のもどかしさにあるようです。そこで役立つのが、言葉の森で実践している項目表にそった書き方です。つまり、設計図を示してそこに自分の体験をのせていく方法です。
 考えることはとても大事なことです。それを外化することで、さらに成長できます。
 「外化」という言葉のおかげで、何のために作文をするのかということがすっきりしてきました。
                           きら
 
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