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  作文の日記念コンクール募集要項(再掲)
  問題集読書の小冊子を希望者に(有料)(再掲)
  小学校1年生で最もおすすめする習い事は言葉の森
  小学生の勉強のさせ方のポイント
  暗唱は覚えることが目的ではなく繰り返すことが目的1
  暗唱は覚えることが目的ではなく繰り返すことが目的2
 
言葉の森新聞 2010年3月2週号 通算第1118号

https://www.mori7.com/mori/

森新聞
作文の日記念コンクール募集要項(再掲)
 3月9日は作文の日です。言葉の森では、作文の日を記念して下記の要領でコンクールを行います。
 「わんぱく宣言」で書いた書き方を参考に、これまでに書いた上手な作文や、3.4週の清書の作文を、テーマに合うように書き直して送るといいと思います。ただし、「わんぱく宣言」の作文と同じようなものにならないようにお願いします。

○名称…2010年作文の日 ネット作文コンクール
○対象…小学1年生〜社会人
(小学1年生よりも下の方は、小学1年生として応募してください)
○テーマ…「私の記念日」又は自由。
 小学3年生以上は「私の記念日」というテーマで書いてください。
 小学2年生以下は自由な題名で書いてください。
○受付期間……2010年2月1日〜3月31日
○発表……2010年4月1日
○応募方法……パソコンで入力したものを「ネット作文コンクール」のページから送ります。
http://www.mori7.info/conc/
 1人で複数の作文を応募する場合は題名を別のものにしてください。
 題名・氏名・メールアドレスが同じものは上書きされます。
○応募資格……だれでも可(言葉の森の生徒以外の方も受け付けています)
○字数(正味の字数です。スペースの部分は字数として数えません)
▽小1……200字以上(幼長も含む)
▽小2……400字以上
▽小3……600字以上
▽小4……800字以上
▽小5……1000字以上
▽小6……1200字以上
▽中学生…1200字以上
▽高校生…1200字以上(大学生社会人含む)
※森リンで集計しますので、字数が多い場合でも上記の規定の字数までしか採点されません。例えば、小1の生徒が200字書いても300字書いても、採点の対象になるのは200字までです。
○賞品
▽大賞……5万円相当(1名)
▽優秀賞……5千円相当(10名)
▽佳作……(若干名)
▽参加者全員に、森リンの採点結果を表示
○選考……森リンの集計をもとに言葉の森事務局が採点します。
○主催……言葉の森/日本語作文小論文研究会
問題集読書の小冊子を希望者に(有料)(再掲)
 問題集読書についての問い合わせが多いので、希望される方に1週間分40ページの見本の小冊子をお送りします。(現在、通学教室で使っているものと同じです)
 新小5・小6用は、中学入試の問題集で、1冊200円です。
 新中1・中2・中3用は、高校入試の問題集で、1冊300円です。
 新高校生の問題集は割高になってしまうので、自宅で用意した方がいいと思います。しかし、ご希望があれば1冊800円です。
 希望される方は、言葉の森のホームページに送信フォームを作っておきますので、そちらからお申し込みください。
○申し込み期間 2010年3月1日〜3月15日
○申し込みページ http://www.mori7.com/mori/mdds.php
○小冊子発送 4月1週の山のたよりと一緒にお送りします
○料金 4月の受講料に加算して引き落としします。
 (新小5・小6=200円、新中1・中2・中3=300円、新高校生=800円)
○申し込み条件 4月に在籍している方。生徒でないご兄弟の分も注文できます。
 (例えば、小2の生徒が、生徒でない中3の兄の分を注文するなど。ただし送料の関係で1人3冊までにお願いします)
○使い方の説明 問題集読書と四行詩読書ノートの書き方は、おって言葉の森新聞に掲載します。
 
小学校1年生で最もおすすめする習い事は言葉の森
 4月から新しく学校に通う1年生は、いろいろな可能性を持っています。そこで、親は、どのような習い事をさせようかと考えます。
 英語、算数、国語、ピアノ、水泳、習字、算盤、バレー、体操教室、理科教室、自然体験教室、サッカー、野球、バスケットなどなど。いろいろなことをやらせようと思いますが、その半面のびのび育てたいという気持ちもあります。しかし、学校の勉強が遅れては困ります。
 そういうときにいちばんおすすめしたいのが言葉の森の作文の勉強です。なぜでしょうか。
 言葉の森で小学校1年生から作文の勉強を始めると、まず毎日の暗唱の習慣がつきます。そして、長文を読む力がつきます。もちろん、書く力もつきます。親子の対話ができます。書いたものが記念に残ります。国語力もつきます。何よりも、言葉の森で勉強をすることによって思考力がつき、学力の土台がつくのです。
 思考力さえついていれば、英語、数学、国語などの勉強は、基本的には学校だけで十分です。このように考えれば、毎日楽しく遊んで余裕のある生活が送れます。
 幼稚園や小学校低学年で勉強を先取りすると、小学生の間は学校より先に進んでいるので、勉強がよくできるような錯覚を持ちます。英語の勉強では、中学生の最初のころまでよくできるような感じがします。
 しかし、それが高校生に進むころには、みんな同じところに落ち着くのです。小学校低学年や中学年で先に進んだことは、高校生になるとすべて解消してしまいます。すると、そのために小さいころから苦労した勉強は何だったのかということになります。
 勉強の習慣がついただけいいと思えば、そう言えないこともありません。しかし、毎日30分も1時間も勉強をすることによって圧迫されてしまうのは、思考力に最も必要な読書と対話の時間なのです。
 小学校1年生のころは、花を咲かせる時期ではなく、根を張る時期です。その根とは、読む力と考える力です。だから、読む力を重視した言葉の森の作文の勉強をするのが、小学校低学年ではいちばんいいのです。
 さて、小学校の勉強は、基本的には学校だけで十分だと書きましたが、勉強の定着まで考えると、学校だけでは十分ではありません。先取りまでする必要はないが、定着だけはしっかりしていく必要があります。
 今の小学校は、行事に追われています。勉強の合間に行事があるのではなく、行事の合間に勉強があるという形になっています。勉強はできなくても生徒の問題だから仕方ない、しかし行事がうまくいかないと先生の責任になる、ということになりがちなのです。
 また、学校の授業は、理屈の説明が中心になるので、実際の練習量が不足してきます。練習量の不足が如実に表れるのは、漢字書き取りと計算です。漢字書き取りや計算が苦手なのは、練習量の不足ですから、学校で宿題が出ないとしたら、その分を家庭で補う必要があります。
 家庭での練習は、市販の問題集でかまいません。しかし、家庭での勉強は完璧にやる必要はなく、苦手にならない程度までできていれば十分です。
 子供は、中学3年生になるころから初めて自覚的に勉強するようになります。その時期までに、思考力の土台をしっかり作っておくことが大事です。
 小学校1年生の子供を持つお母さんお父さんは、見た目の華やかさや流行に迷わされず、本当に大切で長続きする勉強は何かということを考えて習い事の選択をしてください。
小学生の勉強のさせ方のポイント
 これは、小学生とは書いていますが、中学生にも高校生にも共通する勉強のコツです。特に、第二の話で書く「短期間でできるようにさせる」というのは、あらゆる勉強に共通します。
 保護者のみなさんからいろいろ相談を受けることがあります。その中で、特に気がついた問題が二つあります。第一は、低学年のときの勉強のやらせすぎです。第二は、できるようにさせてから褒めるという勉強の仕方をしている人が少ないことです。
 まず第一の勉強のやらせすぎから説明していきます。
 低学年は、親や先生の言うことをよく聞きます。また、適応力があるので、やらせようと思えばどんなことでもやっていきます。そのため、親はつい必要以上に勉強をさせようとしてしまいます。また、うまくできないと注意してしまいます。
 勉強をたくさんさせすぎると、子供の熱中力がなくなってきます。何をするときでも、ほどほどにやるという姿勢が生まれてくるのです。
 小学校低学年のころに遊びに熱中した子は、いざというときに馬力がかかります。低学年のころは、苦しい勉強はしたくないのが普通です。自分の好きなことをして自由に遊んでいたい年齢です。この時期に親の言うことを聞いて、言われたとおりに勉強をしている子の中には、将来の熱中する力を犠牲にしている子も多いのです。
 勉強をしていてうまくできないときに注意するのも、子供にとってはマイナスです。低学年のころのほとんどの注意は、そのときにしなくても、年齢が上がれば自然に直るものです。
 例えば、作文の例で言うと、低学年のころによくまちがえる「わとはの区別、おとをの区別」です。本を読む量がまだ少なくて、言葉のほとんどを耳から聞いている時期に作文を書かせれば、「わ」と「は」の区別はできないのが当然です。だから、それを急いで直す必要はありません。直すよりも、本を読んで言葉を目から読む経験を増やしていくというのが最初にすることです。
 注意をして直すことによるプラスよりも、注意することによって勉強は苦しいものだという意識を持たせてしまうマイナスの方が大きいのです。
 では、どういう勉強をさせたらいいのでしょうか。
 低学年のころの勉強は、習慣をつけるということが目的です。決まった時間に決まったことをするのが大事です。しかし、それで成績を上げることを目指すのではありません。
 百ます計算や漢字の書き取りも、勉強をすること自体は何も問題がありません。毎日の習慣となるような形で勉強すればいいのです。しかし、それを他人と競争したり比較したりして、もっと完璧にできるようにさせようとすると、やらせすぎのマイナスが出てくるのです。
 また、家庭学習の習慣とするための勉強は、問題集を解くようなものよりも、本を読むようなものの方がずっと効果があります。問題集を解くという勉強スタイルは、一見勉強をしているような感じがしますが、結局できることをくりかえす作業にすぎません。問題を解くという勉強に意味があるのは、できない問題をできるようにさせるという過程があるときだけです。
 次に、第二の「できるようにさせてから褒める」という勉強の仕方の説明をです。
 勉強でもスポーツでも、できないことをできるようにさせて初めて意味があります。できるようにさせて、そして褒める、というのが理想の勉強の姿です。ところが、できないという状態を続けたまま、注意をしたり褒めたりという事後の工夫に力を入れている人が多いのです。
 「できる」というのは、勉強のいちばんの核心です。「注意する」「褒める」というのは、その外側の付け足しの部分です。
 問題集を解くような勉強では、できるできないがはっきりしないことが多いので、この問題はそれほど表面に出てきません。だから、問題を解くような作業的な勉強は、あまり意味がないのだとも言えます。
 暗唱の勉強は、できるできないがはっきりしています。暗唱の勉強で、「できない」という状態を続けたまま、あとから褒めたり注意したりしてもそれらはすべて空回りになります。「できる」ようにさせてから、初めて褒めることも注意することも生きてきます。
 そのためには、一時期、無理矢理にではあっても、できる水準まで到達させてしまうことが大事です。そのときのコツは、できるだけ短期間に形だけでもできるようにさせて子供に自信を持たせることです。
 暗唱の場合は、80%や90%できる状態で満足するのではなく、100%できるところまでやらせて、そのあとにたっぷり褒めていくことです。時間で言えば、10分かかることがせいぜい15分か20分に延長するぐらいですから、無理にやらせるとはいっても大したことではありません。それよりも、100%できるようにさせることで子供が自信を持つということが大きいのです。
 中学生や高校生の勉強でも同じです。苦手な教科があった場合、その勉強を毎日少しずつ取り組んでもできるようにはなりません。夏休みなどに朝から晩まで何週間も集中して取り組み、何が何でも得意にしてしまうところまで持っていくということが大事です。

暗唱は覚えることが目的ではなく繰り返すことが目的1
 剣道や野球やテニスの素振りという練習がありますが、振り方を覚えることが目的ではありません。形などは、だれでもすぐに覚えられます。
 大事なことは、その形ができることではありません。その形が身につき、いつでもどこでも自然に必要な動きができるようになることです。
 形が身につくと、いくら繰り返しても疲れなくなり、動作が美しくなり、いつでも自然にその形が出せるようになります。ですから、暗唱も、「えーと」と考えなら思い出してやっと言えるようになっても、できたことにはなりません。
 水が流れるように、よどみなく滑らかにつっかえずに言えることが大事です。暗唱の目安は、滑らかに言えるようになるということです。覚えることを目安にするのではなく、無意識のうちに言葉が出てくるように言えることを目安にしていきます。そのために、同じ文章を繰り返し音読するのです。
 では、繰り返し音読をするという暗唱によってどういう効果があるのでしょうか。
 一般によく考えられているものは、覚えた文を自分の作文にそのまま使うという効果です。しかし、これは試験のときの暗記とあまり変わりません。覚えた表現を作文に使えるようになるということはもちろんありますが、それはごく一部の効果です。
 また、暗唱をしていると記憶力がつくというだけでもありません。記憶に自信がつくということはありますが、記憶する技術だけを考えれば、記憶術という方法を使った方がはるかに効果があります。
 では、暗唱によってどういう力がつくのでしょうか。
 暗唱によって本当に身につくのは、思考力、発想力、作文力という応用力の分野です。どのようなテーマが出ても、そのテーマに関連する考えが出てくるようになります。
 暗唱の練習をしている子は、作文の字数が増えるという調査結果が出ています。これは、暗唱によって発想力が豊かになり、書くことが次々と出てくるからです。
 このようになるのは、文章を丸ごと自分のものにすることによって、言葉が持つ関連性の手足が増えるからです。
 ある言葉、例えば、「桃」という言葉を思い浮かべたときに、ほかのどういう言葉を連想するでしょうか。普通は、「桃」「ピンク」「梅」「果物」「木」「八百屋」「甘い」「柔らかい」「種」など、桃の実体に関連した言葉だけでしょう。しかし、昔話の「桃太郎」を知っている子供は、「桃」という言葉から、「おじいさん」「山」「柴刈り」「おばあさん」「川」「洗濯」「犬」「猿」「キジ」「鬼」「島」なども連想します。「桃」という言葉が持つ関連性の手足が増えるのです。
 普通、文章は逐語的に理解していきます。「桃太郎」という昔話を1回読んだだけならば、桃が登場するのは、おばあさんが川で洗濯をしているときから、家に持ち帰って中から桃太郎が出てくるところまでですから、桃の役割はそれで終わりです。理解のための桃は、せいぜい「おばあさん」「川」「子供」という関連性の手足を持つだけです。しかも、そこには何も桃である必然性はないので、やがて時間がたつにつれて、桃太郎が生まれたという結論だけが残り、どこから生まれたのかという桃の存在は記憶から消えていきます。
 桃太郎の場合は、名前の上からも桃のイメージが強力なので記憶からは消えにくいのですが、ほとんどの物事の場合、そこで使われた言葉は単なる手段であり、理解のための道具としての役割を果たしたあとは、記憶には残らないのです。
 例えば、「おじいさんは山へ柴刈りに行きました」という場合の、「山」も「柴」も、「桃太郎」のその後の物語の展開に何の影響も与えていません。だから、「桃太郎」の話を1回読むだけでは、おじいさんがどこへ何をしに行ったのかということは、記憶されません。そういう細かいことまで記憶に残っていたのでは、日常生活の肝心なことがかえって思い出しにくくなって困るからです。
 しかし、「桃太郎」の話を何度も読んだり聞いたりして、文章が丸ごと頭に残っている場合はそうではありません。「むかし、むかし」という出だしの言葉を聞いただけで、「あるところに、おじいさんとおばあさんがおりました。おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。すると、川上から……」という文章が一挙に想起されるのです。
 これは、テストに、「おじいさんの行った場所はどこで、そこでした仕事は何か」というものが出るから、「場所=山」「仕事=柴刈り」と記憶したのではありません。そういうテスト的な記憶ではなく、文章を丸ごと何度も読んだり聞いたりしたことで、その文章に書かれていることが一つの全体として丸ごと自分のものになったからできるようになったことなのです。
 暗唱も、同様です。ある文章を暗唱していると、その文章のどの言葉も、その文章全体との関連性を持ってきます。それは、「桃太郎」の最初に登場する「桃」が、物語の最後に登場する「鬼」と結びつけて考えることができるということと同じです。これが、言葉が関連性の手足を多く持つということです。
 関連性の手足を多く持つ言葉とは、会議でたくさんの発言する参加者と同じです。司会があることを聞くと、多くの参加者が次々と挙手をして発言する会議では議論は盛んになります。司会が指名してもなかなか話をしない参加者ばかりでは、会議は進みません。言葉も同じです。手足をたくさん持っている言葉は、次々と連想を広げていきます。
 しかし、会議でも、司会が上手にコントロールしないと発言ばかりが増えて混乱するように、言葉も関連性の手足をたくさん持つだけでは、次々と話題が広がって脱線していくことなります。会議をコントロールする強力な司会と同じものが、文章における構成力です。
 さて、暗唱によって言葉の持つ関連性が豊かになると、発想や思考が豊かになるだけではありません。言葉の関連性が豊かになることは、理解力、読解力を高めることにもつながっています。
暗唱は覚えることが目的ではなく繰り返すことが目的2
 前回は、暗唱が、発想力や思考力という応用分野に生きてくることを説明しました。
 暗唱は、理解力や読解力にも役立ちますが、その説明の前に、暗唱の仕方を説明します。
 滑らかな暗唱は、どのようにしたらできるのでしょうか。
 暗唱は、繰り返せばだれでもできるようになります。繰り返しとは、1日に30分も40分もやることではありません。3日続けて10分ずつやることです。これで、何の苦労もなく暗唱ができます。
 暗唱が苦痛になるのは、毎日続けてやらずに、まとめてやろうとするからです。
 言葉の森の暗唱法は、1日10分の練習で、1ヶ月で900字の文章が暗唱できるようになる方法です。これは、暗唱の手引というページに書いてあるやり方です。
 この暗唱の練習は、できればお父さんやお母さんも試しに毎日10分、1ヶ月やってくださるとよいと思います。しかし、大人は、すぐに覚えようとしてしまうために、かえって虚心坦懐に音読を繰り返すことができないという傾向があります。これは、中学生や高校生も同じで、何度か音読を繰り返して覚えられそうになると、すぐに直接覚えようとしてしまうのです。覚えるのではなく、音読を続けるということが大事です。
 親が暗唱の仕方というものになじんでいないと、子供に対する暗唱の指導もどうしてもピントのはずれたものになりがちです。よくあるのが、口だけで「やりなさい」と言って、本人に任せるやり方です。これでできるのは、既に暗唱が軌道に乗っている子だけです。
 暗唱は、最初のうち、親がついて一緒にやることが大事です。しかし、これは決して親にとって負担のあるものではありません。
 例えば、朝起きたら、お母さんが食事の支度をしている間に、子供が食卓について10分間暗唱の練習をするという形です。日曜日であれば、昼食前や夕食前でも、このようなやり方でできます。親はほかのことをしているが、子供は近くで暗唱の練習をしている、というのが暗唱や音読の練習の理想の形です。
 いちばんよくないのは、子供部屋でやらせることや、親が、「時間のあるときにやっておきなさい」と口で言うだけで済ませてしまうことです。
 暗唱するための音読の仕方は、句読点で区切らずに、なるべく早口で、しかしはっきりと、どちらかと言えば棒読みで、比較的大きな声で読むことです。暗唱がすっかりできるようになったら、句読点で区切り、抑揚をつけて上手に読むこともできますが、覚えている最中は、早口で棒読みの方がいいのです。
 
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