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  7月20日(月)は休み宿題
  夏の自然寺子屋合宿の案内を送りました
  作文検定の結果はしばらくお待ちください
  国語の勉強法としての音読、問読、難読
  直す読書感想文指導ではなく、褒める読書感想文指導へ
  勉強は家庭が主で、塾が従
  勉強の好きな子にさせるには、毎日、短い時間で、そして褒めるだけ
 
言葉の森新聞 2015年7月2週号 通算第1377号

https://www.mori7.com/mori/

森新聞
7月20日(月)は休み宿題
 7月20日(月)は、休み宿題です。先生からの電話はありませんが、その週の課題を自宅で書いて提出してください。先生からの説明を聞いてから書きたいという場合は、別の日に教室までお電話をして説明をお聞きください。(平日9時~19時50分)
 電話の説明を聞かずに自分で作文を書く人は、ホームページの「授業の渚」か課題フォルダの「解説集」を参考にしてください。
 課題の説明の動画「授業の渚」 http://www.mori7.com/nagisa/
 オープン教育の掲示板「森の予習室」にも、学年別の予習のヒントが載っています。
夏の自然寺子屋合宿の案内を送りました
 夏の自然寺子屋合宿の参加者に、スケジュールや持ち物表を記載した案内をお送りしました。
http://www.mori7.com/stg/
 同封の調査票は、7月10日必着で言葉の森までお送りくださるようお願いいたします。
 今年の合宿は、勉強の時間を1日目の午前中と2日目の夕方に絞り、あとは表でたっぷり遊べるようにしました。
 遊びの内容は、いかだ作り、ナイトウォーク、海岸遊び、バーベキュー、カニ釣り、化石探検ツアーなどです。
 昨年に引き続き今回も関東地方での企画になりましたが、今後は、関西圏の子供たちも参加しやすいように、関西地方でも合宿の企画を行っていきたいと思っています。
作文検定の結果はしばらくお待ちください
 6月28日(日)に行った作文検定試験は、googleハングアウトを使った通信の検定試験という初めての試みでしたが、16名の方が参加してくれました。
 次回は、事前の連絡と練習を早めにできるようにして、更に多くの方が参加できるようにしていきたいと思っています。
 検定試験の結果は、現在集計中ですので、もうしばらくお待ちください。
国語の勉強法としての音読、問読、難読
 国語の勉強というと、ほとんどの人は、国語の問題集を解くようなことを考えると思います。しかし、問題集をいくら解いても、その解説をいくら聞いても、国語力はつきません。
 国語力とは、国語の問題を解く力ではなく、日本語の文章を読み取る力だからです。更に言えば、その読み取る力の土台の上に、日本語の文章を表現する力だからです。
 国語力があれば、国語の問題を解く力は、短期間で身につきます。
 例えば、高3の生徒が、夏休みの8月ごろ、試しに国語のセンター試験をやってみると、平均点と言われる6割ぐらいしか取れないことがあります。
 しかし、その生徒に、1、2時間解き方を説明するだけで、次の週からは、満点近い成績を取れるようになることが多いのです。それぐらい、国語力と国語の成績との間にはギャップがあります。
 だから、基準にするのは、国語の成績ではなく、国語力です。
 
 その国語力は、どうやってつくのかというと、それは、繰り返し難しい文章を読むことによってです。
 ところが、その単純なことがなかなかできません。なぜできないかというと、難しい本を読むということは、真っ暗なでこぼこ道をろうそくの火を頼りに進むようなものだからです。
 これに対して問題集を解く勉強は、明るい舗装された道を、わかりやすいクイズを解きながら進むようなものです。
 だから、ほとんどの人は、やりやすい問題集を解く勉強をしてしまうのです。
 難しい文章を読むためには、読むという行為を外化させる必要があります。それが音読です。
 黙読では、途中で挫折してしまう文章も、音読であれば読み続けることができます。そして、読み続けているうちに読む力がついてくるので、やがて黙読でも読めるようになってくるのです。
 この音読は、小学校低学年から始められます。大事なことは、どんなに下手な読み方をしても、間違った読み方をしていても、すべて褒めてあげることです。
 音読が続けられなくなるいちばんの原因は、読み方の注意だからです。注意を一切しなくても、読み続けていれば読み方は自然に上手になっていきます。
 しかし、注意をすれば、すぐに親の前で読むことを嫌がるようになり、結局肝心の音読を続けることができなくなってしまうのです。
 小学校高学年になるころから、問読(問題集読書)に取り組むことができるようになります。
 国語力をつけるための最適の文章は、新聞のコラムよりも、むしろ実際の入試問題の文章です。
 力のある生徒は、この入試問題集の文章を喜んで読みます。力のない生徒は、読むとすぐに眠くなります。だから、ここでも音読が必要になるのです。(つづく)
直す読書感想文指導ではなく、褒める読書感想文指導へ
 悪い読書感想文指導の例は、次のようなものです。
先生「自由に書いてごらん。」
生徒「先生、できました。」
先生「どこどこ。うーん、これがだめで、あれがだめで、ここもだめで、あっちもだめだ。」
生徒「じゃあ、どうしたらいいんですか。」
先生「それは自分で考えるんだ。」
 そして、中に、よく書けた子がいると、
先生「みんな、こういうふうに書くんだ。」
 褒められたごく少数の子は、なぜ褒められたのかわかりません。注意された大多数の子は、どうしたら褒められるようになるのかわかりません。
 しかし、たくさんの生徒を教えているから、中に必ず上手に書く子がいるので、こういう指導でも通用するのです。
 よい読書感想文指導の例は、次のようなものです。。
先生「最初に、こう書いて、次にこう書いて、あれを入れて、これを入れるといいよ」
生徒「先生、できました。」
先生「どこどこ。なるほど、あれも入れたし、これも入れたね。よくできた。」
生徒「わあい。」
 すべての子が、どう努力したらよいかわかるので、誰でも書けるのです。
 しかし、なぜこういう指導が行われていないかというと、誰でも書ける方法は、苦手な子でも書けるので、レベルが低いと思われてしまうからです。
 ところが、言葉の森の読書感想文指導は、この誰でも書ける書き方で、例年いろいろな賞をもらう子がいるのです。
 読書感想文指導の目的は、上手な作品を書かせることではありません。
 読書感想文を通して、子供の書く力を向上させていくことが第一の目的です。
 今、学校や塾で行われている読書感想文指導の多くは、指導がなくて評価だけがある教え方になっています。
 では、どうしたらよいかというと、家庭でお母さんが書き方を教えてあげればよいのです。
 読書感想文の書き方の例は、言葉の森のホームページの右上にある検索ページで検索できます。
http://www.mori7.com/mori/kennsaku.php?kwmoto=読書感想文
 
勉強は家庭が主で、塾が従
 寺子屋オンエアは、家庭学習を中心とした勉強法です。ところが、家庭学習がせっかく軌道に乗っているのに、もっとよく勉強させようと思い、家庭学習の時間を削ってまで塾に行かせようとする家庭も多いのです。
 それは、親の世代が塾に行って勉強していたからという面もあります。また、今の社会では塾に行って勉強する子が多いので、それが最もオーソドックスな勉強の仕方だと思ってしまう人が多いからだと思います。
 確かに、家庭で勉強をしていると、子供たちの勉強のアラが見えます。遊んだりふざけたり、集中できなかったりという勉強の欠点が見えるのは、親が近くにいるからです。しかし、その欠点は塾に行っていても変わりません。ただ、親の目につかないので気にならないというだけです。
 子供たちの学力がつくのは、教えてもらっているときではありません。教えられたことを自分で反芻するときに本当の力がつきます。
 塾に行って成績が上がる子は、家庭での宿題をきちんとしている子です。塾に行くだけで、家庭で何もしなければ、成績は決して上がりません。また、宿題のあるときだけ宿題をするという子も、成績は上がりません。宿題のあるなしにかかわらず、毎日同じような勉強をする習慣のある子が成績も上がります。ということは、逆に言えば、家庭で勉強する習慣のある子は、わざわざ塾に行って勉強する必要はないのです。
 塾に行って教わる勉強をしていると、同じことを身につけるのに、家庭で勉強するよりも何倍も時間がかかります。そのため、塾に通う時間が増えると、子供たちの生活時間は圧迫され、遊んだり、本を読んだり、自分の好きなことをしたりする貴重な時間が削られてしまいます。なぜそういう時間が貴重かというと、それらの時間が子供たちの将来の仕事力や創造力の源になっていくからです。
 塾でも、学校でも、先生に教えてもらう勉強という点では変わりません。しかし、小中学校の勉強は、わざわざ誰かに教えてもらわなくても、教科書と簡単な参考書と問題集だけでわかるようになっています。だから、教わる勉強はできるだけ少なくして、自分で決めたことをする勉強を中心にしていく必要があるのです。つまり、それは家庭学習です。
 ところが、家庭で自分だけで勉強をしていると、その勉強法が正しいのかどうか不安になってくることがあります。また、それ以上に、勉強するきっかけをつかみにくいので、親から言われなければやらないという勉強になりがちです。
 そこで、言葉の森では、寺子屋オンエアという仕組みを作ったのです。
 しかし、ここでひとつ問題になるのは、学年が上がってくると、誰かに教えてもらわないとわからないような勉強も出てくることです。それは、受験のための差をつけることを目的とした勉強です。一種のパズルのような勉強ですから、教えてもらえばわかる、自分で考えたのではいくら考えてもわからないという勉強が出てくるのです。
 そういう一見難しい勉強ができると、学力がついたように思いがちですが、それはパズルの解き方を知っただけで、本当の学力がついたのではありません。だから、中学受験のための難しい問題を解けるようになった子と、中学受験をせずに教科書レベルの易しい問題しか解かなかった子が、やがて中学3年生になり高校入試レベルの問題に取り組むようになると、かつての小学6年生のころの勉強の差は全くなくなっているということが多いのです。
 では、その難しい受験勉強はどのようにしたらよいかというと、それは、家庭で志望校の過去問を研究することです。入試の傾向は、共通点もありますが、学校による違いがかなりあるからです。
 学習塾での勉強は、子供たちに、どの学校でも受かるような全天候的な得点力をつけることを目的としています。しかし、それは最も無駄の多い勉強法です。能率のよい勉強法は、その子の志望校に絞って過去問を研究し、その子の実力に応じてどういう時間配分でどの教材を勉強するかを決めることです。
 このように自分で工夫する勉強は、高校入試、大学入試、更には社会に出てからの仕事というように、成長するほど重要になってきます。
 小学生時代は、他人に教えてもらう勉強の方が能率よく見えることがありますが、そういう時期は人生の中ではほんのわずかです。これからの長い人生の大部分は、自分で考えて自分で工夫する勉強法を身につけた子がよりよく切り開いていけるのです。
 
勉強の好きな子にさせるには、毎日、短い時間で、そして褒めるだけ
 勉強は、もともとそれほど面白いものではありません。特に、小中学校の基礎的な勉強は、退屈に感じることも多いものです。
 勉強が面白くなるのは、高校生になってからです。中学3年生を過ぎたころから、新しいことがわかり、自分が賢くなることがわかってくるので、勉強が面白くなってくるのです。
 しかし、小中学校の退屈な勉強でも、苦もなくやり続けることはできます。その秘訣は、第一に、毎日やることです。開始の時刻を決めて毎日やるようにしていると、それが苦痛でなくなります。
 そのためには、勉強する時間を決めることです。食後は頭が働かないので、できるだけ食事の前に勉強の時間をとるようにします。そして、ほかの用事があったり、行事でくたびれたりしているときは、一応時間どおりに始め、そのかわり読書だけにするというように内容を簡単なものにします。
 よく、できなかった分は翌日に持ち越しという家庭がありますが、その日にできなかったことは、あとから埋めようと思わないことです。「あとでやる」ということを何度かしていると、「あとでやればいい」という考え方になってきます。
 第二は、少し物足りないぐらいの短い時間で終わらせるということです。子供が、「これだけの量なら、早く勉強を終えて、あとはたっぷり遊ぼう」と考え、熱心に勉強に取り組むことがあります。そのとき、ほとんどのお母さんは、「そんなに早くできるのなら、これもやろう」と勉強の追加をしてしまいます。
 また、新しい勉強のときは、子供が面白がって、「もっとやりたい」と言うときがあります。そのときも、ほとんどのお母さんは、喜んで子供が飽きるまでやらせてしまいます。
 ところが、このように追加をしたり、飽きるまでやらせたりすると、その子は逆に勉強に対する意欲をすぐに失っていくのです。
 勉強は、何ヶ月も同じように細く長く続けていくからこそ力がつきます。2、3日、又は2、3週間熱心にやりすぎて、あとが続かなくなったら、何の力もつきません。そのコントロールをするのがお母さんです。
 第三は、いつでも明るく褒めるということです。今は少なくなりましたが、昔は、「もっと子供の作文を直してください」というお母さんがいました。しかし、直して上手になるぐらいなら、日本中の子供の作文はみんな上手になっています。そうなっていないのは、直したのでは上手になるどころか、その前に作文が嫌いになり苦手になり、結局直さない子よりも作文が下手になってしまうからです。
 小学校で作文指導に熱心な先生が担任になると、そのクラスの子のほとんどが作文が苦手になると言われています。それは、熱心な先生ほど、子供たちの作文を直そうとするからです。
 同じことが音読にも言えます。音読をしたがらない子のいちばんの原因は、かつて音読をしたときに注意をされたことがあることです。音読は、自分では上手なのか下手なのかわかりません。だから、子供はみんな自分の音読がよいと思って読んでいます。そこに、お母さんや先生から、「もっとこんなふうに読まなきゃ」と注意されると、子供の心は大きく傷つくのです。
 では、どうしたらよいかというと、ただ褒めるだけでいいのです。誤字などは軽く直してもかまいません。しかし、それ以外の、姿勢がどうしたとか、声がどうしたとか、区切り方がどうしたということは一切言う必要はありません。
 人間には、不思議なことに、繰り返していると自然に上手になるという能力があります。だから、小さいころよくころんでいた子が、誰に教えられたわけでもなく、次第に転ばずに上手に歩いたり走ったりできるようになるのです。
 勉強中に明るく褒められた子は、勉強が好きになり、吸収力もついてきます。勉強中に、直されたり注意されたりばかりしている子は、そのときは一時的に勉強ができるようになります。しかし、その勉強力が長続きしないので、結局長い目で見て勉強ができなくなっていくのです。
 では、子供を明るく褒めるためにはどうしたらよいかというと、それはお母さんやお父さんがそう決心をすることです。よく「褒めることが大事だとわかっているが、難しい」というお母さんがいます。しかし、すべての物事は、そう決心すればできるようになるのです。
 
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