蓬莱真一との対談

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書いた人は中久喜宣昭 on 2000/05/24 00:36:24:

今回は、蓬莱真一さんという自分の知人との対談の一部を載せさせていただきたくお願いいたします。

中久喜(以下、中と略す):なぜ、理科を教えてらっしゃるのですか。
蓬莱(以下、蓬と略す):理科は好きではないのです。しかし、ほかの人より何故か良くわ かってしまうのです。だからです。
中:好きでもないことを仕事として楽しいですか。
蓬:自分の勤めていた焼き鳥屋の話をします。そこでは、焼き鳥というより、「焼とん」と 呼んでいましたが、すごくうまいのです。
中:なぜ「焼とん」と呼んでいたのか…
蓬:恐らく豚肉のトンでしょう。トンカツと同じトンです。それで、そのうまい焼トンをそこの親父が好きだったかというと嫌いなんですね。これが。口ぐせに言っていたのは、「好きだったら客に出す前にてめえでどんどん食べてしまうだろう」ということです。
 そこで、自分の好きな仕事をしていくのは、確かにうらやましいのですが、同時に自分がのめりこんでいったら、客観的になれないと思うのです。そういう意味では、一定の距離が保てる理科がちょうど良いのかも知れません。
 しかし、例えば分野によっては、自分がのめりこみそうなところもあります。そういう部分にはまってしまうとアンシュタインみたいな喜劇役者になってしまいそうで、自分を押さえています。
中:アインシュタインは偉大な科学者だと思いますが。
蓬:ええ、そうですね。一面ではそうでしょう。ほかの人には真似できないのめりこみ方で、新しい世界を切り開きました。しかし、同時に彼の提言がアメリカ大統領を動かし、原爆製造の方向性を決定付けたという場面もあり、その点を見過ごすことはできません。
 彼は第二次世界大戦後に、原爆の脅威をなくすために世界政府の結成を呼びかけたりするのですが、その意図がどうであれ、滑稽さを感じざるをえません。
 また、彼が原子エネルギーの兵器としての利用可能性とその帰結にいかなる予測を立てていたのか。今となっては知るすべもありませんが、知りうる立場にいたとは思います。E=mc2は彼が立てた式であり、その公式どおりに莫大なエネルギーが一瞬に放出され、廃墟が生み出されたからです。
中:それでは、アインシュタインは単に偉大だけでなく、滑稽だと。
蓬:ええ、滑稽な役回りを演じたと思います。世界的な学者とかノーベル賞とかいううさんくさい勲章がそのことを示しています。
中:では、いかなる存在が滑稽ではないのですか。
蓬:自分が考えるのは、自分が手がけている内容のもつ意味とその内容が実現することによってもたらされる帰結について常識的に判断をめぐらせる人です。
 いかに魅力的な内容であっても、危険があると判断がつけば投げ捨てられる勇気を持っていることが基本的に必要とされます。
 有名になろうとしたり、良い思いをしようとして、社会に脅威をもたらす危険をあえて見ようとしない態度は常に滑稽な人間の特徴を示しています。
中:なるほど。しかし、それでは、金もうけのチャンスを逃すことにもなるのではないですか。
蓬:「金もうけ」について言いたいのは、金=価値ということなのです。その価値というものがどこから生み出されて来たのかと考えると、実は自然が与えてくれた果実が価値あるものになるわけです。
 少し前までは、そのことを見るためには大変な洞察力を必要としましたが、現在ではそんなに難しい発想ではないと思います。限られた自然の生み出す果実を誰が多くかじるのかが、「金もうけ」の主題なのです。
中:なるほど。
蓬:そうすると「金もうけ」は、自然をいかに利用したら自分の取り分が多くなるのかがテーマになるわけです。その結果、自然そのものの安定性や恒常性に注意を払うことがおろそかになります。そして、自然の構造を二重、三重にも傷つけてしまい、気づいたときには取り返しがつかない事態になっているということが起こってくるのです。
中:具体的には?
蓬:ひとつの例を出せば、都会で新鮮な空気が不足して、きれいな空気に対する憧れが強くなったとしましょう。その場合、「金もうけ」のチャンスとしてとらえれば、田舎の新鮮な空気をパックして売り出す事業が考えられます。しかし、その事業を起こすことで自然はどういう影響を受けるでしょうか。空気をパックする田舎では、環境が悪化していかざるをえないでしょう。生産活動の拠点となり、工場ができ、トラックの出入りが多くなったりすることで。
 しかし、その場所の環境が悪化すれば、もうきれいな空気をパックすることができなくなります。そうすると別の清らかな場所へと生産拠点が移っていくことになる。その繰り返しが、コスト高を生み出すことに気がついた生産者は人工的にきれいな空気を作り出してパックするようになるでしょう。そのときには、空気のおいしい匂いのつけ方の技術が研究されているという具合です。さらに健康に良い成分を含んだ空気さえも売り出されることでしょう。
 これは現在、ジャガイモのおいしい食べ方としてポテトチップが作られ、さらに調味料による人工的な味付けが追求されているのとまったく同じです。
中:いろいろ考えさせられるお話ですが、ではどうすればいいのでしょうか。
蓬:発想を転換するべきだと思います。前の例では、都会で新鮮な空気が不足していたのが出発点となり、「金もうけ」の連鎖が始まりました。しかし、そちらの方向に進む限り、事態は決して改善されません。「金もうけ」が次の「金もうけ」を生んでいき、その間に次々と自然は破壊されていくのです。
 そうではなくて、なぜ、都会で新鮮な空気が不足する事態になったのか。その原因を追求して、そこを改善するべきなのです。
中:しかし、そうするのは不可能に近いのではないですか。
蓬:たとえどんなに困難であっても、原因追及とその改善をしなければ、私たちは滅びていくでしょう。
 金魚鉢の中の金魚は世話をしている人がいなくなっても他へ行くことはできません。そこで、放置された金魚鉢の中の環境はどんどん悪くなっていきますが、そこから逃げられないのです。
 人間は、金魚鉢の中の金魚を世話する立場にある存在ですね。しかも、人間自身の生きる環境を整える力も持った存在なのです。そういう存在でありながら、自分たちの環境の悪化を食い止められないというのはどこかおかしいのです。
中:何がおかしいのか良くわかりませんが。
蓬:現在、自分たちはその中で生きている自然の状態をコントロールしようとしていますね。そうでありながら、その人間の活動のために自然が痛めつけられ、人間の生存さえも脅かしている。自然のコントロールは、本来ならば、自然の中に生活しているもののためにするべきなのにそうなっていない。本当はうまくできることをわざとしていないということに過ぎません。
 自分たちの環境は自分たちの力で変えうるのです。しかし、それを変えようがないとあきらめてしまっているのは、なぜでしょう。能力が無いためではありません。やる気が無いためとしか思えないのです。
中:自分たち一人一人に責任を突きつけられているように感じるのですが。
蓬:子供たちの意識そのものが自然とかけ離れている状態です。そのことが顕著にあらわれて来はじめたのが、高度経済成長以降だと感じています。そのことを何とかしないと、感覚的に自然と自分との関係を考えられる人間は育ちません。まず、教育に課題を抱えていると感じます。
中:この未来教育フォーラムとも関係がありますね。
蓬:そうです。また、大人も一人一人が、緑の保護という現状維持の立場にとどまらず、自然と自分との関係をどうするのかを真剣に考えるときに来ていると考えます。
中:何をすべきなのか。どう踏み出していくのか。自分との関係のあり方がまだ見えずらいのですが。
蓬:自然という価値の源泉を破壊するところでは、価値のあるものがどんどん失われていくようです。例えば、豊かな自然というものは「金もうけ」からは決して生み出されることのない価値の集合体としてとらえることができます。しかし、このままでは豊かな自然はこの地球上から失われてしまうでしょう。
 また、現在の経済の行き詰まり状態は、自然を破壊し、価値そのものを失いつつあることの当然の帰結と考えることもできます。経済は単にお金の循環を意味するのではなく、自然をいかに運営していくのかの活動なのです。経済を安定した正常な状態に近づけるためにも自然を考える必要があるのです。
中:経済のお話にまで発展し、理科からだいぶ話がそれてしまいましたが。結論としては、蓬莱さんは自然に興味があるということでしょうか。
蓬:そうです。自然は私たちそのものです。それを損なう行為は必ずしっぺ返しを受けます。自分で自分を損なう行為と言うべきでしょう。
 また、自然の法則性は驚くべきものです。しかし、その法則性を人間が認識しようとしまいと、それが存在するからこそ、私たちは生命という不思議な自然の現象形態としてここに生存しているわけです。これ以上は今は言えませんが、経済も政治も含めて文明そのものが自然と対立して存在すること自体が、現在の支配的な文明の破滅を予言していると思います。
中:今日は貴重なお話をありがとうございました。
蓬:いいえ、こちらこそ自分の中の声を引き出してくださりましてありがとうございます。
−以上



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