書いた人は中久喜 on 98/09/16 02:24:16:
コメント先: そんな社会は、ありません posted by タカヒロ on 1月 13, 1998 at 01:54:21:
タカヒロさん
議論をしようとするときは、相手のいうことをきちんと理解した上でして下さいね。ここに書かれていることは、自分のかいていないことに勝手に答えを出しているだけで、議論になっていません。そのことを書きます。
>全ての人間に等しくチャンスを与えてやれという事でしょうか。
すべての人間の話はしていません。人間一般の話にすり替えられています。
>でもどこまで与えて、どこまで与えないかは難しいでしょ?
チャンスについていえば、それは誰かが与える物ではありません。君は神ですか。
>そんな世界だと、努力した人間は成功して、努力しない人間は失敗します。
努力のことなど考えていません。成功と失敗というのもどうやら単純な意味で考えていられるようですね。そうはっきりと分けられるとも思いません。
>失敗した人間から不満が出ないと思いますか?
不満のない社会などありません。こんなことを考えても無意味です。
>そして、あらゆる人間が「平等に」努力できる世界を作ってやりますか?
話が通じません。
>それで失敗した人間がおとなしくしてると思いますか?
勝手な前提の下に勝手な結論を出して、何か役に立ちますか。
>そういう提案をするなら、具体例を示さないと駄目でしょう。
なぜだめなのかがわかりません。
>ここまではチャンスをやって、これ以降はやんない、と。
勝手に立てられた前提の下での話であり、考える必要がありません。
>でもそれでは、選別の基準を変えてるだけですよ。
選別とは何か。それはたった一握りのエリートに社会のコントロールを任せるためのしくみにすぎません。あなたの頭では選別の捉えかたが違うようですね。
>たぶん「やる気があるのに、やる環境が整ってない」という現状を変えなきゃと
>言ってられると思うのです。
そんなことは言っていません。残念ながら。よく読んで下さい。その上で、議論ができるのです。
>園芸を専門家まかせにして、自分の庭を自分で手入れしないのがこれまでのやり方だ
といっているのであり、自分の社会のあり方、環境の在り方をエリートまかせにせず、ひとりひとりの責任でコントロールすべきと言っているのです。
>でもそれは「何度、失敗しても、やり直すチャンスがある環境」と同じ事で、
>「失敗しようが才能がなかろうが、無限のチャンスがある環境」と同じ事です。
何が同じなのかがさっぱりわかりません。本当にあなたは理解してこれをかいているのですか。
>チャレンジしてる間は、稼ぎがなかったら、それは周りの人間が養って
>やらにゃあなりませんよ。やる気があるんだから。
子どものことを忘れてませんか。また、失業者の保険や社会的弱者への救済制度は何のためにあるのでしょうか。
>そんな事が本当に可能だと思いますか?
社会の実状に対する無知と自分の思い込みでしか他人の文章を読めない才能と理解のできない内容を書かれるすばらしい才能をお持ちです。
>喧嘩売ってんじゃないですよ。でも是非、反論してみて下さい。
言い過ぎたかもしれませんが、ここに書かれている文章から見る限りこうとしか言えません。あしからず。